愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

自分の大好きなことをして、会いたい人と一緒の時間を過ごす毎日は幸せです。日々の暮らしを通して感じたことを表したいと思います。

人生で一度でいい、自分の納得のいくモノを生み出したいと悪戦苦闘中です


それは、料理かもしれないし、小説かもしれないし、ペンダントかもしれません


様々なことを感じながら、毎日を丁寧に過ごしています

最近、なんだか日本品質が緩んできたように感じます。

 

今年に入ってから、驚くような人為的なミスを起こっています。

 

 

 

まずは、1月の羽田航空の航空機炎上事故。

 

私は、毎回飛行機に乗る時は、死を覚悟して搭乗しています。

 

それは、パイロットや空港職員の皆さんを信用していないからではなくて、飛行機のような重いものが浮く原理が腑に落ちないからです。

 

飛行機は、どの乗り物より事故が少ない安全な乗り物であると理解はしています!

 

だから、この事故には、本当に、驚愕しました。

 

 

 

3月、小林製薬の紅糀の健康食品自主回収騒動。

 

健康を増進する目的で紅糀サプリを継続的に摂取して、健康を害された方、死亡された方がいたとのこと。

 

人間の体内に入るものに対する日本の管理体制には、全幅の信頼を置いていました(日本以外で屋台のモノを食すことはありません)。

 

しかし、子宮頸がんワクチンの健康被害問題から、その信頼はゆらぎ始めました。

 

結果、拙速で安全確認が不十分と感じたコロナワクチンは、一度も摂取しませんでした。

 

受験期だったけれど、息子たちにも、できればコロナワクチン接種をやめて欲しいとお願いしました(上の子は1回だけトライし、あまりの痛さと患部の腫れに、2回目以降自主的にやめました)。

 

小林製薬も、前年から紅糀に関して問題が発生しているという予兆があったにもかかわらず、スルーし続けた結果、ブランドイメージを大きく損ない、株価もこの1年で2千円ほど落としています。

 

 

 

そして、7月下旬、デパートで買ったウナギの商品で、140人以上が食中毒、ふたりの方が入院、ひとりの方が死亡というニュースを聴く。

 

日本のレストランで食事をする時、スーパーでお惣菜を買う時、お腹壊すかもとは全く考えません。

 

縁日の屋台で、かき氷やきゅうりの1本漬けもためらわず食べます。

 

それがデパートでこんな事故が起こるなんて。

 

 

 

ウクライナ、ガザ地区での戦闘や、世界中に存在する難民キャンプや紛争に関して、私たち日本人はどこかヒトゴトで、平和ボケしてきているのかもしれません。

 

周りを海に囲まれていたって、北朝鮮はバンバンミサイルを撃っているし、沖縄南西諸島ではで台湾有事に備えてミサイル基地増強されているし(映画「戦雲」より)、日本の周りも不穏な空気に包まれています(泣)。

 

思考停止していては、自分の身も家族も守ることはできません。

 

 

 

まずは、ちゃんと、毎日のごはんを、できるだ原形が分からない加工品やレトルト、出来合いのモノを使わずに、手作りするところから始めます。

 

薬や予防接種、ワクチンも、お任せじゃなく、医師に質問したり、調べたり、能動的に知る努力をします。

 

できることをした上で、何かあったら、その時は運命なのかもしれません。

 

しかし、デパートのウナギ弁当は、私も全く疑わないなあ。

 

人の命を預かる人や、企業は、その責任の重さをきちんと認識して仕事をして欲しいです。

 

下の子の部屋には、無印のユニットシェルフがひとつあり、そこに、彼のトップスとボトム、靴下がすべて収まっています。

 

柄物は1、2枚で、ほぼ無地かワンポイント、色は白、茶、青、黒など。

 

スーツや礼服、冬物のコート類は、共用のクローゼットに入っています。

 

先日、彼のランドリーボックスに取り込んだ洋服たちを入れた時に、2日前の分が入ったままでした。

 

