木枯し紋次郎 | 懐古趣味親爺のブログ

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一宿一飯の義理人情に背を向け、事件に巻き込まれては、正義感から立ち上がるのでなく、個人的な怒りや身を守るために戦うという、従来の股旅ヒーローにないキャラだったのが木枯し紋次郎です。笹沢左保の人気小説をドラマ化した『木枯し紋次郎』は、市川崑が監督し、第一部前半(1~9話)がフジテレビ系列で1972年1月1日~2月26日に放送。主演の中村敦夫が撮影中にケガをして、後半(10~18話)は72年4月1日~5月27日に放送されました。

「無宿渡世に怒りを込めて、口の楊枝がヒューと鳴る。あいつが噂の紋次郎」と、芥川隆行のナレーションにあるように紋次郎のトレードマークは口に咥えた長楊枝。身を包むのは、薄汚れた長くて厚い木綿の道中かっぱ。「テレビの画面効果を考えて、原作より長い楊枝にしました。原作では時々、武器にも使っていましたが、テレビでは紋次郎の心の動きとしての効果を狙いました。大きな三度笠、ダブダブの道中かっぱというスタイルも、リアリティから考え出されたものです。夜も昼も旅なんですからね。やっぱり、それに適応しないと不便でしょうから。紋次郎の気持ちになったら、あんなデザインになった」と、市川崑は語っています。

紋次郎の楊枝は武器としても使われましたが、もっぱら相手を威嚇するのに使用。「月に吼えた遠州路」のエピソードでは、どちらが先に地上に立てた竹筒を倒すか、居合の達人が紋次郎に試合を挑んでくるのですが、紋次郎は焦りもせずに楊枝で竹筒を倒して見せます。その他、楊枝は虫を刺し、着物を刺し、貼り紙を刺し、木を刺しと殆ど万能。その飛距離は5メートルに達する時もありましたな。おおむね楊枝は、ラストでその回を象徴するものを突き刺しますが、最終回では、紋次郎は天に向かって楊枝をとばします。もう、楊枝で刺すものはないと言っているかのようにね。

主演の中村敦夫は俳優座の役者でしたが、千田是也に反旗を翻して飛び出しており、当時は演劇界を代表するラディカルな存在。それが、紋次郎のキャラにマッチしたんですね。中村のクールな流し目と、ハスキーで甘い声は女性ファンをつかみ、最高視聴率32.5%を記録。中村敦夫はこのドラマで大ブレイクしました。

でもって、記念すべき第1話「川留めの水は濁った」は、紋次郎の姉を殺した男との対決。紋次郎は佐太郎(小池朝雄)の賭場で女壺振りのお勝(小川真由美)に姉の面影を見ます。お勝は弟の茂兵衛(植田峻)とイカサマで50両の金を稼いで逃走。佐太郎たちは金を取り戻すために追いますが、紋次郎がお勝を助けます。大井川の川留めで過ごすことになった紋次郎はお勝と昔話。お勝と佐太郎は同郷で、佐太郎が姉を殺して逃げた男と教えられます。紋次郎はお勝を襲ってきた佐太郎に姉について尋ねますが……

お勝との昔話で、紋次郎が新田郡三日月村の生まれで間引きされるところを10歳年上の姉に救われたことを語ります。嫁ぎ先で姉が急死(血を流して死んでいた)したことを知り、10歳の時に家をとび出したとのこと。「あっしには関わりござんせん」が流行語になりましたが、中村敦夫のセリフは「あっしには関わりのねえこって」です。火野正平(当時は二瓶康一)がチンピラやくざ役で出演していましたよ。