愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

自分の大好きなことをして、会いたい人と一緒の時間を過ごす毎日は幸せです。日々の暮らしを通して感じたことを表したいと思います。

人生で一度でいい、自分の納得のいくモノを生み出したいと悪戦苦闘中です


それは、料理かもしれないし、小説かもしれないし、ペンダントかもしれません


様々なことを感じながら、毎日を丁寧に過ごしています

2003年2月に妊娠が判明し、それから約ひと月後、朝、大量の出血で目を覚ました。

 

夫は、何をどうしていいか分からず、なんとそのまま出勤しました。

 

私は、この時に、いいところのボンボンはホンマに役に立たないなと思い知り、以後彼をATMと認定しました。

 

運転席に厚手のバスタオル2枚を敷き、自分の運転で車で15分の産婦人科へ。

 

事前に電話連絡していたので、院内に入るとすぐに主治医の院長先生が診察して下さいました。

 

『流産しかけています、そのまま入院ですね』と院長が即決、すぐに流産予防の点滴を施され、6人部屋の一角に収まりました。

 

看護婦さんには、「せめてタクシーで来て下さい」と注意されました、なるほど、普段タクシー利用しないと、思い浮かびもしなかったです。

 

 

 

連絡したら、父が車で飛んで来て、私の入院に関わる手続きや手配を全てしてくれました。

 

それから、父は1日ごとに見舞いに来てくれ、看護婦さんに「いい旦那さんですね」と言われていました。

 

後で看護婦さんに「ホントに夫と思いました?」と尋ねると、「最近は年の離れたご夫婦も珍しくないので、旦那さんかお父さんか迷ったら、旦那さんですか?と訊くことにしています」とのこと。

 

確かに、父も有頂天になっていました。

 

ちなみに、夫は、2週間に1回のお見舞いでした。

 

 

 

院長先生には、『現代の医学でできるだけの処置をしていますが、予断を許さない状況です』と言われました。

 

「つかぬことを伺いますが、流産すると、2人とも死ぬんでしょうか」

 

『そうですね、子宮はひとつなので、お2人とも亡くなります』

 

それから、毎晩、「赤ちゃんたちを助けて下さい」と神様に祈りました。

 

神頼みは生まれて初めてでした。

 

息子たちは崖っぷちで何とか持ちこたえ、無事に安定期を迎えることができました。

 

 

 

7ケ月目の定期健診では、『順調に育っていますね』と院長先生から太鼓判を押されました。

 

『ただ、下のお子さんが現在逆子で、子宮内の様子から自然になおるとは思えません。逆子がいる双子の自然分娩は危険なので、帝王切開にしませんか』と提案されました。

 

「帝王切開でお願いします」と、その場で院長先生に返答しました。

 

 

 

実は、私の母も双子の男の子を産んでいます。

 

私の2つ違いの弟たちです。

 

自然分娩で、上の弟を産んで、12時間後に下の弟が出てきたそうです。

 

体重はどちらも1.5キロ前後、普通の胎児の半分くらいです。

 

半年間保育器の中で過ごし、母は弟たちに付きっ切り、2歳の私は父方の祖父母宅に1年間も預けられました(涙)。

 

今では、弟たちはそろって180センチ、80㎏の巨漢です、未熟児だったなんて信じられません。

 

私の子も双子だと母に告げた時、「とりあえず、たくさん食べて、子どもを大きくしなさい。あと、同じ日に2回も出産するのはめちゃめちゃ大変やから、帝王切開にしたら」とアドバイスされていました。

 

 

 

息子たちはすくすく育ち、8ケ月目には、道行く人から「臨月ですか?」と話しかけられまくる妊婦になっていました。

 

毎日昼間、公園や川べりをゆっくり散歩し、途中のベンチに腰かけ、お腹をさすりながら、息子たちに話しかけます。

 

そうすると、お腹の中から、ポコポコ蹴ってくるんですね。

 

女性の体内に、男の子が2人存在するという神秘。

 

自分の命が、私だけでなく子どもたちの命でもあるという事実。

 

私の人生において、この時が最高に幸せでした。

 

手のひらに、この時の彼らのキックの感触が今も残っています。

 

 

 

院長先生から、『2人とも大きくなっているので、子宮が破裂しないか心配です。10ケ月目に入ったらすぐに帝王切開で分娩しましょう』と言われました。

 

『10月の下旬で、日程調整しますね、次回の診察の時に、何日かお伝えします』

 

私は、「もうすぐ会える!」とワクワクしました。

 

同時に、10月下旬が誕生日なら、星座が違うことに、ハッとしました。

 

22日までだとてんびん座、23日以降はさそり座。

 

ふたつの星座について調べ始めました。

 

 

 

『帝王切開は、10か月目に入ってすぐの10月22日です。13時から当院で行いますので、ご家族にもお伝え下さい』と院長から言われました。

 

心の中で、「あー、てんびん座かあー」と落胆しました。

 

