愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

自分の大好きなことをして、会いたい人と一緒の時間を過ごす毎日は幸せです。日々の暮らしを通して感じたことを表したいと思います。

人生で一度でいい、自分の納得のいくモノを生み出したいと悪戦苦闘中です


それは、料理かもしれないし、小説かもしれないし、ペンダントかもしれません


様々なことを感じながら、毎日を丁寧に過ごしています

私は、物心つく頃から、とても合理的な子どもでした。

 

何かする時には、きちんとそれをする理由を認識していました。

 

食べるのは、お腹がすいたから。

 

外で大勢の子と遊ぶのは、その方が楽しいから。

 

怒るのは、思い通りにならないから。

 

大人の前で「いい子」になるのは、その方が得だから。

 

 

 

家族の前では暴れん坊でしたが、外では「弟や小さい子に優しい女の子」を演じていました。

 

ポシェットをいつも斜め掛けして、その中に、ハンカチ・ティッシュ・絆創膏を入れていました。

 

我ながら、無意識にあざとい(*^▽^*)

 

 

 

祖父母やおじおば、両親の仲人夫妻(祖父母と同じくらいかわいがってくれていた)、ご近所の人や、商店街の人、学校の先生などなど。

 

目の前の大人が、私にどう振舞って欲しいと思っているか。

 

それを感じ取り、できる範囲で応える。

 

笑顔で挨拶し、物おじせず適度にわがままを言い、それをきいてもらったらお礼を言い、次に会った時にも感謝する。

 

大人の転がし方を心得た小学生でした(*^▽^*)

 

 

 

この時の経験は、大人になって本領を発揮します。

 

新卒で入社した大企業でも、目上の方々には、かわいがってもらいました。

 

上司とふたりでホテルの高級バーに飲みに行っても、8割彼の昔の苦労話、2割私への指導という塩梅で、カクテルがめちゃうまかったです♪

 

社会人として、最低限の常識やふるまいを身に付けることができたのは、最初の会社の上司や先輩方のおかげです。

 

 

 

ひと世代上の、真面目に仕事をし、子どもを育て、税金を納めてきましたという方々に、今でも、私は親和性があります。

 

彼らの喜ぶツボが分かるのは、小さい頃からの経験値のおかげです。

 

彼らの人生がよりよくなるようにという立ち位置で、本心からアドバイスするので、ガッツリ信頼されるのかもしれません。

 

大きなお金が動くような決断の時も、「あなたの言うとおりにするから、どちらがいいか決めて」と言われることがあり、正直戸惑います。

 

他人の人生の責任を負うことはできないからです。

 

自分自身が還暦が近くなってきたので、決断することが怖いと感じる気持ちには共感はします。

 

「どんなに時間がかかっても、どんな選択をしても、自分自身が出した答えなら、きっと大丈夫ですよ」と、ご自身で決めるよう促します。

 

 

 

そういうスタンスで、仕事をしている話を弟にすると、

 

「そういうとこ、ねーちゃんがお客さんに信頼されるところじゃね?でも、ねーちゃんが投資話持ちかけたり、水晶売ったら、すぐ億万長者になれるで」

 

と、弟が宣う。

 

「いやいや、非合法な手段は、私にとってはリスクでしかない。間違いなく、後悔する。息子たちを人質に取られない限り、しない」と私。

 

「もったいないなー。教祖とか詐欺師になったら大金持ちになれるのに。おれ、運転手と荷物持ちするし」

 

と、重ねて言うので、

 

「しつこい!お金は、まっとうに働いて稼ぐのが一番やで」

 

と黙らせました。

 

 

 

まだナビがなかった20代の頃、田舎にドライブに行き、道に迷うと、沿道のおうちをピンポンして道を訊いていました。

 

そういう時、「お昼食べていき」「お茶飲んでいき」と、アニメ「日本昔ばなし」に出てくるようなおじいさん、おばあさんによく誘われました。

 

