太陽の季節と狂った果実 | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

『太陽の季節』で石原裕次郎は映画デビューし、『狂った果実』で主演して日活映画の方向が決まります。

『太陽の季節』(1956年・日活/監督:古川卓巳)は、誰でも知っている石原慎太郎が芥川賞を獲った小説の映画化。

高校生の津川竜哉(長門裕之)は、ボクシング部の仲間とタバコ・酒・バクチ・女遊び・喧嘩と奔放な生活をしています。街でナンパした娘・英子(南田洋子)と肉体関係を結び、英子は次第に竜哉を愛するようになりますが、竜哉は英子に付きまとわれるのに嫌気がさし、兄・道久(三島耕)へ5千円で譲渡。英子は妊娠しており、その金を道久に払い戻しますが、妊娠中絶に失敗して死にます。

石原裕次郎が主人公のボクシング部の友人役でデビューした記念すべき作品。裕次郎が主演した『狂った果実』と比べると、演出は古くさいし、明るい虚無感も表現できていない凡作。それでも、原作の持つ話題性で興行的に成功し、社会的反響を呼び“太陽族”が流行語となりました。それまでパッとしなかった日活が、時代の青春像を若い俳優で描いていくという方向性を確定。この作品をプロデュースした水の江瀧子は、長門裕之でなく裕次郎を主役に考えていましたが、素人はダメという会社の反対にあったとのこと。それで、湘南風学生言葉の指導ということで撮影所に連れ出し、強引に主人公の友人という役で出演させたそうです。出演場面では、放射線のようなオーラをはなっていますね。背が高く、不良っぽい雰囲気の中に育ちのよさそうな上品さ、明るさを持った、これまでにないスターが登場したので~す。

ちなみに、若者文化の風潮として○○族(みゆき族、カニ族、竹の子族など)が流行語になりましたが、そのハシリが太陽族といえるでしょう。

 

『狂った果実』(1956年/監督:中平康)は、“太陽族”映画の二匹目のドジョウを狙って、『太陽の季節』で魅力を発揮した石原裕次郎主演で製作。

湘南のリゾート地帯の裕福な家庭の大学生・夏久(石原裕次郎)は典型的な不良で、仲間のフランク(岡田真澄)たちとアチコチ遊びまわっています。弟の春次(津川雅彦)は兄たちの行動を軽蔑している純真な青年。ある日、春次は父親の別荘にきているという美しい女性・恵梨(北原三枝)に出会い、恋をします。一方、夏久も恵梨と知りあい、ダンスパーティで踊り、彼女の言動から春次が言っているようなお嬢様でないことを確信。そして、弟にふさわしくない女と考え、彼女をモノにします。春次はそれを知って激怒。恵梨が米軍将校のオンリーだったことも知り、余計にショックを受け……

大俯瞰で捉えたラストの映像は鮮烈。中平康の初監督作品ですが、その演出は、既成の映画文法にとらわれないショットの飛躍や早撮りによって新鮮な感覚を与え、裕次郎の魅力と相俟って興行的にも大ヒット。新しい監督とスターが華々しく誕生し、映画史に残る作品となったのです。フランスでは、『青春の情熱』という題名で公開され、フランソワ・トリュフォーに影響を与えたことから、後年、日本のヌーベルバーグのハシリと賞賛されました。だけど、当時の映画雑誌では、ベストテンに一票も入っていないんですよ。映画批評家たちには、流行にのっただけの少し毛色の変わった映画にしか映らなかったのでしょう。