「はい、よろしくお願いします」と言おうかと思いましたが、息子たちの誕生日、一生ついて回る日付です。

 

私は勇気を出して、院長先生に交渉を試みました。

 

「あの、もしできるなら、23日以降でお願いできないでしょうか」

 

『旦那さんの仕事の関係で、立ち合いが難しいのですか?』

 

「いえ、私の周りの男性を観察すると、てんびん座よりさそり座の人の方がモテる人が多くて。てんびん座よりさそり座の方がいいかなと思いました」

 

院長先生とは、不妊外来の時からのお付き合いなので、隠さず話しました。

 

でも、院長先生はマジ理解不能というお顔で、『え、そんな理由で手術日の変更を言っているんですか?』と確認されました。

 

「はい」と私がうなずくと、すごく耐えがたい沈黙が訪れます。

 

『母体のためにも、お子さんのためにも、10か月目に到達したその日に手術した方が安心なので、22日で行います』と院長は断言しました。

 

看護婦さんによると、院長先生は、忙しいスケジュールを調整して、22日の私の手術を設定して下さったそうです。

 

私は、しんみりと了承しました。

 

うーん、夫の海外出張の為とか言えばよかったのだろうか(そういう問題ではない)。

 

 

 

帝王切開は、手術室に入って15分くらいですべて終わり、順番に血まみれの息子たちをハグしました。

 

夫は、血まみれなので、息子たちを抱くのを諦めていました。

 

それから1週間ほど入院し、息子たちのお世話の仕方を助産師さんに教えて頂き、夫と一緒に、こわごわと抱っこしながら退院しました。

 

 

 

帰宅してからが、待ちに待った子育てのスタート。

 

人生で一番つらい日々だったけれど、振り返れば毎日が宝物のような記憶です。

 

ホンマに、女に生まれてよかったわーと、心の底から今も思っています(*^^*)

 

 

小さい頃から、弟たちには、「キレたら父さん並みに怖い姉ちゃん」と思われてきました。

 

ほのぼのした姉弟ではなく、任侠の「姉さんー若い者」みたいな関係です。

 

パシリに使うのは当たり前、鉄拳制裁もしていましたね。

 

幼なじみが家に遊びに来ている時に、下の弟にお金を渡してパシらせる様子に彼女は心底驚いていました。

 

 

 

弟たちが10歳くらいになると、腕力が同じくらいになったので、口ケンカに切り替えました。

 

ひとり娘の私に極甘な父、口達者な姉に逆らえない弟たちと共に育ち、私はすっかり、男性は「下僕」と思っていたふしがあります。

 

弟たちが不良だった10代は、姉弟仲は最悪でしたが、私が社会人になり、結婚し、「男性は下僕ではない」と腑に落ちたあたりから、仲良く付き合うようになりました。

 

息子たちにとっても、弟たちは、人生の楽しみ方を教えてくれるこち亀の両さんみたいな存在です。

 

 

 

上の弟のメンタル弱めな嫁さんと私の相性が最悪で、ここ10年くらいは下の弟とのみ年に数回実家で会います。

 

ちなみに、上の弟の嫁さんは、私のことを裏で「デビル」と呼んでいます。

 

私抜きで、弟たち・息子たち・嫁で食事をする際は、皆で楽しくデビル談をするそうです。

 

下の弟は、ホント悪気なく口が軽い、秘密保持ができない奴です。

 

 

 

といいつつ、彼は、ワンオペ育児を助けてもらった人生最大の恩人なので、実家で2人飲みする時は、仕事面、生活面でアドバイスしたり、50代の今でも夢を持つことの重要性を説いています。

 

彼が感服しているのが、私が6歳の頃から「ママになる」と決めて、結婚、出産、育児を完了させた人選譚です。

 

「6歳の時の夢を実現するために延々努力するとか、凄すぎるわ。そこまで思い続ける執念が俺には無理。ひとつめの夢が完了したんなら、次は日本よくする夢はどう?政治家になってーや」と、ほろ酔いで弟が宣う。

 

いやいや、私は、地位も名誉も金も権力も全くいらん。

 

第一、政治家と呼ばれる人たちと関わるのがマジで無理。

 

私が言うのもアレやけど、ツッコミどころ満載のド厚かましい人の集合体じゃないでしょうか。

 

まともな人は、役職に就けないという縛りがあるとか。

 

そして働いて働いて働いて働いて働いて死にたくない。

 

人生のミッションをクリアした今、自由に楽しく生きたいです、私。

 

 

 

日本という国がどうなるかを決めるのは、政治家でも官僚でもなく、日本人の集合意識。

 

私ができることは、日々素直に楽しく、自分と他人と自然に優しく生きることだけです。

 

笑顔で生きる人が増えたら、日本はよくなると信じています(*^▽^*)

 

来年3月に我が家を売却するので、私は今、来春以降の住居を選定中です。

 

最もポピュラーなワンルームマンションは、一度も考えませんでした。

 

