座頭市物語(映画) | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

勝新太郎の大ヒット作となった“座頭市”シリーズは全部で26本あって、第1作から3作までが“座頭市物語”です。

第1作の『座頭市物語』(1962年・大映/監督:三隈研次)だけが子母澤寛の原作。子母澤寛が『ふところ手帖』という彼の随筆集に「飯岡の助五郎のところにいた盲目の居合斬り」について2~3行書いただけのものを、犬塚稔が膨らましてシナリオにしました。座頭市のキャラは犬塚稔が創り出したもので、実質は犬塚稔の原作といっても過言ではありません。

第1作の特長は、盲目を強調していること。聴覚・臭覚・触格を全面に押し出しています。カツシンの演技と三隈の演出が絶妙で、シリアスで差別に対する批判精神が充満。それと第1作では、座頭市にスーパーマン的強さはありません。本作で斬った人数はたった3人。笹川の繁蔵の子分2人と笹川の食客・平手造酒(天知茂)だけ。繁蔵の子分2人とは、提灯を消して盲目に有利な闇の中での戦いだし、死が間近に迫っている造酒は市に斬られようと思っていたところがありますからね。市が労咳の造酒と人間的にふれあうところは味わいがあって、この作品の価値を高めています。

市がワラジを脱いだ飯岡も、造酒を食客にしている笹川も、私利にはしるヤクザにすぎず、市と造酒はヤクザの喧嘩に巻き込まれて斬りあうつもりはなかったのですが、造酒が喀血して病床についたことを知った飯岡の助五郎(柳永二郎)が笹川に喧嘩を仕掛けます。笹川の繁蔵が鉄砲で市を殺そうとするのを制して、造酒は血を吐く身体で飯岡との喧嘩に参加。市がいなくても喧嘩に勝てると考えた助五郎が、助っ人料が惜しくて市を追い出していたことも知らずにね。造酒を訪ねた市は、彼が友情のために死を決して喧嘩に加わったことを知ります。血を吐きながら斬りまくる造酒の前に市が現れ、市との決闘で死に場所を得るのです。カツシンも良かったけど、天知も良かったで~す。

 

『続・座頭市物語』(1962年・大映/監督:森一生)

旅先でオツムのネジがきれている大名の揉み療治をした座頭市は、殿様の秘密がバレるのを恐れた大名家から命を狙われます。平手造酒の墓参りに笹川へ向かった市を、大名家から市の殺しを請け負った関宿の勘兵衛(沢村宗之助)一家が追ってきて……

絡んできたヤクザ者に川へ落とされる瞬間、目にもとまらぬ居合いで相手を斬る冒頭の渡し舟シーンに始まり、大名の家来、勘兵衛一家相手にと、市の居合斬り全開。そして、市が常州笠間の生まれで、恋人をめぐって争った兄(若山富三郎)と再会し、対決するのが見どころ。実の兄弟が因縁ある兄弟役で出演し、見事な殺陣を見せてくれます。前作で別れたおたね(万里昌代)や、遺恨が残った飯岡の助五郎との決着もつき、正統な続編といえま~す。

 

『新・座頭市物語』(1963年・大映/監督:田中徳三)

前作で市が斬った関宿の勘兵衛の弟・島吉(須賀不二男)の襲撃をかわした市は、鬼怒川の湯治場で居合の師匠・伴野弥十郎(河津清三郎)と再会。弥十郎の家で市は、弥十郎の娘・弥生(坪内ミキ子)と愛しあうようになります。堅気になる決意をした市ですが、弥十郎は弥生を藩士の嫁にしようとしており、罵声を浴びせて市を破門。弥生と結婚して堅気になるという市の心情を知った島吉は、兄の仇討ちをすることをやめますが、弥十郎は無惨に島吉を斬殺。弥生の結婚支度金を稼ぐために水戸天狗党の残党と悪事をはたらく弥十郎を邪魔だてした市は、ついに弥十郎と対決。結局、堅気になれず、師匠を斬った市は、弥生と別れて孤独な旅へ……

この作品よりモノクロからカラーに変わり、クレジットがカツシンの一枚看板(『座頭市物語』では万里昌代、『続・座頭市物語』では若山富三郎との両名併記)になります。斬りたくなくても襲撃されれば斬るという、盲目でヤクザ稼業という市の哀しみは全面に出ていましたが、内容的には前2作より工夫はありません。市と弥十郎の居合い対決より、前後に立てた4本の蠟燭斬りデモンストレーションの方が印象に残りました。

 

勝新太郎が歌う『座頭市』のレコードジャケット。レコード発売されたのが1967~68年頃で、映画の中では殆ど使われていません。大学時代に深夜放送で聴いたのが最初で、カツシンの歌の上手さに驚いたものです。白塗り二枚目時代に主題歌を結構歌っているのを後年知ったのですが、声質が全然違うんですよね。美声であっても、『座頭市』のような重厚感がありませんでした。タケシや慎吾が座頭市を演っていますが、カツシン=座頭市のイメージを覆すことなんてできませんよ。♪~およしなさいよ、無駄なこと~