ココハドコ? アタシハダレ? -17ページ目

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

 今年は運転免許の更新だとはわかっていたが、年寄り扱いはまだ先だと思っていたらダメだった。幸いうちのすぐ近くの教習所が高齢者講習を受け付けていて、行ってきた。所内の狭いコースで実車、運転評価。そのあと視力検査。ここんとこパソコンの前に座りっぱなしで、眼がしょぼつくことが多いのだが何とかクリア。

 

 

静止視力、左右は0.9と0.6のガチャ目は目の疲れが原因と思うが、両目でやったら1.5には自分でびっくり!かけてる眼鏡は1.0に合わせて作った眼鏡だ。どうなってるんだか・・・

自分でもよくわからない。

動体視力の0.3は年齢の平均かちょっといいくらい、夜間視力はなぜか20代の若者クラス。水平視野も年齢平均よりはずっといい。しかし、これも20代の若者は200度くらい見えるらしい。顔を正面に向けた状態でも自分の肩が見えるらしい。教官はそう言ってた。私が若い時はどうだったかといって、自分の肩なんて見えた記憶はない。ガマガエルみたいに目が左右に広がってんじゃねえか???としきりに疑ってる。

 

 

 しかし、途中暇を持て余すような2時間の講習で8000円は高いよな。少子化で客が減ってるのか、年寄りからふんだくる魂胆だろう。猛暑もあるだろうが夏休みにしては客は少なかった。

やれやれ、高齢者講習の修了証をもって次は運転免許試験場。そこでまたふんだくられる。一応ゴールドなんだが容赦なしだな・・・

 

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 最近、数十年ぶりに「朝生」を見てる。田原総一朗、よく続くなあ、すっかりジジイになってしまったが、変わらずよく吠える。ただ吠え方にいら立ちのようなものを感じる。自分の寿命を感じてるのだろう。血を吐いてでもこれだけは伝えたいという思いがある、そんな姿に見えて身につまされる。視聴者や共演者はどこまでそれを受け止めているのだろう?

 

 何をやっても政治は変わらない。そう思ってる若者が多いのだろう。何もしなくても「しなかった責任」はいずれ問われることになる。先行世代を責めたところで、その時には先行世代はみんな死に絶えてる。選挙が宛てにならず、それでも言うべきことがあるならストでもデモでもやればいいのだ。場合によっては暴動になるのも仕方ないかもしれない。民主主義とは「民」に声を上げる権利があるということだ。言論の自由も表現の自由も絶対的なもので、それを抑圧する権利など本来どこにもないはずだ。

 

 

 

 

 

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 カメラを持って散歩に出るのは特にこれが「趣味」と言えるほどのものではないのだけれど、それでも、一応撮った写真の「出来」は気になる。気にはなるけれど、よくよく見ると、いつも同じ写真を撮ってるような、いやな気分になる。ファインダーをのぞきながら、自分なりに気に入る構図でシャッターを押すのだけれど、その構図がマンネリ化している。他人の撮った写真を見ていいなと思うことはしばしばあるのだが、なぜ、それを自分で撮れないか、カメラやレンズの特性を熟知していたとしても多分同じものは撮れない。所詮感性が違うのだ。感性を鍛えないことにはいかんともしがたい。

と、そんなことを思いつつ、出来の良し悪しを気にせず、いつもと違う感じで撮ってみたのが今日の写真。

 

 

 

 近所を散歩しながらファインダーを覗いていると、被写体というのはどこにでもあるんだという思いを強くする。しかし、私の場合そう思えるのはモノクロで撮っている限りである。撮ったものをカラーで見るて良いなと思う経験はあまりない。なんでモノクロなんだと時々思うのだが、その答えをある映画の中にみつけた。

 

 

 映画のタイトルは「都市とモードのビデオノート」。ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースが日本のファッション・デザイナー山本耀司氏を取材したドキュメンタリーである。制作されたのは1989年、パリ・コレ準備中のアトリエでのインタビューが中心になっているが、知られている通り山本耀司氏のデザインはほとんど黒い生地で統一されている。なぜ、黒かという質問に氏は次のように答えている。

 

 「私にとって黒は単純なのです。私が作りたいのはシルエットやフォルムなので色は必要ないのです。黒の生地は生地でしかない。何らかの色がついていると、そうした色によってさまざまな感覚や感情がついてきてしまう。それがうるさいのです。新しい風合いを作り出したい時、私はいつも黒の生地で作り始めます。白地や染めてない生地、自然色の生地、灰色の生地も何かの意味を持ってしまうので嫌なのです。意味が嫌なのです。」

 

 

 作りたいのはフォルム、色についてくる感覚や感情が「うるさい」という。そうか、そうだったのか、色はうるさいと言われれば全くその通り。もちろんカラー写真にも素晴らしいものはたくさんあるが、私が撮ったものに関する限り、ロクなもんじゃない、ただひたすらうるさい。その言葉がドンピシャで思わず笑ってしまった。

 

 