ユニットバスが無理だし、極小の浴室も避けたい。

 

人生で一度は体験したいと思っていたシェアハウスに住んでみようと思い至りました。

 

 

 

ひとりで国内外を旅する時は、ゲストハウスでドミトリーに宿泊するのが定番です。

 

日の出から日の入りまで歩き回り、ゲストハウスではラウンジやリビングで過ごし、就寝1時間くらい前に寝床に移動します。

 

旅のような暮らしができそうな中型以上のシェアハウスに照準を定めました。

 

先月と今月で、価格帯も形態も様々な合計6か所のシェアハウスを内覧しました。

 

 

 

絞り込む条件は、下記5点。

 

家賃・共益費込みで月額6万円以下。

 

浴室が1418以上。

 

共用部の掃除や管理が行き届いていること。

 

駅から平坦な道で徒歩10分以内。

 

50代を受け入れてくれること。

 

 

 

私は、シェアハウスは、昭和の頃の地域社会みたいなものと想像しています。

 

お互いに顔見知りで、近隣に住んでいて、でも本名や素性はよく知らない。

 

世間話したり、ちょっとした手助けしたり、されたり。

 

踏み込みすぎず、疎遠でもなく、雑談したり、お茶したり、食事を共にするかもしれない。

 

家族や友人や同僚と違う、細くて、でも確かにある繋がり。

 

ひとり旅の途中、同じ宿で出会い、たまたま行きたい場所が同じで翌日一緒に旅するみたいな、好みが似ている人。

 

 

 

最近は、日本でも、物騒な事件が起きていて、他人とひとつ屋根の下に暮らすことに、ためらいもあります。

 

キッチンや洗面台を使った後に、次の人のためにきれいにする人ばかりとは限らない。

 

それでも、何事も経験第一、チャレンジしてみないと分からないあれこれを感じてみます。

 

 

 

息子たちも、来年はいよいよ初ひとり暮らしです。

 

上の子は、1ケ月の集合研修後、大阪勤務になるそうです。

 

今からネットで物件探しをしている様子に、「ああ、大人になったなあ」と感慨深いです。

 

下の子も、集合研修がありますが、その期間が3ケ月。

 

集合研修中に配属先が決まるみたいで、本人より私の方がどこに住むのかなとドキドキしています。

 

一応、シェアハウスの布教活動を彼らにしてみましたが、

 

上の子曰く、「学内にシェアハウス住んでいる人が何人かいたけど、皆、ちょっと変わってんねんな。俺は住みたいと思わへんかったわ」

 

下の子曰く、「共用部の使い方で問題ある人がいても、注意できないし、家の中で気を遣いたくないから、俺もいいわ」

 

君ら、意外に冒険しないな⁉

 

 

 

見学したシェアハウスに関しては、私の求める掃除レベルに達していないところが3ケ所で、即不採用。

 

「ネットにあげている画像の撮り方、詐欺だろ、見学した時間返せー」と思いました。

 

後の3軒は、十分な居心地の良さを提供してくれそうでした。

 

最後は、あみだくじで決めようかな。

 

進学先や就職先、旅行先など、同じくらいいいなという選択肢ばかりの時、コイントスやあみだくじで決めてきました♪

 

これが意外に、最適解をたたき出してくれています。

 

 

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は、2000年のデンマーク映画で、カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作である。

 

初見はTV放映で観ました。

 

映画館で観なくてよかったと心底思った作品です。

 

40代後半、リバイバルで映画館で観た時、上映後しばらく動けなかったです。

 

あらすじも結末も知っていてなお、大画面・高音質の視聴で心が揺さぶられました。

 

 

 

主人公セルマには、これでもかと不幸が襲い掛かります。

 

自身で自ら不幸を引き寄せている部分もあります。

 

その大元は、彼女の境遇と目が見えなくなる病気にかかっていることです。

 

彼女の病気は、遺伝性です。

 

彼女の息子も、手術を受けなければ失明すると言われています。

 

この映画で、私がセルマに感じた最大の違和感は、セルマが出産したことでした。

 

私も、6歳で絶対にママになると決めて生きていたので、セルマに負けず劣らず、子どもは欲しいし、息子たちは自分より大事です。

 

だけど、自身が遺伝性の病気を患っていたら、出産しない選択をするだろうなと思いました。

 

同じ苦労をさせたくないからです。

 

夫になる人を選ぶ際も、それとなく家族・親族の健康状態を訊いていました。

 

実際に出産するずっと前から、私は未来の我が子の母親として行動していたんですよね。

 

ホント、ヒトゴトなら気持ち悪っと思うけれど、当時の私としては必死でした。

 

セルマの息子への愛情は、それこそ命がけの、私も白旗をあげそうなほど深いものでした。

 

けれど、愛情の表出は、人によって違うんだなということを学びました。

 

 

 

10年前くらいに、大阪で、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というイベントに、小学生の息子たちと3人で参加しました。