 

 

「あれ、なんで前の分、片付けてないの?珍しいね」と声を掛けました。

 

「あーなんか、この間、夏のトップス3枚買い足したら、ハンガー足りなくなってて」

 

「ふーん。なんで買い足したの?」

 

「高校の頃から着ていたのが、さすがにくたびれてきてて。ちょっと窮屈やなとも思ったし」

 

「なるほど。そしたら、この棚の洋服、1回全部出して、これから着たいかどうか一度見直してみたら?他にも、サイズアウトしたのや、くたびれたの、あるかもよ」

 

 

 

それから、下の子、1時間ほど全部出して、トップス、ボトム、靴下をひとつひとつ手に取って、要不要を仕分けていました。

 

中学生の頃に愛用していたSサイズのTシャツや、彼の好みでない半ズボンなど、不要なものが出るわ出るわ。

 

結局、トップス9枚、ボトムス5本、靴下6足が処分になりました。

 

 

 

「ハンガー空いたわ。よかった。余裕があると、洋服出し入れしやすくていいな。俺は気に入った服ばかり着るから、あんまりたくさんはいらんねんなー」

 

と、しみじみ。

 

自分の好みのスタイルも自覚できたようです。

 

「シンプルな服は、素材や作りがくっきりでるから、もう少し価格帯あげてもいいかもね。少ない枚数でヘビロテするならなおさら。1回、この辺のお店、のぞきに行ってみたら?今、夏のバーゲンでかなり買いやすいお値段になっているし」

 

と、彼の好みに合いそうなショップをいくつか勧めてみました。

 

 

 

理系の彼は、論理的で脳みそが疲れない環境を好みます。

 

それが洋服にも表れています。

 

ホントに、家族ですら、皆違うルールで生きています。

 

彼のクローゼットがこれからどんなふうに進化するのか、楽しみです。

 

 

上の子の部屋が、微妙に臭い…。

 

ホント何となくなのですが、酸っぱいにおいがする。

 

きれい好きな方だと、臭い確定レベルだと思います。

 

 

 

息子たちは、毎日入浴しているし、着替えているし、なんだったら毎日朝念入りに髪と肌を整え、麗しく身支度しています。

 

私より、マメでピカピカで意識高いです。

 

 

 

じゃあ、なぜ、上の子の部屋が微妙に臭いのか。

 

もう、これは、単純に彼の部屋の中にモノが多くてかつ掃除していないからです。

 

彼は、使った食器やカップ麺の容器などをすぐに片づけない。

 

届いた荷物の段ボールをすぐに開けない、商品を取り出しても箱を放置する。

 

エコバッグを持たず、スーパーなどのビニール袋、ショップの紙袋が部屋に堆積している。

 

不要な資料、モノが雑多に棚や引き出しにあり、机やテーブルの上にも常時コップなど置かれている。

 

色々なポケモンのぬいぐるみやワンピースのフィギュアが飾られている(注釈:埃の膜に覆われています、触りたくない)。

 

ベッドリネンを何週間も洗わない(これが一番の原因と思う)。

 

そして、掃除は2週間に1度ほど、モノが置かれていない床(全体の1/4)に掃除機をかけるのみである。

 

 

 

そりゃ、におうよね?

 

ベッドリネンは、週1で洗おうよ、夏なら3日に1回でもいいくらい。

 

モノを全部どかして、隅々まで掃除機かけて、なんだったら床拭こうよ、フローリングベタベタだよ。

 

今毎日使っているエアコンのフィルターは、できれば週イチは掃除してあげて。

 

 

 

頭ごなしに言っても無駄なので、それとなーく、言ってみた。

 

「一人暮らし始めたら、部屋借りるじゃん。
退去するとき、部屋を傷めてると、敷金返ってこない場合があるねん。
厄介なのが、臭い部屋。
完全に無臭にするのに、結構お金かかるねんて。
あなたの部屋、微妙に臭うから、夏休みゲーム三昧する前に、いらないモノ全部捨てて、大掃除したら?
そういう習慣、今のうちにつけといた方が自分のためだし、周りのためにもなるよ。
どんなに外見繕っても、部屋臭う人って、ナシやわ。」

