マンダムとダーバン | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

1960年代になるまで、日本人の男には一部を除き、オシャレをする習慣はありませんでした。まして、男が化粧品を使うこともね。整髪料といえばギトギトのポマードかチック。それが、1962年にライオン歯磨がアメリカのブリストルマイヤーズ社と提携して日本初の液体整髪料“バイタリス”を発売して変化をもたらします。このベタつかない画期的な整髪料は、アイビーファッションの流行と相俟って若者が大いに支持し、それに刺激されて、翌63年には資生堂が“MG5(ファイブ)”を発売。以後、マックスファクターのマックスファクターフォーメン、カネボウのダンディ、柳家のアットレーなどが男性化粧品市場に次々と参入。70年代に入る頃には、これらのメーカーによって市場はほぼ満たされます。

丹頂チックや丹頂ポマードを発売していた老舗整髪料メーカー丹頂は、流れに完全に乗り遅れていたんですな。そこで、起死回生を図ったのが“マンダム”ブランド。商品コンセプトは「男の体臭をまぶす」で、他社が二枚目俳優やハーフの美形モデルを使っていたのに対し、知性や愛情を感じさせる野生的な男ということでチャールズ・ブロンソンに白羽の矢をたてます。

巨大な奇岩が並ぶモニュメントバレーの荒野に、ブロンソンが馬にまたがって登場。水辺にたどり着き、テガロンハットですくい取った水を豪快に頭からかぶると、あごをなでながら満足そうに、こう言います。「う~ん、マンダム!」

このセリフは大流行し、子供までがマネをします。監督したのは大林亘彦。台本ではナレーションによる「マンダム、男の世界」が決めセリフになる予定でしたが、ブロンソン自身が語る何かが欲しいと考えた大林監督は、撮影の合間にヒゲを頻繁に触るブロンソンのしぐさを見てひらめき、ヒゲを触りながら、「う~ん、マンダム!」とつぶやいてもらったとのこと。

放送開始から半年で若者の間で商品の知名度が爆発的に高まり、資生堂の“MG5”と人気を二分。CMで使用した曲のレコードは100万枚以上売れ、化粧品屋に貼られているブロンソンのポスターが争奪戦になるなど社会現象になります。ハリウッドでは一流になりかけのブロンソンが、日本ではスーパースターになったのです。

画像は、ジェリー・ウォレスが歌う『男の世界』のレコードジャケット。CMのオリジナル曲が洋楽として売られて大ヒットしたのは、これが初めてじゃないでしょうかね。

 

ブロンソンの“マンダム”と同じように私の印象に残っているCMにアラン・ドロンの“ダーバン”があります。「ダーバン、セ・レレガァーンス・ドゥ・ロム・モデルヌ(ダーバンは現代を支える男のエレガンス)」とアラン・ドロンが言うとじつにカッコ良く聞こえました。ダーバンはレナウンが発売した紳士服ブランド。ダーバンのスーツを着て、ドロンのセリフを得意げに言うサラリーマンがけっこういましたな。

若い女性向け衣料品メーカーだったレナウンが、紳士服に進出するにあたって洗練されたイメージを必要とし、アラン・ドロンを候補にあげます。CM製作を三船プロがすることになり、三船敏郎を通じてドロンに交渉。三船は丁度スペインで『レッド・サン』のロケをしており、ドロンとブロンソンが共演者。三船はドロンに、「日本ではCMに出るのはスターの証だ。俺はビールのCMに出ているし、ブロンソンはマンダムに出ているんだぜ」と語り、ドロンはすぐにOKしたとのこと。ヨーロッパでは、映画俳優がCMに出るのは低く見られる風潮があったのですが、尊敬している三船敏郎の勧めが大きかったようです。ドロンのCM出演により、海外スターの日本でのCM出演が普通になりましたね。

ちなみに、三船敏郎は出演したのは、「男はだまってサッポロビール!」で~す。