エデンの東と理由なき反抗、そして悲しみよこんにちは | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

愛に飢えた青年の青春を演じるためにこの世にやってきた感じのジェームズ・ディーンは、自分の可能性を放棄したかのようにわずか3本の映画だけで暴走の彼方へ消えてしまいました。自らの青春のテーマそのもののような作品が、『エデンの東』と『理由なき反抗』です。

『エデンの東』(1955年/監督:エリア・カザン)は、肉親の愛をもとめてさすらい苦悩する青年の物語。

1917年のカリフォルニア、港町モントレーから25キロ離れた農村サリナスの町で農場を営むトラスク(レイモンド・マッセイ)にはキャル(ジェームズ・ディーン)とアロン(リチャード・タヴァロス)という息子がいます。スタインベックの原作では双子となっており、映画でも名前で呼び合って、どちらが兄でどちらが弟か不明。二人の性格は全く異なり、アロンは誠実温厚でキャスは気難しい暴れっ防。父から死んだと聞かされていた母が生きていることを誰からか聞いたアロンは母と会うためにモントレーに来たところから物語は始まります。母のケート(ジョー・ヴァン・フリート)はいかがわしい酒場の経営者。父の旧友である保安官(バール・アイブス)から母のことを聞いたキャルは、自分の性格が母に似ており、そのせいで父から愛されていないのではないかと悩みます。アロンの婚約者アブラ(ジュリー・ハウス)は自分も同じ悩みを抱えていた時があって、キャスを理解。キャスは父の愛を得るために、父の仕事を手伝いますが、彼のやり方は父の考え方と違っていて逆に反感をかいます。レタスを冷蔵保存して東部へ運ぶ列車が雪崩で通行不能となり、レタスが腐って大損害をこうむった為、父の損失額を取り戻すためにキャスが考えたのが第一次大戦で高騰している大豆。資産家のハミルトン(アルバート・デッカー)と組んで大豆取引で大儲けをしますが……

有名な映画ですが私が観たのはつい最近。50年以上前に洋画劇場で観たというカミさんと一緒に観たのですが、モノクロ映像でなくシネスコワイド画面だったことに感動していましたよ。昔は白黒テレビで、テレビサイズにトリミングされた、カットされたシーンもある映画を観ていたんですな。BSシネマ放送には入江の全景を見せる序曲までついていました。

公開当時はシネスコ最高傑作と云われた作品で、カザンはシネスコの広い画面を十二分に活用した美しい映像を見せています。しかし、この作品はジェームズ・ディーンの演技につきますね。非情に感受性が強く、繊細な中にふてぶてしさもあり、適量の甘さもあります。まさに、この作品に出るためにこの世にやってきたといえる存在で~す。

 

『理由なき反抗』(1955年/監督:監督:ニコラス・レイ)は、デビュー作『エデンの東』で大人気となったジェームズ・ディーンが人気を不動にした主演二作目。

親との間に愛の交流がない17歳のジム(ジェームズ・ディーン)は、ヤケクソな行動に走っており、泥酔して警察に補導されます。警察署でジムと同じように補導されていたのがプラトン(サル・ミネオ)とジュディ(ナタリー・ウッド)。彼らも同じように親の愛に飢えています。暴力行為で転校を繰り返すジムが新しく通うことになった学校でプラトンとジュディに再会。ジュディはバズ率いる不良グループとつるんでおり、バズから喧嘩を売られ“チキンレース”で対決。チキンレースというのは、崖に向かって自動車を走らせ、先に飛び降りた方が臆病者で負けというゲーム。ジムはギリギリで飛び降りますが、バズは崖下に落ちて死亡。ジュディとの愛が芽生え、ジムはプラトンが教えてくれた空き家へジュディと逃げ込みます。空き家にやってきたプラトンは、グーン(デニス・ホッパー)たち不良グループが追っていることをジムに知らせますが、グーンたちが空き家を発見。プラトンは家から持ち出した拳銃で不良のひとりを撃ったことからパニックとなり、プラネタリウムに逃げ込んで籠城。騒ぎは大きくなり、警官隊がプラネタリウムを包囲し……

題材はありふれた非行少年もので、ニコラス・レイの演出も際立ったものがありません。ジムがプラトンを救おうと英雄的行動をとったり、父親(ジム・バッカス)が改心したりするラストは予定調和型。名作といっても、ジェームズ・ディーンの圧倒的魅力だけの作品です。往来にねころぶディーンのクローズアップから始まり、ちょっとした手の動き、眉の上げ方、口のまげ方を通して、孤独と気概と不甲斐なさを同時に体現させるディーンの演技力には魅了されます。プラネタリウムのロケ地となったロサンゼルス(グリフィス)天文台の広場にはジェームズ・ディーンの銅像がありま~す。

 

上記2作が男の子の親への反抗だったのに対し、女の子の反抗を描いたのが、『悲しみよこんにちは』(1958年/監督:オットー・プレミンジャー)です。原作は、フラソワーズ・サガンが18歳の時に書いたベストセラー。

天真爛漫やや奔放な娘セシール(ジーン・セバーグ)は、南仏海岸の別荘で裕福なプレイボーイの父(デヴィッド・ニブン)と、父の愛人エルザ(ミレーヌ・ドモンジョ)と一緒に暮らしています。父が、なくなった母の親友だった優雅なデザイナーのアンヌ(デボラ・カー)を招待。セシールは今の生活が失われるのではないかと恐れます。父はアンヌと結婚すると言い出し、アンヌは母親のように、セシールが学生の恋人フィリップ(ジェフリー・ホーン)と愛しあうことを禁止し、勉強に励むように忠告。セシールはアンヌに復讐しようとして、フィリップとエルザに計画の片棒を担がせます。父にフィリップとエルザの親しげな様子を見せ、父の嫉妬を誘い、父とエルザが逢っているところをアンヌに見せるんですな。アンヌは絶望して別荘を去り、自動車で崖から落ちて死亡。

それは1年前のことで、映画はクラブでジュリエット・グレコが、セシールの悲しい思い出を捨て去ることができないでいる心象のような主題歌を歌う現在から始まります。現在がモノクロ、回想がカラーで描かれ、場面転換が秀逸。ジーン・セバーグが揺れ動く少女の心理を見事に表現。セバーグのヘアスタイルが“セシール・カット”と称されて流行になりましたな。