ココハドコ? アタシハダレ? -4ページ目

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

 

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 そういや、今年は昭和100年とか。つまり昭和は1926年に始まったわけだが、大正天皇が崩御されたのは12月25日で、このクリスマスの日にすぐ改元がなされている。つまり昭和元年はほんの1週間しかなかった。改元にあたっては東京日日新聞(現毎日新聞)が新元号は「光文と決定」という誤報を号外で流し、5銭で飛ぶように売れたと毎日新聞発行の「昭和史全記録」という大冊の冒頭にある。

 

 昭和100年と聞くと、私は1968年に「明治100年」という式典があったのを思い出す。明治改元の布告が出された9月8日(陰暦)からちょうど100年目にあたる10月23日にその記念式典が行われているのだが、「昭和史全記録」に載る前後の記事は同月20日、社学同の学生が「防衛庁突入」、21日国際反戦デーでは中核や社学同による「新宿騒乱」、翌年正月には東大に機動隊が入り、この年の東大入試が中止になったと、そんな記事が間断なく続いている。

 

 そんなこんなで「昭和100年記念式典」もやるのだろう。とすると、今年のクリスマスということになるのだろうか。その時、巷にはどんなニュースが流れているのだろう?

 

 昭和の空気を腹いっぱいに吸い込んだわが身を思えば、

 

「隔世の感」

 

                          を禁じ得ない私ではあります。

 

 

 

 

 

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なんとなく月1回の更新をノルマにしているこのBLOG。あれこれ雑事に追われているうちに大晦日になってしまった。数時間後には「あけ・おめ」のご挨拶。書かないまま抛っておいたネタもあったりして、小学生が徒競走をしてる、そんな感覚に追われてます。

 

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登戸。地名の由来はここから先、南への道が多摩丘陵への登り口にあたっていたことによるらしい。確かに隣接する向ヶ丘遊園駅の背後には急峻の丘が控え、ここを走る小田急線は生田、読売ランド前、百合ヶ丘と丘陵地帯の谷間を縫うように走っている。

 

 

その登戸の駅から近い多摩川にあるのが二ヵ領用水のふたつめの取水堰、宿河原堰。堰にためられた水が写真右に伸びる水路から取り込まれて用水路を流れてゆく。先に紹介した上河原堰から3㎞程下流にある二つ目の取水堰で、この2本の用水路は南武線久地駅近くで合流し、さらに久地円筒分水というところで、近隣の6つの村落へその面積に応じて比例分割されて流れてゆく。

 

 

 

 

この宿河原取水堰がコンクリート製の堰として最初に改築されたのは1949年だったが、1974年の台風16号によって生じた狛江側の氾濫などがあって、1999年に増水時に水位を調整できる現在のものにつくりかえられたそうである。

 

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 ちなみに、この河原はかって映画の舞台になっている。

 「無能の人」(1991年)。つげ義春の漫画を映画化したもので、竹中直人の初監督・主演作品である。河原で石を売る男の話で、主人公が粗末な掘っ立て小屋を作って川で拾った石を並べて売っていたのがちょうどこの辺り。

 

 

背景にこの堰(改築前)や小田急線が映り込むカットが数か所見て取れる。30年余の時を経て、風景はずいぶん変わった。大小の石の河原だったところが今は、子供たちが野球に興じる野球場になり、竹中直人演ずる助川助三の小屋があったあたりでは近隣の人であろうか、リモコンのヨットを浮かべてレースに興じている。

 

 

映画は1991年、つまり平成3年だが、そこここに昭和の風景がちりばめられているのは、原作のもつ時代背景を最大限再現しようと意図したためだと思われるが、昭和の空気を精一杯吸って育った私にとって、この河原に限らず主人公たちが暮らす団地(多摩川住宅)、新宿や代々木、山梨の山の中、映画の中のどの風景も懐かしさを感じさせてくれる。作品の評価がどうであったか知らぬが、滲み出る生活感に好感。風吹ジュン、山口美也子が好演。

 

 

 

 

 

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 なんだかボ~としている。明日は何しようとか、次の仕事はいつにしようとか考えるのだが、考えるというよりも、そんなことをボ~と思っているだけで、一向に頭の整理がつかない。

 

 エアポケット・・・

 

 

 日本語教師養成講座の最後、教育実習が終わって、課題のレポートも提出して全課程終了。実習の単位が取れていれば終了ではなくて「修了」。1年半仕事を休んで、まあ、よく勉強したと思う。多分大学受験の時もこんなに一生懸命勉強しなかったし、大学に入ってからはさらに勉強してないので、人生で一番勉強した、というか勉強に「一番時間を使った」という気がする。

 なにしろ、脳ミソの老化も結構なものがあって、ひとつひとつ理解するのに若いころの3倍の時間を要する状態で、それでいて忘れるのも3倍速いときている。だから時間は必要だったのだが、3月に「修了証書」をもらう頃には結局すべて忘れているんじゃなかろうか、冗談ではなく、そんな気がする。

