(承前)前回紹介した河川敷に付けられた町名の上布田町と下布田町のちょうど境目あたりにある取水堰、河口に向かって左岸の市街地の住所で言うと調布市染地2丁目、川崎市側つまり右岸の住所で言うと川崎市布田。この堰は名前を二ヶ領上河原堰という。
このあたりは毎年9月に行われる調布市の花火大会の会場になるのだが、この堰の川下の中州から打ち上げているらしい。雑踏警備の仕事でこの花火大会の会場に来たことはあるのだが、たいていは川崎市側、南武線の稲田堤駅の近辺だったり、川崎街道沿いで見物客の交通整理をするといったふうで、まともに花火を見たためしがない。だいたい1時間くらいの間に10,000発くらい上げるらしい。けっこう大規模な方だと思う。
さて、下は川崎市側から見る二ヶ領上河原堰。「二ヶ領」の名前は旧川崎領と稲毛領の二領にかけて流れた「二ヶ領用水」の取水堰であることによっている。つまり、堰によって貯められた水が用水路に流れ込む仕組みで、「上河原」の名は、もう一つある「宿河原取水堰」と区別するためであろうと思うが「上河原」という地名は残っていないようである。
この二ヶ領用水は関ケ原の合戦のあった16世紀末に測量が始まり、十数年の年月をかけて1611年に完成したというから玉川上水よりも古い。
ところでその二ヶ領用水だが、下の地図を見てほしい。水路がXに交わっているところがある。左下から右上に伸びているのが三沢川という河川で上の多摩川に流れ込んでいる。その三沢川と交わって下の方に細く伸びているのが二ヶ領用水。三沢川は多摩川に向かって上の方に流れ、二ヶ領用水は多摩川の水を取り込んで下の方に流れる。この二本が交わっているとはどういうことか?
どうやらふたつの水路は立体交差してるのだろう。どのような技術が使われているのか知らない。写真を撮った現地にもそうしたことを記述した案内板のようなものはなかった。ただ、調べてみたら玉川上水も立川市内で残堀川と立体交差しているという。だから、そういう土木技術が17世紀にはあったのだろう。詳しいことは知らないがなんだか「すごいな」とひとり感心している。
上はその立体交差から二ヶ領用水が出てきたと思しきあたり。ゆるやかな坂道を上がったところ、左右に三沢川が流れている。つまり、立体交差の上が三沢川で下が二ヶ領用水、下をくぐる時の入り口の高さより出口の高さを低くしているのだろう。そうすれば自然に水は流れてくる、そういうことだろうと思う。
そして、その二ヶ領用水の下流方向。まだ、暑い時期で鬱蒼としているが流れは美しい。所によっては水際にちょっとした休憩施設があったり、沿道に桜並木があったりで季節によっては楽しめそうな用水路である。