 

 

 

多少、自分の部屋が臭いと思っていたのか、彼は、その日、延々1時間半、黙々と不用品を処分し、掃除機をかけ、拭き掃除をしていました。

 

洋服18着、段ボール大小5箱、ビニール袋と紙袋合わせて60以上、空きペットボトル30本以上、紙ごみ、コード類、壊れたヘッドフォン、電池を廃棄処分です。

 

空気入れ替えたら、臭さはがなくなり、ホッとしました。

 

 

 

ちなみに、下の子の部屋は、家具以外床置きのモノがありません。

 

掃除がしやすいので、私が2階の共用部に掃除機をかける時に、一緒にささっとかけることもしばしば。

 

掃除しやすい部屋は、キレイをキープするのも楽です。

 

上の子には、まず、不用品をため込まない習慣を身に付けて欲しいものです。

 

 

 

うちの中の、洗面台やテーブル、カウンターの上に、彼らは様々なモノをポイと置きます。

 

財布、スマホ、鍵…この辺のものは、数時間放置で回収されています。

 

各種カード類、ピアス、イヤホン…下手すると数日そのままです。

 

さすがに1週間共用部に放置が続くと、私から指導が入ります。

 

先日、1階の洗面台にワイヤレスイヤホンが数日放置されていたので、上の子に声を掛けました。

 

 

 

「ワイヤレスイヤホン、1階の洗面台にあるで。困ってないの?」

 

「あー、あれ、壊れてるねん。新しいの、電気屋でもう買った。ごめん、それは捨てとくわ」

 

「了解。よろしく。え、でも、ワイヤレスイヤホンて、春先買い替えたって言ってなかった?そんな壊れるもん?」

 

「アマゾンで買った安い奴やったから。今回は、電気屋で色々見て、2万くらいの買ってん。そしたら、音質いいし、耳にフィットするし、置き忘れしないし、いいわー」

 

 

 

なるほど。

 

安くていいものもたくさんあるけれど、2千円と2万円で比べたら、そりゅやっぱり土台が違うからな。

 

 

 

「ワイヤレスイヤホンのような、毎日使うものは、それなりの値段でメーカー品の方が、品質も使い心地もよくて、結局長く使うからお得になるよ。

 

ビニール傘は置き忘れてもスルーだけど、2万円の傘はそもそも置き忘れないし、忘れても必死に探すよね。

 

ワイヤレスイヤホンに限らず、洋服やカバン、靴も、2千円と2万円では材質も作りも違う。

 

これから何か買う時、色々な価格帯で比べてみてもいいかもね。

 

2年後社会人だし、身に付けるものも、カジュアルからフォーマルにシフトするのもありかも」

 

 

 

今まで、あまたの安いワイヤレスイヤホンを破棄してきた上の子。

 

「ホンマやな。見るのはタダやし、今度、勇気出して高そうな店とかのぞきに行ってみるわー」

 

 

 

うんうん、新しい場にどんどん出かけて、色々な体験をして、自分をアップデートをしていって下さい。

 

スマホやパソコン、アプリだけでなく、人間もアップデートは必須です。

 

環境が大きく変化する時期には、特に。

 

 

 

といいつつ、私は、ワイヤレスイヤホンを使ったことがありません。

 

アップルのスマホに付属品でついていた純正の有線イヤホンを5年半愛用しています。

 

コードが絡まった時、確かに面倒くさいです。

 

でも、しっかり聞こえるし、充電不要だし、耳からぽろぽろ落ちないし(ここ、重要!)、通勤時にオーディオブックを聴くだけなら、音質も十分。

 

ちなみに、ノーパソのマウスも、有線で2千円のものを使っています。

 