 

スタッフにガイドしてもらいながら、数人の参加者が真っ暗闇の中で小1時間過ごすというもの。

 

スタッフの方は盲目の男性でした。

 

最初に、鈴のついた杖を渡され、参加者同士挨拶をし、あだ名を共有します。

 

スタッフの方を先頭に、皆互いの洋服をつまみながら、1列になって明度が落ちていく通路を抜けて、真の暗闇の中へ。

 

そこでは、目を閉じても、明けても、同じ闇です。

 

和室にあがり、ちゃぶ台を囲み、お菓子を食べ、今感じていることをお互いにおしゃべりする。

 

真っ暗闇の中で初対面の方々とそんな時間を過ごしました。

 

不思議なもので、段々と、声の方向で誰がどの辺にいるか分かるようになりました。

 

何かに触れた時、手触りや大きさでそれが何か推測するようになりました。

 

途中、何かの香りも感じました、お花が飾ってあるのかなと思いました。

 

視覚に頼らずに世界を感じる体験は、おもしろかったです。

 

移動する時など安全確保に神経を使い、大変疲れもしました。

 

 

 

所要時間は90分ほどと伺っていたので、息子たち、大丈夫かなと心配していましたが、振り返ると、「あっという間だったねー」という感じ。

 

元の世界に戻って最初に感じたことは、「見えるってなんて楽なんだ!」「でも、同時に、取りこぼしている感覚がたくさん

あるんじゃないか」という想い。

 

見えないからこそ感じるものも確かに存在しました。

 

 

 

脳は、視覚から8割の情報を得ています。

 

見えなくなることは、ものすごくしんどいことです。

 

でもいつか、見えなくなる日が来るかもしれない。

 

目を大切にして、きちんと眼科検診を受けて、たまにダイアローグ・イン・ザ・ダークを体験するといいのかもしれない。

 

そして、セルマに話しかける。

 

「あなたの生き方は理解できないけれど、あなたが必死に息子を愛して死を選択したことは受容するよ」と。

 

 

 

当たり前ではない、見えること。

 

時々、心から感謝しています。

 

 

 

私は、強度の近視です。

 

ハードコンタクトレンズを30年使い、老眼の兆候が出てきた50歳を区切りに眼鏡に切り替えました。

 

その際に、かかりつけの眼科医の勧めで、車の運転用のよく見える眼鏡と、自宅用の緩めの眼鏡を作りました。

 

眼鏡を使い分けるようになって、目がすごく楽になりました。

 

生活する上では、手元がよく見えれば事足ります。

 

上の弟は高校時代からずっと眼鏡で、下の弟は、ソフトコンタクトレンズを使用しています。

 

 

 

下の弟は、祖母、両親を見送った後、6DKの実家でひとり暮らしをしています。

 

恋人は(時に同時に何人か)切れ目なくいて、友人・知人も多く、一戸建ての実家で、よく飲み会やバーベキュー、お泊り

会などを催し、独身生活を謳歌しています。

 

しかし、家の中は、カオスです。

 

彼の思い出の品々、買い置きの食品・日用品、趣味の品々、モデルか⁉と思うような衣類や小物たち(約5畳の衣裳部屋があります)。

 

さすがにトイレや洗面台はきれいにしているものの、風呂はぬめりがあるし、台所はモノであふれています。

 

ダイニングテーブルは、しょうゆなどの調味料、毎日飲んでいる青汁やインスタント味噌汁などの食品、スーパーの袋で覆われています。

 

コンロには、使用したフライパンがそのままあり、キッチンペーパーでざっと拭いて、それでまた調理をします。

 

彼には、片付けるというコマンドがないのでしょうね。

 

私はふた月に一度くらい、大掃除をしに行ってます。

 

実家は幼少期から過ごした思い出深い家ですし、育児や介護で弟にはものすごく助けてもらったので、その恩返しです。

 

 

 

こんな下の弟が、ソフトコンタクトレンズをしています。

 

ソフトコンタクトレンズは、衛生面で守らなければならないルールが多い商品です。

 

きちんと扱えているのかなと不安に思っていました。

 

 

 

先日、実家に掃除に行った時に、何気なくその点を訊いてみました。

 

「家の中、こんなに汚いのに、ソフトコンタクトレンズを問題なく使っているの、すごいね。私は、やること多すぎると思って、ハードにしたわ」

 

「いやいや、全然ちゃんとしてなくて、5年前くらいに、ソフトコンタクトレンズで失明しかけたことあるで」と弟。

 

「えっ?」

初耳です。マジか⁉

 

 

 

曰く、レンズに触る時に手を洗わない、コンタクトケースを十分に洗わない、レンズ使用後こすり洗いをしないなど、勝手に色々はしょっていたら、目に異常を感じたそう。

 

すぐに眼科を受診したら、「角膜潰瘍です、失明するかもしれませんよ」と医師に叱られたそうです。

 

