ココハドコ? アタシハダレ? -37ページ目

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

ゴッホ展を見てきた。ゴッホの展覧会はこれまで何回も開かれてきたのだろう。2年ほど前にも上野の森美術館で開かれており、そちらも私は見ている。ゴッホの作品が大々的に日本に紹介された最初はおそらく1953年の複製画による展覧会で、実作品での展覧会となると1958年に東京国立博物館で開かれたゴッホ展で、実は親に連れられて私はこれも見ている。この展覧会は大盛況で国立博物館の周囲に長い行列ができ、鶯谷駅の方まで長くのびていたのを覚えている。

この展覧会にはゴッホが大色彩画家として登場するアルルの時代以降の名作が大挙して展示されていた。アルルのはね橋や満開の桃の木を描いたもの、花瓶に生けられたひまわりや、夜のカフェ、糸杉、これらの主だった代表作が子供だった私に強い印象を残したようだ。絵といえば子供向けの絵本とか小学校の授業で描く自分や級友の絵しか知らず、本格的な絵画に初めて触れたのがこの展覧会で、大混雑の中で見たこれらの作品の記憶が今に残るくらいだから、その印象は相当に強かった、と言っていいのだろうと思う。

 

 

しかし、時代とともに展覧会の規模は小さくなってきている。作品の数はそろっても、なかなか名作がずらりと並ぶという事はなくなった。これは海外から日本に輸送するにあたって、盗難や破損、紛失と言ったケースに対してかけられる保険の金額が年々上昇し、今では莫大な金額になっているからだと言われる。だから、そうそう名作ばかりを持ってくるという事が出来なくなった。寂しい限りである。

 

 

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今回のゴッホ展も2年前のゴッホ展も構成は似ており、オランダ時代に重心を置いているように見えた。ゴッホはひとことで言えば「善意の人」なのだが、この「善意」が実は抜き差しできぬところまで彼を追いやっていったらしい。まだ本格的に絵を描き始める前、彼は美術商に就職したものの解雇され、牧師になろうとして失敗し、伝道師にもなるにはなったが、派遣された鉱山で抗夫たちと同じように顔を汚しきたない格好で説教し、なけなしの金もパンも着るものも、寝台までも人々に与えて自分は乞食同然の風体だったという。教会は伝道師の体面を汚すものとして彼を追放した。弟のテオに勧められて絵を描き始めるのはこの頃なのだが、ハーグに移ってアトリエを構えた彼は、父なし子を妊娠した娼婦を保護し、家族との間に騒動を起こし、彼を支えてきた弟からも送金を止められる。

 

こうしたオランダ時代のデッサンや暗い色彩で描かれた農民や職人の油彩画、これまで私はあまり注目して見ては来なかったが、デッサンの線や油彩の筆の力強いタッチにはこれら貧しい労働者や農民に寄り添って生きようとする強い感情が込められているように見える。色彩は暗いがペシミスティックな印象は皆無と言って良く、それが魅力になっている。

「防水帽を被った漁師の顔」という作品がある。辛苦に満ちた半生をはね返そうとする強い意志を感じさせる目が印象的である。娼婦だったシ-ン・ホールニクがモデルと言われる「祈り」というデッサンでは悲しみを乗り越えて母親となった女の安らいだ表情が印象的だ。後の「大色彩画家」など想像もできない作品群だが非常に魅力的な作品が並んでいたことは確かである。私はそう感じた。

 

 

ゴッホのわずか10年そこそこの画業のうち、色彩が明るさを獲得してゆくのは後半の5年、弟から印象派絵画の話を聞いたり、パリに出て実際にそれらの絵画に触れたり、印象派画家との交流が始まってからのようである。では、それは「流行」を追ったという事なのだろうか、ゴッホの中で何が変わったのだろう?労働者や農民、貧困の中にあって救うすべもないような人々に「寄り添って」生きようとしたゴッホはどこに行ってしまったのだろう?

 

以下は全く私の個人的な考えだが、おそらく「寄り添う」事のどれをとっても失敗し続けたゴッホの「善意」、出口を失った彼の「善意」が最後に見つけた出口があの色彩だったのではないか。彼は彼の「善意」という魂を、あの美しい色彩の中に込めたのだと、そんな気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

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仕事休みの一日、「秋」を撮るラストチャンスと思い自転車を走らせた。府中市の武蔵野公園。隣接する野川公園と合わせるとかなり広いエリアが都が管理運営する公園になっている。東八道路を挟んだところに多磨霊園があり、ここも公園のようなものだし、野川公園から人見街道を渡ると武蔵野の森公園があって、そこは先頃の東京オリンピックで自転車のロードレースのスタート地点になった所だ。とにかく広大な公園エリアで写真の題材には事欠かない。

 

写真は武蔵野公園の榎の大木。喬木でも欅のように中途半端に赤くなるのではなく、潔く黄色、それもつやがあって銀杏よりきれいかもしれない。全体の姿も枝の広がりが見事で、なんか木登りに最適な雰囲気。これまであまり意識してみた木ではなかったが、ちょっと気に入った。

 

 

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またまた出てきたコロナの変異株。今度は南アフリカ由来。一度収まりかけた南アフリカで感染の再拡大が急速に進んでいる。スパイクたんぱく質に30カ所以上の変異が確認されており、感染力がより強く、効率的に拡散する恐れがあると言われている。免疫系を回避できる懸念があるとも。まだ、データ不足で確かなことはわかっていない。

 

そんなことより、どんどん減ってきた国内の新規感染者数だが、新規の感染者は一体どこで感染しているのだろう?決してゼロにはならず、何人かが新規に発症するというのは、感染者からの感染というわけではなく、もっと散発的に感染者のいないところでも新たに感染・発症しているということではないのだろうか?感染者の体内以外にも生きたウイルスがどこかに潜んでいるという事ではないのだろうか?

