いちご白書と八月の濡れた砂 | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

映画を観るより先に、主題歌に惹かれた青春映画が『いちご白書』と『八月の濡れた砂』です。

『いちご白書』(1970年/監督:スチュアート・ハグマン)は、私が学生時代に観て共感した青春映画。サイモン・ジェームズ(ブルース・デーヴィスン)の大学は学園紛争中。大学当局がハーレムの子供たちが遊ぶ遊園地を取りあげて予備将校訓練隊のビルを建てようとしたのが発端。ボート部に籍を置くサイモンは、好奇心から改革派の学生たちが立て籠もっている大学本館にカメラ片手に出かけます。ガードしている警官をごまかして中に入ると、何もかも刺激的。食料係の女子学生リンダ(キム・ダービー)と知りあい、秘密の出入り口から食料調達に行きます。サイモンはボート部の練習にも怠らず、抜け出して朝早くからボート部へ。リンダとサイモンは急速に親しくなりますが、学園紛争をゲームのように考えているサイモンの態度が気に入らず、リンダは彼から離れます。リンダがいないのに学園で座り込みをしても味気なかったのですが、右翼的なボート部員と喧嘩したサイモンは意地になって本気で闘争開始。リンダも戻ってきて二人は闘争にのめりこんでいきます。学園当局は実力で封鎖解除することを決め、武装警官が州兵の応援を得て学内に突入。

ベトナム戦争の勃発により、学生たちは祖国アメリカの正義に対して根本的な疑惑を抱くようになりました。そうした国家体制への疑惑が、身近な学園内の不合理への不満と重なって、当時アメリカの大学では学園紛争が頻発。この作品は、1968年4月にコロンビア大学で起きた学園闘争を基にしています。バフィー・セント・メリーが歌う主題歌「サークル・ゲーム」のほか九つの歌曲が全体的にソフトなムードを生み出していますが、ラストの武装警官隊がジョン・レノンとポール・マッカートニーが作った「ギブ・ピース・ア・チャンス」を大合唱する学生たちに襲いかかる長く荒々しいシーンは強烈。反体制的な学園紛争がテーマになるなんて、まさにニューシネマ時代の青春映画といえます。

ちなみに公開当時、映画主題歌として「サークル・ゲーム」はラジオで流れていましたが、日本ではこの作品が話題になることはありませんでした。学生が観にきているかと思ったのですが、意外や映画館はガラガラ。後年、バンバンが歌った「いちご白書をもう一度」がヒットし、話題になったくらいです。♪~いつか君といった、映画がまた来る~ということは、なかったので~す。

 

『八月の濡れた砂』(1971年・日活/監督:藤田敏八)は、ロマンポルノに移行する寸前の作品。石川セリの歌う主題歌をラジオの深夜放送で聴いて興味を持ち、二番館か三番館で観たのがこの映画。

朝の海辺、オートバイをぶっとばす清(広瀬昌助)は、オープンカーから服を破かれ裸で放り出される少女・早苗(テレサ野田)を目撃。清は無人の小屋へ早苗を連れて行き、家に帰って服を持ってきますが早苗の姿は消えています。しばらくして、早苗の姉・真紀(藤田みどり)が清を訪問。真紀は清を暴行犯人と思って警察につきだそうとします。怒った清は、真紀に襲いかかりますが途中で気が変わり、親友・野上(村野武範)の母が経営するバーへ。野上と一緒に酒を飲んでいると、野上の母の愛人・亀井(渡辺文雄)が現れ……

湘南、無軌道な若者たち、大人への反抗、そしてセックス。『狂った果実』で始まった日活青春映画は、同じようなテーマを持つこの作品で終焉します。若い世代の倦怠と虚無感、したり顔の大人の偽善に対する反抗が、就職したばかりでしたが私の心情にマッチして共感し、主題歌が流れるラストシーン(『狂った果実』のラストシーンをリスペクト)で青春というものの脆さを実感し、感動したのです。

♪~あの夏の、光と影は、どこへ行って、しまったの~