失明する可能性もあったものの、ギリギリ回復し、現在は、使い捨てレンズと眼鏡の併用にしているとのこと。

 

使い捨てレンズを触る時は、しっかり手洗いをし、適切な装用時間を守っているらしい。

 

人は、切羽詰まった経験をすると、きちんと学び、行動を改めるのですね。

 

私は、過去の話なのにものすごくドキドキしました。

 

 

 

弟のよかった点は、異常を感じた点ですぐに受診したことです。

 

特に、感覚器は、外界との結節点なので、「面倒くさい」「忙しい」「たいしたことない」と先延ばしせずに、すぐ対応した方がいいです。

 

取り返しのつかない結果になった時に、きっと後悔します。

 

どんなに悔やんでも、時は戻らないので、「ここが分岐点だ」と感じる感性と、そこですぐ行動に起こせるフットワークは大事です。

 

 

 

若かりし頃、私も何回かハードコンタクトレンズをつけたまま寝て、角膜にレンズを張り付けたことがあります。

 

目を開けたまま洗顔して、レンズを外していました。

 

大幅にレンズがずれて、眼球の上を移動させて取り出したこともあります。

 

うん、見た目より何より、目を大切にしなきゃ。

 

最近、痛切にそう感じています。

 

私がメガネをかけるようになったのは、中学生の頃です。

 

小学生までは両眼とも1.2でしたが、中学生になって読書にはまり、夢中になって読んでいたら両眼とも0.5になっていました。

 

高校時代には、読書と受験勉強で、ますます視力が落ち、メガネなしでは外出もままならなくなりました。

 

 

 

勉強も読書もほとんどしない弟たちも、サッカーをしなくなった高校時代から視力が落ちました。

 

当時は携帯電話もTVゲームもない時代です。

 

父が強度の近視だったので、遺伝だと諦めていました。

 

 

 

社会人になり、事務仕事をするようになったため、視力がますます落ちました。

 

私は、このまま目が見えなくなるんじゃないかと心配になりました。

 

読書環境を整えたり、テニスやゴルフを始めたりしましたが、無駄な抵抗で、目がよくなることはありませんでした。

 

 

 

34歳で出産し、新生児の子どもたちと実家でふた月ほど過ごしました。

 

片目をつぶると、視野に海苔がはり付いたような欠けがあることに気付きました。

 

当時は、自分自身、トイレに四つん這いで行くくらい疲弊していました。

 

実家にいる間は、両親がいてくれたので、全く外出しませんでした。

 

自宅に戻り、慣れない育児に忙しい日々を過ごしているうちに、視野の欠けがなくなっていることに気付きました。

 

出産直後のクライシスやったんかなーといつの間にか忘れていました。

 

 

 

子どもたちが10歳の頃に、ご近所に眼科が開院しました。

 

とても丁寧に診察してくれるという評判で、繁盛していました。

 

子どもたちがものもらいで受診した際に、私も久しぶりに目の状態をチェックしてもらいました。

 

先生は、丁寧に私の目を観察し、何でもないことのように言いました。

 

「一度、網膜剥離を起こして、自然治癒した痕跡があります。心当たりはありますか」

 

出産直後の視野の欠けを思い出し、それを伝えると、先生は、大学病院への受診を勧めました。

 

「大丈夫とは思いますが、完治しているかきちんと診てもらった方がいいでしょう。紹介状を書きますね」

 

 

 

すぐに大学病院の眼科の予約を取り、最速で受診しました。

 

40代の医師曰く、「いやー、運がいいですね。確かに網膜剥離が起きていたけれど、きれいに治っています。数万人にひとりくらいの幸運ですよ。完治しているので安心して下さい」とのこと。

 

「こんなレアケースを実際に診ることができて、勉強になりました」とお礼まで言われました。

 

こちらこそ、安心をありがとうございます。

 

 

 

正月に実家に帰った時に、「10年前の網膜剥離自然治癒事件」を両親と弟たちに伝えました。

 

すると、上の弟が、「えー、いいな。俺は、5年前に網膜剥離の手術したで。あれ、片目つぶらな視野の欠けに気づかないか

ら、失明まで行く人も結構いるらしいで」と言いました。

 

私と弟たちは、「お父さんのせいだ」と父を責めましたが、父は全く意に介さずでした。

 

 

 

今年、「一生目が見える人のすごい習慣」という本を読みました。

 

その本で、自分が目が悪くなった理由が、目の構造の問題ではなく自らの生活習慣の問題だと分かりました。

 

つまり、近距離ばかりを凝視して過ごしてきたので、円形の硝子体が近距離に焦点が合うように楕円形に変化していったのです。

 

それを継続するうちにますます楕円が細長くなり、視力が落ちたのです。

 

父のせいではなく、自己責任でした。

 

 

 

身体の基本性能や構造は、生まれた時から不変だと思い込んでいました。

 

自分の生き方次第で、身体は良くも悪くも大きく変化する生モノだと実感しました。

 