電池交換が面倒で、付属品のワイヤレスマウスを破棄して、わざわざ購入しました。

 

有線のイヤホンもマウスも、壊れるまで、大事に使うつもりです♪

 

 

 

 

身内の死で、鮮烈に覚えている初めては、私が24歳で、81歳の父方の祖父を見送った時。

 

祖父は、第2次世界大戦に南方に出征し、復員後定年まで公務員として勤務、その後は地域の役員として20年近く活

動し、地域の寄り合いで深酒した帰り道、側溝に頭から落ちて事故死しました。

 

突然だったので、祖母も両親も親族もパニックだったことを今も覚えています。

 

 

 

母方の伯父は、サイクリングが趣味でしたが、80歳近くで足を骨折して寝たきりになり、認知症が進みました。

 

小さい頃からいつも、会えば笑顔で名前を呼んでくれる、大好きな伯父で、何度か伯父宅や病院に見舞いに行きました。

 

最期は胃ろうでミイラのようになり、意識不明のまま療養病棟で亡くなりました。

 

 

 

祖母は、ホントに病気知らずで丈夫でしたが、81歳の時に脳梗塞で寝たきりになり、両親が祖父母宅に戻り、長男の父が祖母の介護を担いました。

 

祖母が脳梗塞で倒れたのは、我が子たちが生まれた年で、ひ孫の誕生を心待ちにしていた祖母は、大変喜んで息子たちをかわいがってくれたのを覚えています。

 

5年ほどの在宅介護後、入院し、1ケ月の胃ろうの末、老衰で亡くなりました。

 

 

 

父は、ピースのヘビースモーカーで、65歳の時に肺がんが判明、手術翌日から点滴を押しながら喫煙所に通い、リンパへの転移があったため抗がん剤治療となり、67歳で他界しました。

 

タバコと心中した父の死に、私は泣きませんでした。

 

ちなみに、父の主治医(40代)もヘビースモーカーかつ肺がんのサバイバーで、抗ガン剤の後遺症でスキンヘッドでした(父と意気投合してました)。

 

依存症の怖さを改めて思い知る出来事でした。

 

 

 

母は、頑健な人でしたが、不摂生がたたり、糖尿病とパーキンソン病を70代で発病、歩くのが難しくなったので、実家近くの特別養護老人ホームで4年ほど過ごしました。

 

コロナ禍で家族が面会に行けない期間に、認知症が一気に進み、口から栄養が摂れなくなりました。

 

きょうだいで話し合い、胃ろうをしない選択をし、1週間後、母を見送りました。

 

 

 

私は、両親、祖父母、おじおば、大おば、義父母など、身内を20人近く見送ってきました。

 

今年、55歳になる私は、改めて、これからの自分の生き方、死に方を考え、様々なことを決め、子どもたち、弟たちに私の意思を共有しました。

 

 

 

もともと丈夫なので、体重とストレスをコントロールしながら、適切な運動・食事・睡眠を心掛け、仕事・ボランティアを無理なく長く続けること。

 

年に一度、定期健診と、肺・大腸・胃・子宮・乳ガン検診を受けること。

 

医療に関しては、高額療養費の範囲内の治療だけにし、生命保険・医療保険は解約したこと。

 

ガンの場合、手術はするけれど、転移が見つかっても抗ガン剤は使用せず、緩和ケアで過ごしたいこと。

 

脳死になった時、ためらわずに移植可能な臓器はすべて摘出して、できれば若い人に提供して欲しいこと。

 

口から栄養を摂れなくなったら、胃ろうはしないこと。

 

 

 

私は、孫の顔を見たいとか、長生きしたいという希望は持っていません。

 

これからは、1日1日、自分の心に従って生きたいと思っています。

 

生まれて初めて、考えるより感じて生きていき、その先に、死があると感じています。

 

縁が深い年配者を見送る中で、自分の生き方はもちろん、死に方も選択できるようになってくるのかもしれませんね。

 

昨年の7月、「ぼくたちの哲学教室」という映画を観ました。

 

