銀座の次郎長 | 懐古趣味親爺のブログ

懐古趣味親爺のブログ

幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

小林旭のこのシリーズは、一般的に“暴れん坊”シリーズと呼ばれていますが、2作目は『でかんしょ風来坊』で、4作目以降は“銀座の次郎長”です。“暴れん坊”とついていても、『歌う暴れん坊』はシリーズとは関係ないアキラ映画だし、アキラの“流れ者”シリーズの中に『大暴れ風来坊』というのがあったりして、ややこしくて仕方ありません。私は主人公の名前をとって、“銀座の次郎長”シリーズと呼んでいます。銀座が舞台ですが、ロケをしているわけでなく、スタジオ内にセットで造られた日活銀座です。

『東京の暴れん坊』(1960年・日活/監督:斎藤武市)

銀座のレストラン“キッチン・ジロウ”の若主人・清水次郎(小林旭)は、銀座の次郎長と呼ばれる人気者。ある日、元総理大臣の一本槍鬼左衛門(小川虎之助)の車が次郎の店にとびこみ、見せはメチャクチャ。ヤクザの千吉(近藤宏)が、これをネタに鬼左衛門を強請ろうとしますが次郎にとちめられます。鬼左衛門は次郎を気に入り、次郎を後援。次郎の馴染みのクラブのホステスが男に捨てられ、自殺を図ります。彼女は子どもを宿しており、父親である男と結婚させるために次郎が男を捜し出しますが、男は浅井代議士(三島雅夫)の息子。浅井は自分の息子を、次郎の幼馴染の“松の湯”の娘・秀子(浅丘ルリ子)と結婚させて、“松の湯”を大トルコ風呂にしようと考えており……

小林信彦が“無意識過剰”と名付けたアキラのコミカル演技を存分に見ることができる傑作。大学の体育館でレスリングの練習をしている冒頭シーンからアキラ・ワールドが展開。何故か隣では浅丘ルリ子がフェンシングの練習をしています。銭湯でアキラが歌うと、中原早苗をはじめとする女湯の客たちはウットリ聞きほれるので~す。

 

『でかんしょ風来坊』(1961年・日活/監督:斎藤武市)

銀座の大通りでカツアゲしていたズベ公たちのところへ、一本槍鬼左衛門(殿山泰司)の車が通りかかり大騒ぎ。次郎はズベ公たちのリーダー・春子(中原早苗)に足を洗うように諭します。騒ぎを撮った秀子の写真の中に鬼左衛門の初恋の女性・玉子(北林谷栄)が写っており、鬼左衛門は次郎に玉子を捜してくれるように依頼。その頃、銀座の土地が何者かに買い占め始められ……

アキラとルリ子のテンポの速い会話の愉しさ、北林谷栄の怪演が光っていますが、殿山泰司の鬼左衛門は今イチ。前作の小川虎之助の能天気な王様という雰囲気がなく、生臭いんですよ。中原早苗のズベ公も齢をくっているし、前作のバーのマダムのキャラクターが良かっただけにマイナス。前作を超える笑いのアイデアが出なかった分だけ作品レベルが落ちました。

 

『夢がいっぱい暴れん坊』(1962年・日活/監督:松尾昭典)

銀座の高級感を目当てに高い料理で儲けようとするヤクザと結託するレストランの社長(内田良平)と、フランス料理店から100円カレー店に改装して安くて美味しい料理を提供しようとする次郎の対決を軸に、アメリカから帰国した銀座の老舗ヤクザの若旦那(郷鍈治)や、クーデターで日本に逃げてきた中東の国家元首(井上昭文)の話が絡んでの大騒ぎ。

鬼左衛門に小川虎之助が復活し、次郎の父親(中村是好)、鮨屋の主人(桂小金治)、鮨屋の若旦那(杉山俊男)、そして抜群に可笑しかった老舗ヤクザの親分(若宮忠三郎)と、傍役が充実している分、アキラとルリ子のテンポの速い会話がなくなり、ルリ子の存在感が薄くなりました。SB食品が全面的にタイアップしています。

 

『銀座の次郎長』(1963年・日活/監督:井田探)

人出不足に悩む銀座商店街は鬼左衛門の紹介状をもらって、次郎の父と鮨屋の主人が人集めに東北へ向かいます。全国ヤクザ連合会も人出不足に頭を悩ませ、銀座商店街が集めた集団就職の少年・少女たちを銀座の愚連隊・竜巻(嵯峨善平)が騙してかっさらったことから……

秀子役が浅丘ルリ子から笹森礼子に代わり、刺身のツマ程度の存在。バーのマダムの妹(五月みどり)の頼みで次郎が偽の恋人になったり、秀子の銭湯がトルコ風呂に狙われたりするのは第1作の二番煎じ。

 

『銀座の次郎長・天下の一大事』(1963年・日活/監督:井田探)

首都移転(当時、現実にこんな話がありましたよ)に伴い、銀座が富士山麓に移るという噂が流れ銀座商店街は大騒ぎ。噂の出所は銀座情報社の夕立勘九郎(藤村有弘)で、富士山麓のインチキ土地を売りつけようと画策。次郎の父が、勘九郎の仲間のクロヒーモ(ジョージ・ルイカー)に騙されて土地を買ったことから……

シリーズ最終作。秀子が松原智恵子に代りました。アキラのコメディ・センスが光っているシリーズですが、お話の方はナンセンスな笑いがどんどん空回りしていき、笑うに笑えぬものになっていきましたな。