 

 ただ、それでもちょっと満足しているというか、改めて驚いたのは自分が「結構、勉強が好きなんだ」と気づいたことで、この感覚は大学受験の時以来だった。確かに知識欲のようなものはずっとあって、あれやこれやと本を読んだり、ネットで調べたりは常にしていたことではあるけれど、ひとつのことをずっと本格的に勉強するのは自分の性に合わないと信じていて、だからひとつのことについてスペシャリストになれるなどとは思ったことがなかった。

 

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 スペシャリストという言葉をあえて使うなら、もしかすると「交通誘導警備」のスペシャリストとは言えるかもしれない。誰だって5年もやればスペシャリストの世界なので自慢も何もあったもんじゃないが、私はこの仕事が気に入っていて体が続く限り辞めないだろうと思う。楽しいのである。楽しいから、案外「これが天職か?」と思うこともあるくらいなのである。警備業法とか交通法規とか勉強もしたけれど、それ以上に現場に立つ開放感のようなものが好きで、その日その日の仕事の流れやリスクの管理なんかは体が自然に考えてくれる。

 今日の現場はこういう作業の流れで、どういうところにリスクがあり、あんな所やこんなところで気を抜くと大怪我をする、場合によっちゃ死ぬほどの事故もありうる、そういうことを体で感じとる。そう、「考える」という行為は体がするもので頭でするものじゃないと、私は信じているのだ。

 頭で覚えたものは忘れるが体で覚えたものはそう簡単には忘れない。一度自転車に乗ることを覚えれば、乗り方を忘れる人というのはそうはいないだろう。それと同じである。そういう意味では、今、ボランティアで教えている日本語も続けていけば、教え方を体が覚え、そのうち「スペシャリスト」になれるのかもしれない。学校の勉強は出発点以上のものではないのだろう。どうやらそんな気がする。

 

*****

 

 9月に出版された本で、読みたいと思っていた本をさっそく買ってみた。

 

今井むつみ著「学力喪失」(岩波新書)

 

 前回、話題にした「言語の本質」の中の小中学生の学力問題に焦点を絞った本なのだが、文章がいきなり横書きになっているのには驚いた。私は日本語は縦書きを基本とすべきと思っていて、ネットで見る文章がすべて横書きになっていることに、不満を持っている。なんで、縦書きができるBLOGがないのか。このBLOGでもたまに他人の書物から引用することがあるのだけれど、原典が縦書きなものを横書きにして引用というのはどうも後ろめたい。詩歌や歌の歌詞など、日本語の美しさが際立つものが、横書きにするだけで消えてしまうような感に襲われるのは私だけなのだろうか。

 

*****

 

それはさておき、本はまだ読みだしたばかりだが、いきなり気になることが書いてあった。

引用する。

 

  知識は「教えられることで、学び手の頭に入れられる」「わかりやすく繰り返し

 教えれば学び手は理解する」と考えられている。しかし、この考えは根本的な誤解

 である。「生きた知識」は「丁寧にわかりやすく教えられる」ことでは獲得できな

 い。

  母語は究極の「生きた知識」だが、子供は母語を大人に「丁寧にわかりやすく」

 教えられて習得するわけではない。自分で母語の仕組みを発見し、単語の意味を

 自分で考え、手探りで試行錯誤を繰り返しながら「母語のよい学び方」を身につけ

 ることによって習得する。だから母語は身体の一部となり、自由自在に使えるので

 ある。(「学力喪失」p51)

 

 たとえば、日本語母語話者は助詞の「は」と「が」のちがいを教えられて、使い分けられるようになったわけではない。幼時より言葉を話すことを覚える過程で試行錯誤を繰り返しながら身につけたもので、その違いを言葉で説明できなくとも、使い方を間違えることはほとんどない。

 先に書いた自転車の乗り方もそうだが「生きた知識」とは、言葉で説明できるかどうかではなく、それを使えるかどうかなのだろう。

 

 では、日本語学習者の場合はどうなのだろう?

 私が教え始めている留学生は、「日本語を話したい」といって日本語教室にやってくる。教室で勉強した日本語は、まだ単なる記憶の段階。使わなければ「生きた知識」になっていかない。学校ではそこまでの面倒は見ないようだ。留学生にとって、日本語学校は日本社会の入口になるはずのところだが、どうもそうはなっていない。だからこそ、ボランティアで教える日本語教師にも出番はあるわけで、私が教えている留学生とは日本語を「教える」というよりも、単に「会話」を楽しむといった感じで時間を過ごす。話題は様々だが、時々学校で学んだ日本語の理解できなかったことをきいてくる。

 

 たとえば、「父に事情を話して、金をもらった」

      「父に事情を話して、わかってもらった」

 この「もらった」の違いは何か?

 彼が学校で学んだことは「人から物をもらう」の「もらう」で「わかってもらう」は何をもらったのかという疑問。

 

さて、あなたはわかるかな?

 

 

 

 

 

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