 

私はこれが不・思・議

 

 

 

 

 

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「交通誘導中の警備員が車にはねられ死亡」というヘッドラインを見たので記事を読んでみた。現場は横浜市保土ヶ谷区境木町の市道環状2号。市道と言っても片側3車線、ストリートビューで見ると近くに横断歩道も信号もなく見通しもいい。ほとんど高速道路のような作りになっていて、車は思い切り飛ばしてきそうな場所である。そこで一番内側の追い越し車線に作業車を止めて中央分離帯の植栽の剪定作業をしていたというのだから、警備員は後続車に車線変更を促す旗(もしくは誘導棒)を振っていたのだろう。そこに車が突っ込み隣の車線に跳ね飛ばされて、更に後から来た車に二度轢きされた。おそらく即死だったろうと思われるが、同業者として同じような場所に立つこともある身としては、悲しいという感情よりもやりきれなさを強く感じる。

 

 

まず、最初に思うのはなぜ逃げなかったのだろうという事だ。車は正面からくる。ちゃんと見ていれば危険は察知できたはずだし、すぐ横に中央分離帯がある。おそらく被害者の警備員は直前に目を離していたに違いない。ただ、だからと言って警備員が悪いとはもちろん思わない。ひとつの事に注意を向け続ける、正面からくる車が合図に従ってくれるかどうかじっと注意しながら見ている、それを30分、1時間と続けるというのは、やってみればわかるが簡単そうで、そんなに簡単じゃない。それが高齢者ともなればなおさらである。かっこいい車に目移りしたとか、目の覚めるような美人が運転していたとか、そんな些細なことでも気持ちは切れるし、造園業者の剪定作業現場の場合、作業しながら少しずつ移動する。だから移動のタイミングを見るためにも作業の進行状況を振り返ってみるだろうし、移動に際してカラーコーンや矢印板などの保安資材を持たされることもある。昨日のように天気が良ければ飲み物に手が行く瞬間だってある。

そして、信じられないかもしれないが、道路状況は数秒で激変するのだ。走行車線を走っていた車が作業に気づかなければ、逆に追い越し車線に入ってもうすぐそこまで来てることだってあるだろうし、カーブがあればその向こうから猛スピードで迫ってきてる車だってあるかもしれない。今回の事故はほとんど間断なく車が走ってきそうな現場で起こっている。安心して目を離せる時間なんてあってないようなものだったろう。警備員に一瞬の油断があってもそれを責めることはできない。

 

作業や工事の現場で後方から来る車に車線変更を促す、それを我々は「幅寄せ」と呼んでいる。交通誘導警備員の事故はこの幅寄せする場所が最も多いと聞いている。死亡者数は毎年10人から20人の間で推移しているようだが、やはりこの位置が最も多いのだろう。警備員の安全について警備会社は自分の身の安全は自分で守れという。事故のリスクは現場によって異なる。リスクの種類も度合いも一様に語ることはできないから「自分で守れ」としか言えないのだろう。しかし、会社にしかできないこともある。契約先である業者が安全のための対策をきちんととっているか、たとえば現場で必要とされる保安資材を十分に用意しているかどうか。保安資材の不備を気にしない業者には警備員は行ってはいけない。会社にはそれをはっきりと言うべきだし、業者に対しそれを要請するのは警備会社として当然の事で、事故のリスクに目をつぶって売り上げを気にする会社であれば警備員を守ろうという気概は皆無と言っていいだろう。

 

そして、最後は自分で守るしかない自分の安全。まず今回のような幅寄せの現場では、「道路の側端」に立てと教科書は教える。車の正面に立ってはいけない。路肩付近に立って、何時でも逃げられるようにしておけ、ということだ。それと合図を大きく出せという事。いつも気になるのだが、まるで団扇を仰ぐように顔の横で小さく旗を振っている警備員、あれはやらないほうがいい。住宅地の中のあまり車も通らないような現場ならそれでもよかろうが、交通量が多い道路、幹線道路では合図は大きく出すべきで、何より自分がそこに立っている、ここに人がいるんだという事を車にわからせる、そのことのためだけでも合図は大きくするべきだと私は思う。

 

仕事中、誰とも話をせず黙々と旗を振る。正面から車は来るが、そうは言っても事故なんてめったに起こるものじゃないし、勘違いする輩もいて、そこが一番楽だと思っている。しかし、一番危険な場所でもある。交通誘導警備をやっていて思うことは、この一見退屈な持ち場でも1日気を抜かずに立っていられるかどうか、誘導のどんなスキルよりも、実はそれが一番難しい事だと私は思っている。おそらく、そんな能力をもともと持ってる人間なんていないだろうと思う。自分で鍛えるしかないのだ。

 

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被害者の方のご冥福を心よりお祈りします。

 

 

 

 

 

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