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 ヴィム・ヴェンダース監督の作品にはモノローグ・シーンが多い。監督自身が映画とは何か、人生とは何かと自問自答しながら制作しているようである。「都市とモードのビデオノート」も冒頭からいきなり監督自身のモノローグで始まる。

 

 「君はどこに住もうと、どんな仕事をし何を話そうと、何を食べ何を着ようとどんなイメージを見ようと、どう生きようと、どんな君も君だ。独自性ー人間の、物の、場所のー独自性。身ぶるいするいやな言葉だ。安らぎや満足の響きが隠れている”独自性”。自分の場、自分の価値を問い、自分が誰か”独自性”を問う。自分たちのイメージを作り、それに自分たちを似せる、それが”独自性”か?作ったイメージと自分たちとの一致が?」

 

 「独自性」とか「個性」という言葉は今でも生きているのだろうか?

 私の場合、学生時代に先輩から「個性なんてものはないんだよ、そんなものを信用するな」と教えられて以来死語になっているのだが、今の若い人たちはやはり「独自性」とかいう幻影を追いかけているのだろうか?

 この監督にとって「独自性」とは山本耀司氏の「色」と同じく「うるさい」のだろう。自分が誰かって?誰でもないのが我々なのだ。名づけることのできる自分なんてどこにもいない。私はそう信じる。私は誰よりも無名でありたいと、そう願っている。

 

 

 

 

 

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東京都美術館でアンリ・マティス展をやっている。20年ぶりの大回顧展というので行ってきた。

 

 

 マティスは1869年の生まれで、ピカソより12歳年上になる。それだけパリの美術界の注目を浴びたのも早い。4年ほど前にナショナルジオグラフィックでピカソの伝記ドラマをやっていて、その中で、マティスの絵を見て若きピカソが激しく動揺するシーンがあった。

 

 「デッサンは稚拙だし遠近感がなく平坦だ、全てがでたらめだ。なのに息をのむ。理解不能だが躍動感がある。(…中略…)マティスは全てのルールを曲げたんだ。僕は壊したい。」

 

 実際にピカソがそんなことを言ったかどうか、あくまでドラマ上の話だが、マティスに対して激しい対抗心を抱いたということはあったのだろう。ドラマでは、この時ピカソが目の前に見ていたのが、今回の展覧会にも出品されている「豪奢、静寂、逸楽」と題された作品で、新印象派のポール・シニャックの技法を実験的に使ったものと言われている。残念ながら撮影禁止で、ここで紹介はできないが上にリンクを張った特設サイトのトップに出てくる作品がそれである。

 マティスはいわゆる「野獣派」代表のように言われている。「野獣派」という名前は1905年のサロン・ドートンヌに出品された一群の作品が、原色を多用した強烈な色彩と激しいタッチに彩られているのを批評家が「あたかも野獣(フォーヴ、fauves)の檻の中にいるようだ」と評したことに始まるとされている。が、マティスが「野獣派」と呼ばれた時代は案外短かったらしく、今回の展示でも「原色を多用した強烈な色彩と激しいタッチ」を感じさせる作品はそう多くはなかった。

 

    

     ニースの室内、シエスタ(1922)        夢(1936)

 

 マティスが絵を描き始めた19世紀後半は「写真機」なるものが発明され普及し始めた時代でもあった。多くの画家は、目の前のものをそのまま絵にする「写実」では「写真機」には勝てない、そんな限界を感じただろうと想像することは意味のないことだろうか。印象派以降の絵画の抽象化の流れにはそんな背景があったと思えてならない。画家にあってカメラにはないもの、それが何であったかというと「造形力」ではなかったか。印象派以降の画家たちの苦しみは常に「造形」する苦しみではなかったかと想像する。そんな苦しみの中で、マティスは色彩を革新し、更にはアフリカの芸術に魅せられ、その足跡を彫刻作品に残している。ピカソは故郷イベリア半島の古代美術にインスピレーションを得て「アヴィニョンの娘」を制作している。遠近法を破壊した「キュビズム」の嚆矢となった作品である。

 

                  眠る女性(1942)

 

パイプをくわえた自画像(1919)

 

 芸術家に限ったことではないが、人は人生の中で大きく変化してゆく。中には変化を嫌う者もいるけれど、芸術家というのはなかなか自己満足できない人種なのだろう。マティスもピカソも大きな変化を何度か見せている。マティスの晩年は切り絵に代表されるが、切り絵を見ても絵を見ても、あるいは彫刻を見ても、「あ、マティスだ」と、何度変化しても分かってしまうマティスらしさのようなものがある。それは素描などに端的に表れるマティスの「線」が醸すものだろうと思う。実にやさしい柔らかな線で、上の「眠る女性」に端的に表れている。こんなに柔らかな線を引ける人を私は見たことがない。マティスは線と色彩の相克に苦しんだと言われているが、この素描を見ているとわかるような気がする。この上、どんな色彩が必要なのかと。

 

 さてさて、「野獣派」とはいったい誰が見た夢だったのか、そう思わざるを得ないのである。

 

 

 

 

 

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