「寝る前にベッドでスマホを見ない」、「目を温めて血行を良くする」を毎日の習慣にしようと思っています。

 

そして、毎年の眼科検診も、この本に触発されて、自分に課しました。

 

免許更新の前しか眼科に行かなかったけれど、50代後半なら、目の病気のチェックを毎年受けた方がよいそうです。

 

網膜剥離も、今後起きない保証はないですし。

 

まだまだ美しい世界を見たいので、悔いのないように目を大切にします。

 

先日、1泊2日で岐阜県にソロドライブ旅行に行ってきました。

 

錦秋の時、別世界の自然を満喫してきました。

 

 

 

今回の目的地は、ふたつ。

 

養老町の天命反転地と、白川町の佐久良太神社です。

 

岐阜県内は、高速道路以外はほぼ山道(偏見?)。

 

山道の運転は神経も使うし、山間部の日暮れは早く、夜が訪れれば真っ暗闇になります。

 

私の友人は、ひとりで大歩危小歩危に車で行った時、昼間崖下にずり落ちたことがあります(彼女は死を覚悟したそうです)。

 

グーグルマップアプリを開き、1時間弱歩いて近くの一軒家に辿り着き、九死に一生を得たそうです。

 

山間部へのソロドライブは、慎重な運転と備えが必須だと知りました。

 

 

 

今回は、養老インターまで高速で行き、天命反転地でアートを体験し、そこからは岐阜県南部を東へ横切って白川町に向かいました。

 

養老町から白川町への行き方を検索すると、高速と一般道の所要時間の差は45分くらい。

 

無味無臭な高速より、初めて見る風景が詰め込まれた一般道の方を選びました。

 

ボロい近畿道みたいなバイパスからの眺めにワクワクしました。

 

せっかくなので、お昼は、なじみのチェーン店をスルーして、地域のファミレス「肉のはせ川」で、ハンバーグランチを頂きました、美味♪

 

 

 

私の運転歴は、32年です。

 

現在はゴールド免許で、物損事故は数回ありますが、人身事故はないです。

 

教習所で、半クラッチと坂道発進を経験したくて、ミッションのコースを選んだので、エンジンブレーキは理解しています。

 

車は、FFの車高が高いコンパクトカーで、ナビ、ステレオ、ドライブレコーダー、初心者マークを装着しています。

 

対向一車線の山道では、時速50㌔を心掛けて走ります。

 

なのに、すぐ、後続車が連なります。

 

早く目的地に着きたい人、スピード感を味わいたい人、前にのろのろ走る車がいるのは耐えられない人、バスやトラックの運転手さん、色々な事情の人がいるのでしょう。

 

バックミラーに車が見えたら、速やかに退避して、進路を譲ります。

 

山道の間は、延々これを繰り返します。

 

あおられて事故るのが、一番の恐怖です。

 

私は景色を楽しみながらドライブでき、周りのドライバーも気持ちよく走行できる、このやり方が最適解です。

 

 

 

岐阜県の東端で、一般道でしか行けない白川町は、今生ではラストの訪問と思い、こちらで宿を取りました。

 

村落内の、未舗装でガードレールのない細い道を通る時は、「対向車は来ないで!」と思わず祈りました。

 

タイル張りの風呂場、回り縁側の客間、立派な玄関。

 

小さい頃過ごした祖父母宅を思い出して、とても懐かしかったです。

 

翌日お参りした佐久良太神社で見上げた空は、一生忘れません。

 

村内の和菓子店で購入したお菓子は、想像以上に美味でした。

 

総運転時間は、行き帰りの渋滞が響き、約18時間でした。

 

 

 

去年、運転免許を持ったあなたたち。

 

ここ3ケ月、全く練習もしていない様子を見ていると、このままペーパードライバーになる気かな。

 

24歳で免許を取って、弟どちらかを横乗りさせて路上教習に励んだ半年後、最初に向かったのが比叡山ドライブウェーという私の息子とは思えない…。

 

その頃はナビもないから、助手席に道路地図を広げて、信号で停止する度に何個目の信号で曲がるかとか確認していたんだよ。

 

ちなみに、この時は山道を時速30㌔くらいで走っていたので、退避所ごとくらいに道を譲っていました(大迷惑)。

 

実際、あなたたちがドライブに行くとなったら、準備は大変だし、危険はつきものだし、何事もオンラインで十分と思う気持ちは理解できる。

 

でもさ、「やる」・「やらない」の2択で、「やらない」方ばかり選択し続けると、そのうち、動くのが怖くなって動けなくなるよ。

 

若いうちは、死なない限り、どんな失敗も、リカバリーできる。

 

時間も体力も、知力も、まだまだあるからね。

 

いきなり「遠くへドライブしろ」とは言わないからさ、近隣のイオンモールまでとか、最初の一歩を踏み出してみてはどうかな?

