高松塚古墳に向かう途中、文武天皇陵と治定されている栗原塚穴古墳に立ち寄る。この古墳と高松塚を挟んでちょうど反対側、北側にある中尾山古墳が真の文武天皇陵とする説も近年の調査から有力になっているらしい。
文武天皇は第42代、在位期間は697年- 707年の10年、14歳で即位し24歳で崩御。祖母持統天皇の譲位を受けて即位したが若かったため、持統が初めて太上天皇を称し後見役についたという。後の院政の原型と言われている。文武天皇の在位中の出来事として大宝律令の制定(701年)がある。
681年に天武天皇に制定の詔が発せられ、20年をかけて編纂された大宝律令によって天皇を中心とした本格的な中央集権統治体制が成立したといわれている。
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その文武天皇陵の裏、道を挟んですぐのところに公園化した高松塚古墳がある。下段の直径23m、上段直径18m、高さ5mの二段式の円墳で、築造は7世紀末から8世紀初頭とされている。形状も推定される築造時期もキトラ古墳とほぼ同じ、サイズ的にはやや大きい。
被葬者には忍壁皇子、高市皇子ら天武天皇の皇子という説、朝廷の高官だった石上麻呂という説、朝鮮半島系王族という説など諸説あって結論は出ていない。
石室内で発見された壁画は実物は公開されていない。発見後外気に触れた事や、その他さまざまな原因で黒カビが発生し急激に劣化が進んだらしい。隣接する「高松塚壁画館」で発見時の精密な模写と修復後の模写を見ることができる。極めて貴重な歴史資料であり、当然国宝にも指定されているが、その保存については未知の部分が多く、これからも並大抵のことでは終わらないだろう。2020年3月、カビなどを除去する修復は終了した。将来は石室に壁画を戻したいというが、その後の劣化防止の技術にメドはたっていない。
この写真は墳丘の前に設置された説明の銘板に掲載されたもので、黒っぽい部分がカビで汚れた個所かと推察。