壊れていたエアコンの交換工事も当初業者から言われていた時期よりも早くなって、この酷暑の夏も何とか乗り切れそうな気分になっていた所、いい気になってエアコンを使い過ぎたか、夏風邪をひいてしまった。熱は出てないのに咳が止まらない。やれやれ、、、
*****
さて、写真は多摩川の河川敷。調布市多摩川3丁目あたり。前に見える橋は多摩川原橋。河川敷に整備されたサイクリングロードの舗装が新しくなっていて、自転車を走らせた感じも快調。悪くない。
「調布」という地名は租庸調という税制のあった律令制時代に近辺の特産物であった布を「調」として納めていたことが由来だとされている。当時「布」とは麻、苧、葛などの布を指し、絹を調として納めるのは「調絹(ちょうきぬ)」といったらしい。
そんなわけで、「布」が特産だったわけだが、万葉集の東歌に歌が残っている。
多摩川にさらす手作り(たづくり)さらさらに 何そこの児のここだ愛(かな)しき
そんな古くからの歴史のある土地で、近辺には布にまつわる、布田、染地といった地名も残っている。染地という住所はおおむね多摩川に沿った市域で日活の撮影所などがあるエリアだが、布田は染地の北のエリアで川からはかなり離れている。京王線の布田駅は川から1.3㎞くらいある。
ただ、妙だと思うのは布田という住所は1丁目から6丁目まで、川から離れているのだが、それとは別に上布田町、下布田町という町名が残っており、GoogleMapによると、なんと郵便番号が〒182-0000なんだそうだ。場所は上の写真を撮った河川敷。京王線の鉄橋をくぐったあたりから遠方に見える取水堰あたりまでの河川敷が上布田町、更にその下流の河川敷に下布田町という住所がある。もちろん住民登録された人口はゼロ。なぜ、その町名がここだけ残されたのかちょっとわからない。
*****
「布田」という地名は対岸の川崎市多摩区にもある。ちょうど取水堰のあたり。そういえば、多摩川の両岸に同じ地名があるというのはそんなに珍しいことではない。世田谷区の等々力、野毛、宇奈根、狛江市の和泉という地名は対岸の川崎市側にもある。これは多摩川がかっては相当に暴れていたことの名残りで、長い年月の間に何度となく洪水が発生し、新たな流れが集落を分断したということによるらしい。多摩川の氾濫の歴史はここに詳しい。
河川の全域にわたって堤防が整備された現代では川が「暴れる」ということも少なくなったが、気候変動による台風の大型化は心配の種ではある。二子玉川で洪水が発生した2019年の台風19号の時は、私の住む日野市でも堤防の下3~4mのところまで水が来ていた。あと半日も上流で降り続けば危なかったかもしれない。気候変動は年々激しさを増している。それが実感できるレベルになってきたということを、恐ろしいと思わなくてはならないのだろう。