 

最近、人混みで、時々「ゴーイング マイ ウェイ」な人を見かけるようになりました。

 

そう思っていたら、「ぶつかりおじさん」という名称でSNSで話題になっていました。

 

私が見かけた方々は、30代~40代のがっしりした男性が多かったです。

 

彼らは、目的地に向かって、結構なスピードでまっすぐに行進していました。

 

周りの人たちに、微塵も進路を譲りません。

 

そのため、人にぶつかります。

 

ぶつかられた人は、振り返って睨みつけたりしますが、「ぶつかりおじさん」は、何事もないように歩き去ります。

 

彼らは、周りの人を認識していないのでしょうね。

 

まるで、世界に自分ひとりしかいないようなふるまいです。

 

年配の人や子どもにぶつかったらと思うと、ヒヤリとします。

 

 

 

私も、人とぶつかりそうになることがあります。

 

相手が避けるだろうと思っていたり、時間やタスクに追われて心ここにあらずっだったりする時です。

 

行き交う人を障害物のように感じ、「邪魔、どけよ」と無意識に思っているんでしょうね。

 

そういう時、総じて自分の状態はよくなくて、身体も心も強張っています。

 

 

 

昭和の頃は、細い路地でも自然と譲り合って行き交うことができていました。

 

雨の日は、お互いに傘を斜めにして、「よく降りますね」「昼にはやむみたいですよ」なんて会話しながら、行き交います。

 

互いに濡れずにすむと、知らない人同士でも嬉しくなって微笑んでいました。

 

今だと、前から来る傘をさした人がそのまま歩いてくるので、私は腕を伸ばして傘を高く掲げます。

 

相手は、まるで私が存在していないように、何事もなく歩き去ります。

 

後に残るのは、ちょっぴり濡れている私が、ひとり。

 

なんだか、夏でも、薄ら寒い気分になります。

 

 

 

今、一番いい気分になるのは、山にハイキングに行った時。

 

空気や空や森や川が美しく、でも、それだけではなくて。

 

知らない人同士でも、「こんにちはー」と挨拶し、狭いところでは譲り合い、ちょっとした菓子やあめをお裾分けし合います。

 

「マインドフルネス」って、こんな感じなのかな?

 

知らない人たちも、皆「仲間」のような感覚です。

 

そういえば、「ぶつかりおじさん」に出会ったことはありません。

 

 

 

我先に急いだところで、せいぜい5分も違いません。

 

人を押しのけて寸暇を惜しんでも、結局スマホをにらめっこしている時間が増えているだけではないですか?

 

自分が一歩引いて、他人に「お先にどうぞ」と譲れる余裕を持ちたいものです。

 

その方が、1日気分よく過ごせますよ、きっと。

 

 

上の子は、今年、文学部4回生です。

 

小さい頃から、楽しむのが上手な、頑張らない子でした。

 

彼のスペックの高さを私はビンビン感じるので、彼の暮らしぶりは私には怠慢と映り、親子喧嘩をよくしていました。

 

私と上の子がもめると、下の子が体調を崩すというのが、思春期の我が家のルーティンでした。

 

 

 

下の子が、あまりに影響を受けやすいので、「そんなんで大丈夫か、学校ではしんどくならないのか」と訊いてみました。

 

「2人は家族やから、もろに影響を受けるけど、他人とは同期しないから大丈夫」との返事。

 

そういう線引きをしているのか、では、恋人選びは慎重にして欲しいな。

 

 

 

上の子は、いつ勉強してるねんという中学・高校時代を送り、私が大学と認定している学校のひとつを難なく合格しました。

 

要領よく大学の単位を揃え、就職先も確保し、現状、卒論のみになっています。

 

ホンマにヤバい時は、震えながら私に相談に来るので、実は、彼に関しては、あまり心配していません。

 

そう思いながらも、大丈夫か確認しちゃうのが私なのですが。

 

 

 

「卒論って、もうテーマ決めて、書き出してるの?」

 

『うん。全部で4万字書くねんけど、もう半分は書いて教授にOKもらっているで』

 

「え?半分は提出済なの?私の時は、1月の締切日に原稿用紙100枚分を一気に提出やったけど」

 

『春にテーマと概要を最初に提出して、2ケ月に1万字ずつ提出してそのつど添削してもらう形やで』

 

 

 

最初にテーマと概要のチェックを受け、1万字ずつ分割して提出し、1回ずつ承認もらうの?

 

…それは、1万字のレポートを4回出すという感じなのか?