北アイルランドのベルファストの小学校で行われている哲学の授業を記録したものでした。

 

子どもたちに、哲学的思考をすることで、自分自身の言動を選ぶ機会を提供する試みで、とてもヨーロッパ的。

 

この映画を観て、私は、久しぶりに哲学的な会話がしたくなり、ネットでそういう場を検索しました。

 

現在は、日本の様々なところで哲学カフェが開催されていることを知り、そこに飛び込んでみようと近くの哲学カフェに早速申し込みました。

 

 

 

昨年10月の近所の哲学カフェを皮切りに、大阪市、尼崎市、京都市、大津市そして将来の移住先第一候補の尾道市の計7か所の哲学カフェに、順繰りに毎月1回、ひとりで参加してきました。

 

あるテーマについて、ファシリテーター、参加者が、専門用語なしでざっくばらんに話し合います。

 

同じ会場でも、その日集う参加者によって雰囲気は千差万別。

 

他者の視点や考えに触れることができ、どの場も、とても楽しかったです。

 

 

 

私は、小学校くらいまでは、自分の境遇や能力、考え方、感じ方が「普通」で、皆同じだと思っていました。

 

思春期になり、国、年代、性別、環境、特性により、ひとりひとり全く異なる存在であると気づきました。

 

就職して、様々な人と協力しないと仕事ができなくなって、ホントに精神的にしんどかったです(当時の上司、先輩、同期の方々に感謝)。

 

結婚して、夫や義父母に長男の嫁のつとめを求められて、今までと質が違う苦労を味わいました。

 

最悪、こいつらとは縁切れるしなーと思い切り、本音全開にしたら、相手側が全面降伏してくれました(世間体を気にするおうちに万歳!)。

 

最後、子どもたちとの関係は、私の方が愛情過多で完全敗者なので、自分の人間性を土台から変革しました。

 

もし、就職も結婚も子育てもしてなかったら、私はかなりなモンスターになっていたと思います…。

 

 

 

で、哲学カフェにて。

 

どの場も、40代から60代の男性の方が多く、意外でした。

 

理屈っぽい人や、論点が明確じゃない人、自分ばっかりしゃべる人、あーこの人友だちいないだろーなーと感じる人などもいて、ファシリテーターの存在が場の質を左右します。

 

自己紹介なし、お互いのバックグラウンドを知らないまま、その日のテーマに関して約2時間話し合います。

 

哲学カフェに参加するとき、自分に課すルールは、ふたつ。

 

自分の考えを分かりやすく簡潔に述べることと、相手の話をきちんと聴くこと。

 

全員が納得するような結論は出さず、けれど「人それぞれだよなー」という終わり方にもせず、という絶妙な落としどころで、もう少し話したいなというところで毎回終わります。

 

だから、また、どこかの哲学カフェに参加してみようかなと思うのかもしれません。

 

 

 

いつもの自分から少し距離を置いて、純粋にひとつのテーマについて他者と話し合う。

 

それは、海外をひとり旅する時、出会う人々に抱く、2度と会わないけれど心が通じたよねという少し切ない気持ちに似ています。

 

その時の一瞬一瞬、自分をどう表現し、他者をどう受け取るか。

 

この一期一会感が、私は好きなのかもしれません。

 

初めて自分の便秘を自覚したのは、20代の時。

 

人間ドッグで腹部の画像を撮られた時、「この影、全部便ですよ、かなり溜まってんすねー」と指摘されました。

 

「何、この医者、無神経だな」とムッとしましたが、当時私の周りの同年代女子も便秘の人が多く、あまり気にしなかったです。

 

 

 

40歳になった頃、顔に吹き出物が目立つようになりました。

 

当時の私のお通じは、3日に1回くらいで、1週間ぶりの時もありました。

 

1週間ぶりの時は、トイレが詰まるかと心配になる量と硬さでした(汗)。

 

