ドラゴンからスカイ・ハイ | 懐古趣味親爺のブログ

懐古趣味親爺のブログ

幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

ジミー・ウォングは私が最初に知った香港アクション・スター。勝新太郎と共演した『新座頭市・破れ!唐人剣』で王羽の名で知っていました。ブルース・リーによってカンフー・ブームがおこり、香港カンフー映画の基礎を作ったカンフーアクション・スターと知って、期待して映画館に足を運んだのが『片腕ドラゴン』(1972年/監督:ジミー・ウォング)でした。“ドラゴン、衝撃の最新作!”という惹句につられて映画館に行ったのですが、これが抱腹絶倒のトンデモ映画。

煉瓦工場と染色工場を営む道場・正徳武館と麻薬と売春を商売にしている道場・鉄鈎門があるんですな。正徳武館の高弟チェンルン(ジミー・ウォング)が市民を虐めている鉄鈎門の弟子たちをやっつけたことから鉄鈎門が正徳武館に殴り込みをかけますが逆に撃退される仕末。鉄鈎門の道場主は各国から武道の達人を雇います。沖縄空手、柔道、テッコンドー、ムエタイ、ヨガ武術、ラマ密教武術の達人ね。彼らの武術を見ていると、ハッキリいって笑えます。

鉄鈎門は彼らを率いて正徳武館へ道場破りにきます。正徳武館の弟子たちは彼らに次々倒され、沖縄空手の達人・二谷太郎(フェイ・ルン)にチェンルンは右腕をもぎとられ、道場主も二谷に殺されます。瀕死のチェンルンはシャオユー(タン・シン)という娘に助けられ、彼女の父親の秘薬で左腕を鋼鉄のように鍛えるのね。火で焼いて全神経を殺してから、秘薬を塗って鍛えていくなんて、刀を鍛えるのと同じじゃないの。鉄よりも堅く、パワーもついた左腕で、復讐していくのです。

休みなくアクションが続くサービス精神には感心させられますが、演出的には笑撃の連続。ジミー・ウォングは、『片腕必殺剣』(1967年)以来、片腕キャラがお気に召したらしく、片腕ヒーローがやたらと多いで〜す。

 

そして、『片腕ドラゴン』より以前に監督・主演したカンフー映画が、『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』(1970年/監督:ジミー・ウォング)で、『片腕ドラゴン』はこの作品の焼き直し。

中国拳法の道場破りにきたヤクザのタオ(チャオ・シュン)が道場主のリー(ファン・ミエン)に敗れ、空手の達人・北島(ロー・リエ)を連れて復讐にきます。リーの愛弟子レイ(ジミー・ウォング)が相手をしますが敗れ、リーと弟子たちは皆殺しにされ、道場はタオの賭博場になるのね。重傷を負ったレイはリーの娘リン(ワン・ピン)の介抱で回復し、師匠のリーの教えを思い出し、過酷な修行に励みます。1年後、殺人・暴行と暴虐の限りをつくすタオ一味の前にレイは正体を隠して現れ……

ブルース・リーやジェット・リーの動きと比べると、スローモーションのような遅いカンフー・アクション。ひと昔前の技闘ですな。レイが修行するのは、軽功と鉄沙掌という技なんですが、軽功は鉛を包んだ足帯を脚につけて跳びあがる訓練をすることで跳躍力が増すというもの。走り高跳びでオリンピックの金メダル間違いなし。鉄沙掌は鉄鍋で熱した砂を掌でかき混ぜることにより鋼鉄の手にするというもの。『片腕ドラゴン』も同じような鍛練で鋼鉄の腕にしていましたが、ジミーさんのお気に入り鍛練法のようです。

それにしてもこの映画、空手映画なのにやたらと血しぶきが飛び散ります。殴られると噴水のごとく血が飛び散ります。まるで70年代の日本のチャンバラ映画のようです。そういえば、タオの用心棒の日本の剣士(もちろん中国人俳優ね)相手にチャンバラしたりと、ジミーさんは日本の時代劇が好きだったのかな。

 

『スカイ・ハイ』(1975年/監督:ブライアン・トレンチャード・スミス)は、オーストラリアを舞台にした犯罪アクション。

オーストラリアのエアーズロックで現地の業者と麻薬取引をしようとしていた中国人チャン(サモ・ハン・キンポー)が逮捕されます。麻薬密売組織を追っていた香港警察の特別捜査官ファン(ジミー・ウォング)がシドニーにやって来てチャンを尋問。チャンからウィルトン(ジョージ・レーゼンビー)という名を訊き出しますが、チャンはウィルトンが雇った殺し屋に殺されます。ファンはウィルトンの捜査を開始し、ウィルトンがさしむけた武術の達人の殺し屋を次々に倒していきますが……

クライマックスはウィルトンのアジトである高層ビルの屋上へハングライダーで侵入。それで、“スカイ・ハイ”ね。ジミー・ウォングはやたらと壊しまくるカンフー・アクションやカーチェイスを見せますが、編集が悪くてギクシャクしたところがあり、迫力は今イチ。ジグソーが歌う主題歌「スカイ・ハイ」は、ミル・マスカラス(プロレスラー)の入場テーマに使われて有名になりましたな。