what im thinking -4ページ目

LONDON

ロンドンでの生活も残りあと2日
僕の人生にどれだけの興奮と影響を与えたかはかり知れないと思う。

この生活での感想や考えはもっと時間のある時にしっかりまとめて書き上げたい。

ただただ、今は1年の生活の中で生まれた出会いや経験に敬意を表したい。

































映画


ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(見たい)

ダリオ・アルジェント監督(見たい)

ピーター・グリーンナウェイの枕草子(見たい)

レクイエム・フォー・ドリーム:監督;ダーレン・アロノフスキー

ロック・ユー:ヒース・レジャー主演

東京ゴッドファーザー(アニメ):監督;今敏

パプリカ(アニメ):監督;今敏 音楽;平沢進

コントロール:レイ・リオッタ ウィレム・デフォー 出演

リクルート:アル・パチーノ コリン・ファレル 出演

いたずらに遊ぶ自然なら僕は許さない

人間とはなんと悲しい生き物なのだろう。
こんなにも弱い生き物なのになぜ心という切ない空虚を持ってしまったのだろう。
人は死ぬ、そしてその死はすべての人間が共有しなければならない唯一の平等。
そして、残されたものはその死を受け入れなければならない。
進化していく人間、その始まりは心を持つということ。
その心を持つということは、僕らがこの世界で優勢種族として生きることができるようになったきっかけであり、知的生活を送ることへの好奇心でもある。そして、それは原始的な本能と進化の上に成り立った歴史が築き上げたモラルとその理性を中和する。
そう、人間が人間的に生活を送るということは心の種が芽を出したことに始まると僕は思う。
しかし、それとは裏腹に人間はその心を持つことで、思いがけない残酷さを思い知ることになった。
その心のもつ力、その大いなる力は大いなる責任を生む。
ぼくはその大きさに押しつぶされそうだ。
なぜ、自然界はそのことを予期していながらこの力を人間に与えたのか僕にはわからない。
それが偉大な自然の無責任な遊び心から出たゴミの塊なら僕はそれを許さない。
いたずらに遊ぶ自然界にとっては人一人の死に対する悲しみなど人間の屁以下のそれでしかないかもしれない。ただ、僕らにとってのその重みは計り知れないものだ。
自然はその重みをもっと重く捉えていたなら人間に心を与えることを少し躊躇したに違いない。
もしくは、自然がそのことを考えた上で人間に心を与えたというのなら、話は別だ。
僕らには、それを乗り越える、死と闘うことのできる、そして、自然がその大いなる力を与える価値のある生物であると見なしたなら、僕らはその死を重く考えその瀬戸際で生きることをもっと大きな視点で捉えなくてはならない。そして、僕らはこの大いなる責任に押しつぶされてはならない。もしこの自然がその考えの基、僕らに力と責任を与えたというのなら、僕は彼らに感謝の意を込めて敬愛したい。なぜなら、僕らの心には人の死を乗り越えるだけの力があるということを信じるに値する要素があるのだから。そして、それを受け入れるだけの力があるのならば、僕ら生きているものは生きていることに感謝し、生きることを投げ出してはならない。生きること、一つの生命がその道の中でできることを精一杯しなくてはこの自然の苦渋の決断の重みを軽薄なものにしてしまうことになる。死んでいった者たちの礎に立つ生きる者はそこに立っているということを知らなければならない。そして、自分自身にできることをするべきだ。その礎となるべく。僕はそのことを軽薄に考えていた気がする。生きるということは苦しみに耐えることなのだと胸に刻み日々の怠惰を呪わなければいけない。



生と死、この間に介在するのは何なのだろう。
1秒の間に変わってしまう世界、生きていたものが死んでしまうことでなんでこんなにもなくなってしまうのだろう。
今思った。僕が言語の世界で物事を考えてしまうから、話が複雑になるのかもしれない。
言語の世界では1つの言葉が変化するにすぎない、しかし現実にはそれは数えられないいくつもの事柄、人間が一つの生命に関わっている。だからそこには言葉の世界と現実とのギャップがあって、そのギャップが僕に少し不可解な神秘を感じさせるのだろう。
真実は言葉では表せられないくらい複雑でましてやそれが人の死となると、その死は死という文字では到底表わし切れていない。だから、死という言葉にはピンと来るものが全くない。それが人の死を目の当たりにしたことのない人間ならなおさらのことだろう。その点僕もまだ自分のなかで死というもの体験したことがないのだからわからないのも当然なのかもしれない。








最近見た映画。
187処刑宣告
ゴーストワールド
アニメ;ぼくらの








あなた方の死は僕に最大の意味を与えてくれた
彼らのくれた最後の愛情はその人自身の死をもって僕の中に残る
心の気絶は消えて、その糧が僕のその中に残り続ける
葉っぱ湖の上にひらひらと落ちる
その時の波紋のように僕の心の水は少しあふれる
その水は僕の心からなくなってしまうけど
その代わりに僕は葉っぱを持つことができる
永遠の葉
何人もその葉を僕の心から取ることはできない
永遠の葉
最後にくれた宝物

ロンドンに着いて

ロンドンに帰ってきた。
この町はやっぱり刺激が多いきがする。
それは、何かをしなければいけないという強迫観念にも似た感覚だ。
とにかく、この1カ月いろんな人に会っていろんなことを楽しみたい。
多くのことを知り、多くのことを体験したい。
日本に帰ってしまうことの悲しみはあまりないけれど、日本では感じること見ることのできないたくさんのことを享受できる。
1日も無駄にすることなく、行動し続けることを目標に暮らそうと思う。





つい何分か前に僕の中にクラゲが姿を現した。
そのクラゲはすごく綺麗で水槽の中をプクプクと遊泳している。
今まで感じたことはなかった。
ただ、その映像が僕の頭を過ぎった。
最近、思う。
動物をは美しい生き物だと。
動物を見ていると不思議な感覚を感じるようになった。
今までは動物を見たり触ったりしてもそんな感覚は訪れなかった。
それは、心のどこかで人間以外の動物を見下していたからではないか。
ただ、今は何かを感じる。
それを今は具体的に説明できないけれど、それは美しいものでありふわふわとしたここちのよい感覚。
海の上に浮かぶ時や浴槽に浸っているときに似た。
奇妙なことに自分以外のことに興味を持ち始めている。
今までは自分のことばかりだった気がする。
生きるということは進むこと。
心の成長なのかもしれない。





映画

マッチスティックメン:2003年、監督:リドリー・スコット。リドリー・スコットの映画にしてはいつもとは性格の違った作品。でも、センスの良さやそのスタイリッシュな辺りはさすがというべきだと思う。芸達者なニコラス・ケイジが主演でその演技は脱帽。疾走感のあるストーリー、エンターテイメント性、また血の気の少ないスリリング、垣間見えるコメディ、多面性があるこの映画は映画としての価値はすごく高いと思う。

アモーレス・ペロス :友達の紹介してくれたメキシコ映画。日本語で犬のような愛という意味らしい。監督はアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。冒頭を説明してもらって見たくなった。






今日はいろいろな友達に会った。
人と分かち合う時間を大切にしたい。