体力はあるので、生活面で問題はなかったですが、「便秘は大腸がんにつながりやすい」と聞き、さすがにどうにかしなきゃと思いました。

 

ヨガの先生に相談したら、「便秘解消プログラム」を授けてくれました。

 

 

 

授けてもらった「便秘解消プログラム」は、下記の通り。

 

①毎朝、起きたらすぐに歯磨きをして、コップ一杯の水をゆっくりと飲む。

②深く呼吸しながら、15分くらい腸に訊くストレッチ・ヨガをする。

③野菜・タンパク質・炭水化物の朝食をしっかり嚙んで食べる。

④便意が来たら、何をおいてもトイレに行き、焦らず力まず、5分ほどトイレにとどまる。

⑤夜、固形物を摂るのは20時までにする。

⑥毎晩、入眠2時間くらい前に38度から40度くらいの湯船にしっかりつかる。

 

②③⑥はもともとしていたので、①④⑤を新しく取り入れました。

 

そしたら、1週間くらいで、お通じが毎日来るようになり、1ケ月ほどで、目立った吹き出物はなくなりました。

 

睡眠が深く、身体が軽くなり、お通じが来ない日があると落ち着かなくなるほどになりました。

 

思い返せば、あの頃、よく1週間もため込んでいたな…とビビります。

 

体内に関しては、20代の頃より今の方が、きっとクリーンです♪

 

 

 

「食べたら出す」、その入り口である口の手入れも、40代から始めました。

 

死ぬまで自分の歯でしっかり咀嚼できるように、毎日フロスも使い、3ケ月に一度は虫歯チェック&クリーニング。

 

かかりつけの歯科医から、「睡眠中、歯をかみしめている」と指摘され、マウスピースも作りました。

 

起床時、顎がすごく楽です。

 

 

 

健康に関して学び、実践することは、ウェルビーイング(身体的、精神的、社会的、経済的に良好で満たされている状態)に繋がります。

 

若いうちから意識して実践して欲しいなと母は思います。

 

 

 

私が生まれた年に、人類初の有人月面着陸が行われた。

 

人類の技術革新の象徴的な出来事のひとつである。

 

 

 

けれど、子どもの頃、私はずっと不思議に思っていた。

 

どうして、人類は、大変な危険を冒して、たくさんのお金と時間をつぎ込んで、宇宙に行こうなんて考えるんだろう。

 

現に今住んでいる地球上で解決しなければいけない問題が、たくさんあるにも関わらず。

 

 

 

世界のどこかで絶えず戦争や紛争があって、飢えや貧困、暴力や差別にさらされている人たちが存在している。

 

日本でも、自殺者は年間2万人を超え、能登の震災でも、半年たった今も不自由な生活を強いられている人々が実在する。

 

困っている人たちを助けるためではなく、ロケットや兵器にお金を費やすのはなぜなんだろう。

 

どんなに学びを深めても、この年齢になっても、私は明確な答えを見いだせずにいる。

 

 

 

きっと、地球上で、お金の使い道を決める人たちには、虐げられている人たちは、「見えない」のだ。

 

自分たちが虐げられる側になることを想像すらしない。

 

彼らの関心は、より富を産み出すこと。

 

宇宙進出も、兵器の開発・生産も、それを実現する手段に過ぎない。

 

環境破壊が進み、生態系に多大な影響を与え、それでも、人類は、このまま技術革新を続け、突き進んでいくのだろうか。

 

 

 

私からすると、環境と調和して、平和に暮らすこともできないのに、技術革新に浮かれて宇宙に行っちゃう人類は、かなり間抜けだと感じる。

 

自分の利益だけを考えて、他と分かち合えないのは、大人ではない。

 

おもちゃを独り占めして許されるのは、3歳くらいの子どもまでだ。

 

技術革新のスピードに翻弄されることなく、むしろ能動的にコントロールする時ではないかと感じる。

 

文明は生活を便利にする技術・機械・システムなど物質的なもの、文化は宗教・芸術・知識・法律など精神的なものを指す。

 

