「難民アシスタント養成講座」の児玉晃一弁護士の講座の中で「マクリーン事件」への言及があった。気になったので調べてみた。
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この事件はアメリカ人ロナルド・アラン・マクリーンさんが起こした行政訴訟である。1969年に来日、日本の語学学校で教師をしていたマクリーンさんが翌70年に在留期間を1年延長しようと申請したところ帰国準備期間として120日の延長が認められたのみで、法務省入国管理局はそれ以上の延長を認めなかった。マクリーンさんはこの不許可処分の取消しを求める行政訴訟を起こした。
この裁判で法務大臣は不許可の理由としてマクリーンさんが無断で転職したこと、及び日米安保反対、ベトナム反戦などの政治活動を行ったことを上げている。マクリーンさんは英語教師として生計を立てつつ、日本の古典音楽に深い興味を持ち、琵琶や琴を習得しようと専門家に師事し、練習や研究を始めていたが、それを「転職」と受け取られたらしい。政治活動もビラを配ったり、デモに参加した程度でとりわけ過激な行動をとったわけでもなさそうである。
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この裁判は最高裁までもつれ込んだが不許可は覆らなかった。その判決文の要点は3つあるかと思える。
1)「憲法上、外国人はわが国に入国する自由を保障されている者ではないことは勿論、在留の権利ないし引き続き在留することを要求し得る権利を保障しているものでもない」
●入国の自由は保障されていない。(決めるのは国だ!)
2)「出入国管理令の規定の仕方は法務大臣に一定の期間ごとに当該外国人の在留中の状況、在留の必要性・相当性等を審査して在留の許否を決定させようとする趣旨であり更新事由の有無の判断を法務大臣の裁量に任せ、その裁量を広汎なものとする趣旨である」
●在留の許否は法務大臣の「広汎な」裁量で決まる。(決めるのは俺だ!)
3)「基本的人権の保障は権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、我が国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位に鑑みこれを認めることが相当でないと解されるものをのぞき、その保障に及ぶ。しかし、外国人に対する憲法の基本的人権の保障は外国人在留制度の枠内で与えられているに過ぎない。すなわち在留期間の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情として斟酌されないことまでの保障が与えられているものと解することは出来ず、法務大臣の本件処分を違法であると判断するは出来ない」
●法務大臣の裁量は基本的人権より上。(やるのは勝手だが、不利に働くこともあるぜ!)
この最高裁の判決における「外国人の人権は在留制度の枠内で保障」という文言を根拠に入管は「(人権の保障の及ばない)在留資格のない人には外で活動する自由はない」という「ものすごい論理」を持っていると児玉弁護士は語っている。
人権の保障が及ばないのであれば何をやってもOKみたいな気分なのだろう。被収容者が病気になって死んでも、裁量だから結果いかんにかかわらず「適正に処理した」と言えば済む。仮放免を申請してもいつ結果が出るかもわからず、その理由もわからない、許可でも不許可でも理由が開示されないというのは、すべてが「裁量」だからだろう。だがしかし、最後に書いておきたい。
裁量であればあるほど、裁量する人間の人間性が出るという事を
法務省や入管の人間はわかっているだろうか?
最高裁の判決は1978年で、日本の国際人権規約批准(79年)や難民条約・議定書加入(82年)によりも前の出来事ではあるのだが、すでに40年以上たってもこのありさま。だからかどうか、入管は離職率も高いらしい・・・・