 

…4つコンプしたら卒業論文という体裁になるってか。

 

 

 

いや、私もたいした卒論書いていないけれども。

 

当時の教授は研究第一で、そんなに手厚く学生指導していなかったぞ。

 

「どうやって字数をかせぐか」にホントに苦労したんだから。

 

何回、「おいしいカレーレシピベスト10」や「私の家族の思い出」をぶち込もうと思ったことか。

 

可を頂いた時は、ロッキーのようにこぶしをあげて喜びました。

 

カレーレシピを書いていたら、おそらく不可だったでしょう。

 

 

 

上の子の部屋には、書籍は教科書と辞書しかありません。

 

中学校以降、ラノベさえ読んでいません。

 

大学受験の時に、「なぜ文学部にしたの?」と訊けば、『法律も経済も興味ないし、文学部が一番勉強しなくてすむかなと思った』と答えます。

 

一瞬、4年間の授業料をどぶに捨てるイメージが湧きました。

 

 

 

きっと、教授からしたら、今の文学部大学生は歯がゆいでしょうね。

 

彼らを無事に卒業させるために編み出した方法が、卒論4分割提出なのでしょう。

 

研究者としての矜持より、教育者としての務めを優先し、指導して下さっている教授に頭が下がります。

 

自分は変えられるけれど、他人を変えることはできませんものね…。

 

 

 

学校時代、苦労らしい苦労もしないで、楽しく過ごした上の子よ。

 

社会人1年目をどう乗り切るのか、私は密かに楽しみにしています。

 

要領のいいあなたのことだから、大ケガはしないでしょうね。

 

私にとってあなたは、ホントに息子らしい息子です。

 

後ろからこっそり、見守っていきます。

 

 

最近、隣の席の同僚とよく話します。

 

30代前半の女性で、日本人には珍しく抑揚のある話し方をします。

 

そういえば、外見や話し方が、「Dr.スタンプアラレちゃん」のアラレちゃんに似ています(「んちゃ!」は言いません)。

 

この方の醸し出す雰囲気と話す内容が、私のツボにはまっています。

 

 

 

昼休みや終業後、時々ほっとひと息の雑談をします。

 

かみ合っているのかいないのか、話が微妙にずれている感じが好きです。

 

 

 

*以下、便宜上彼女を「アラレさん」とします。

 

「アラレさんって、すごくきれい好きですよね、コロナの影響?」

 

『いえ、母の影響ですね。小さい頃から、帰宅したらまず入浴して、きれいな服に着替えるのがルーティンでした』

 

「すごいルーティンだね。私、帰宅しても、風呂どころか手洗いもうがいもしないよ」

 

『そこはして下さい。不衛生ですよ。母はきれい好きで、5人家族でしたが、夏は1日3回、冬は2回、洗濯機回していました」

 

「おじいちゃんや友達の家に行った時も同じ感じ?」

 

『よそはよそ、うちはうちなので、自宅以外では、その場に合わせてました』

 

「じゃあ、私も、そんなに手洗い・うがいをしなくてもいいのでは?」

 

『インフルやコロナがはやってきているので、同僚として、手洗い・うがいの励行をお願いします』

 

「アラレさんは、友達の家に遊びに行った時もまず手洗い・うがいするの?」

 

『小学生の頃から、友達のうちに行ったら、まず手洗い・うがいをしていましたね。おやつ食べて、それからゲームをする場合、特に手が汚れていない時も、ゲームの前に手を洗ってました』

 

「ひえー」

 

『おやつの後、友達が手洗いをしない場合は、鞄からウェットティッシュを出して、自分だけ手を拭いてからゲームをしていました』

 

「すごい、私だったら、自分と違うから、今後遊ばないと思うところやわ」

 

『友達を、「自分と違う」だけでは切らないですね。その子が、食べ物を触った手でそのままゲーム機を持つのはOKだけど、私はそれができない。じゃあ、自分がその溝を埋める方法を見つけて、実行すればいいかなと』

 

 

 

アラレさん、自分も相手も双方〇の道を歩んでいる!

 

しかも、自分が「ウェットティッシュを持参する」という手間を引き受けてまで。

 

面倒を乗り越えてまで友達と一緒にいたいと思ったことがないので、アラレさんの行動様式は衝撃でした。

 

うん、私には友達がほとんどいないわけだわ。

 

数少ない友達たちは、アラレさんのような柔軟で器の大きい人ばかりなのかもしれない…。

 

 

 

自分の王国の中にこもっていると、ルールを独断で決めることができます。

 

相対する人には、私の言動しか見えていません。

 

マイルールや信条に抵触したかどで、唐突に付き合いを切ることはよくあることでした。

 

ひとりで気ままに生きていく方が楽しいから、それでいいじゃんと思ってきました。

 

でも、アラレさんの友達との付き合い方を知って、もう少し周りの人に歩み寄ってもいいかなと思い始めました。

 

年齢を重ねて、少し弱気になってきている気もします(*^。^*)

 

 

 

家族でも、恋人でも、同僚でもない友達は、特に一緒にいる切羽詰まった理由がない、あり難い存在です。

 

互いに同じくらいの友情を持っていないと成立しません。

 

恋愛より友情の方が得難いと思っています。

 

長年の付き合いの友達たちに、ちょこっと感謝の気持ちを伝えていこうかなという気持ちに今なっています…。

 

そして、この冬は、手洗い・うがいも励行していきます♪