そろそろ、「自分にとって幸せとは何か」をひとりひとりがしっかりと考え、文明と文化のバランスをとる時期が来ているのではないだろうか。

 

 

 

何とか、スマホは使えているが、数年後、スマホが全く新たなデバイスにとってかわられたら、対応できるだろうかと不安も感じ始めている今日この頃である。

 

新しいデバイスの方がどんなに便利で使いやすくても、数年はスマホにしがみつくような気がしています…。

 

 

始まりは、2022年末、サブスクで見かけたひとつのサムネ。

 

MBSの深夜帯ドラマ「美しい彼」のもので、主演の萩原利久君、八木勇征君の甲乙つけがたいイケメンふたりに目を奪われた。

 

ドラマは1回30分×6回で、その日のうちに最終回まで観てしまった。

 

人生初、推し活の始まりだった。

 

 

 

利久君演じる平良も、勇征君演じる清居も、そばにいたら絶対にかかわりを持ちたくないタイプだ。

 

けれど、この2人の織り成す恋愛模様は、私の心をかつてないほど、揺さぶった。

 

生まれて初めて、ドラマのビジュアルブックを買い、利久君の2023年版カレンダーを買い、勇征君のファースト写真集を買い、彼らと「美しい彼」の情報欲しさに、X、Instagram、tiktok、pixivの各種SNSを始めた。

 

原作のラノベ「美しい彼」4冊を購入し、徹夜で読み通した。

 

原作もドラマとは違う面白さがあり、作家凪良ゆうさんにも見事にはまった。

 

 

 

2023年は、ドラマシーズン2、劇場版を最大の生きる楽しみに幕を開け、「劇場版 美しい彼 エターナル」は、4月公開から半年間、映画館をはしごしながら合計15回、鑑賞した。

 

初めてで唯一、映画のパンフレットも買い、アニメイトで開催されたコラボカフェにも出向いた(料理は学祭での模擬店レベルだったけど、重要なのはそこではない)。

 

もちろん、「美しい彼」のブルーレイはコンプ。

 

今も、現在進行形で、「美しい彼」という作品と、萩原利久君、八木勇征君を追いかけている。

 

 

 

けれど、ひとつだけ、困っていることがある。

 

映画鑑賞時の無料配布物や、ブルーレイや写真集等購入時の特典グッズたちの中に、私が使わないものがある。

 

けれど、不要だからと捨てることもできない。

 

何とかできないものかと、ずっと心に引っかかっていた。

 

 

 

初めてのことをする時は、毎回すごく、ハードルが高い。

 

進学した時、初めてのまちや国を旅する時、就職した時、初めて車の運転をする時、出産した時、親を見送る時。

 

乗り越えて、振り返れば、どうってことはないと知っている。

 

最初の、面倒くささを乗り越えれば、何事もルーティンになるのだ。

 

というわけで、メルカリに、あまたあるグッズを出品し、引き取ってくれる人を探すことにした。

 

 

 

最初は、入場特典で配布された「美しい彼」のポストカード3枚セットで腕試し。

 

メルカリのアプリを入れて、カメラで撮って、出品手続きをする。

 

出品後5分で売れて、マジでビビる。

 

発送の仕方を調べ、おっかなびっくりコンビニで手続きし(色々教えてくれた店員さん、ありがとう!)、無事完了。

 

時間にすれば30分ほどだけど、なんだかすごく疲れた。

 

売り上げはどうなるのか、調べていると、「メルカリ入会ポイントの期限が今日中です」と表示されていて、焦る。

 

ポイントはどう使うのか調べて、コンビニで試しに食パンを持ってレジに行く。

 

チャージもしていないバーコード決済が使えるのかすごくドキドキして、片手には財布を持つ。

 

無事、メルペイで買い物でき、ホント、何とかなるものなんだなあと実感。

 

 

 

一番嬉しいのは、私のところでは日の目を見ないモノが、ちゃんと大切にしてくれる人のもとに旅立ってくれたこと。

 

捨てることも、持ち続けることもできない、二律背反の苦しみからようやく解放された。

 

これからも、どんどん、出品して、双方よしを目指していく。

 

 

 

「美しい彼」は、私にとって、最高のラブストーリーであり、永遠の愛があるかもしれないと思わせてくれる作品である。

 

それが架空の人物だとしても、誰かの幸せを心から願えることはとても幸せ。

 

ただ、恋愛も推しも、つまるところ縁次第。

 

結局、出あったもん勝ちである。

 

半世紀以上生きてきて、私は恋愛をしたことがありません。

 

ラブストーリーはそれこそ、小学生の頃からたくさん読んできました。

 

小説、漫画、映画、舞台…紫式部やシェイクスピアから、「タイタニック」やBLまで、様々な作品を夢中で体験してきました。

 

私の初恋はシャーロック・ホームズで、最も敬愛している人は「風の谷のナウシカ」のナウシカです。

 

 

 

けれど、実社会にて。

 

リアルの人間と話していて、楽しいと思うことがほとんどありませんでした。

 

特に中学・高校時代は、友人も、恋人もあえて欲しいと思わなかったので、できるだけひとりで行動していました(ああ、この頃スマホがあれば…)。

 

社会人になると、業務上必要なので、他者と積極的にコミュニケーションをとるようになりましたが、個人的に踏み込んだ関係性を築くには至らず。

 

リアルの人間は、ものすごく複雑怪奇でホントのことを言わないので、私は物語の中の人たちの方が理解しやすくて好きでした。

 

 

 

けれど、それも、適齢期になった頃、大きく変化します。

 

私の6歳からの夢「やさしいお母さんになる」実現のために、そろそろ結婚に向けて行動しなければなりません。

 

モノを買う時と同じで、まず、結婚相手の条件を考えました。

 

我が子の父親になる以上、出木杉君ほどでなくとも、ジャイアンやスネ夫やのび太は論外。

 

私が持っていない、育ちの良さと穏やかさ、運動神経、忍耐力、常識は必須。

 

初対面の時に夫が言った「小学校から大学まで、学校がすごく楽しかった」という言葉は、天地がひっくり返るくら

い衝撃的でした。

 

私にとって中学・高校は牢獄のようだったので、学校を心の底から楽しいという彼が宇宙人に見えました。

 

楽しく環境に自分を合わすことができるという特技を持っていたことが、彼と結婚した最大の理由です。

 

おかげさまで、子どもたちにとって学校はそこそこ楽しい場所のようです。

 

 

 

現在は、婚姻のほとんどが恋愛結婚で、年代にもよりますが、お見合いは5パーセント前後だそうです。

 

けれど、3組に1組は離婚するご時世、恋愛状態を維持するには、双方の不断の努力が必要なのかもしれません。

 

私の体感では、本当に仲睦まじい、恋愛成就したご夫婦は、全体の3パーセントくらいかと感じます。

 

残りの半分が法律的または実質的な離婚に至り、1/4は経済的・世間体などの理由で離婚せず、1/4はエネルギー切れで婚姻継続、というイメージを勝手に持っています。

 

まあ、同じ空間にいても大丈夫なら、それはそれで、家族のカタチとしてはありなのでしょう。

 

 

 

だからこそ、人は、恋愛に運命や永遠を夢見て、あまたの作品を生み出すのかもしれませんね。

 

私の大好きなラブストーリーたちも、全てファンタジーと理解した上で、登場人物たちの愛が永遠であることを願わずにいられません。

 

こんな恋愛を体験したら、身が持たねーわと思いながら、同じ個所で律儀に毎回泣きます。

 

合理的な私には、恋愛はハードルがかなり高いので、こちらの涙活で潤って生きていきます。

 

 

 

子どもたちには、チャンスがあれば、運命の相手との大恋愛にトライしてみて欲しいです(*^^*)。