そこから思いついて、将来、お金に困ったら、車で田舎を回って、高齢者世帯のおうちをピンポンして、家事・買い出し・送迎する代わりに無料で食事付きで下宿させてと頼もうとひっそり考えています。

 

昨今は、そこここで、クマが出没するので、このもくろみは命がけになるかもしれませんが。

 

例え無一文になっても、頭を振り絞って考えれば、まっとうに生きていくことは可能だと思っています。

 

3月下旬の引っ越しをお願いする業者も決まり、今、家の中の不要なモノをドンドン運び出しています。

 

私はシェアハウスに、息子たちは各々単身者用のマンションに住む予定。

 

20年間居住した我が家には、そこここに、もう我々には必要ないモノがたくさんありました。

 

ゴミに関しては、全て引取り無料なので、普通ゴミ、不燃ごみ、大型ゴミなど、該当の日にせっせとゴミステーションに持って行っています。

 

昔よりも簡単に、私たちには不要なモノを必要と思って下さる方に譲ることもできるジモティやメルカリ、ヤフオクのおかげで、手間はかかりますが罪悪感は減らせました。

 

最も処分に手間がかかるだろうと思っていた大きなダイニングテーブル(110センチ×220センチ×75センチ)も、福祉施設に旅立ちました。

 

嬉しい限りです。

 

 

 

そして、今回は、各々で荷造りをします。

 

私は、家具完備のシェアハウスへの入居なので、自家用車に段ボールを5箱ほど積み、部屋に運び込めば引っ越し完了です。

 

明日は、上の子と、新居探しに行ってきます。

 

賃貸物件を見て回るのは、結婚の時以来、約30年ぶりです。

 

自宅売却でお世話になった不動産屋さん、シェアハウスの仲介をして下さった不動産屋さんに、息子たちの部屋探しのポイ

ントを訊いたら、下記のことを言われました。

 

事前にネットで調べた部屋情報を持参し、それを内覧したいと伝えること。

 

地震を考慮し、築年数がある程度たっていても、鉄筋コンクリート造りの建物にすること。

 

また、災害時エレベーターが使えなくなることを考え、高層階ではなく2~4階くらいがよい。

 

エントランスホール、郵便受けやエレベーター、廊下、ゴミ置き場、駐輪場など共用部が荒れていないこと。

 

賃料と住民の民度はある程度リンクするので、あまり安いところ、周囲の治安が悪いところはやめた方がいい。

 

ホント、ありがたいアドバス、活かしたいと思います。

 

 

 

がらんとしたダイニングを眺めると、この家でにぎやかに過した日々を思い出し、寂しい思いに駆られます。

 

同時に、大荷物を肩から降ろして、身体が軽くなった気もします。

 

新しい扉を開ける時は、いつも、不安とワクワクが同居しているんですよね。

 

 

 

私は、きっともう家を所有しないだろうなという予感がしています。

 

今年いっぱいは、息子たちの見守りと国内旅行に勤しみます。

 

来年は、世界一周チケットを買って、台湾(初)→東南アジア→インド→トルコ(初)→ヨーロッパ→北米→ハワイ(初)ルートで、世界一周しようと目論んでいます。

 

インターネットとスマホの出現で、ホント、昔と比べると考えられないくらい身軽に海外に行けるようになりました。

 

その後は、国内外、住んでみたい都市に月単位で滞在して行きます。

 

 

 

日本は、世界は、これからどう変わっていくのかな。

 

体力・知力が続く限り、地球を楽しみます。

 

遊び飽きたら、おとなしく日本で老後を過ごします(*^^*)

 

息子たち、無事に卒論諮問を乗り越え、残り少ない大学生活を満喫中です。

 

下の子は、3月中旬までの定期券を購入し、平日は毎日登校しています。

 

曰く、卒業後は研究室のスーパーコンピューターで解析できなくなるから、今のうちに色々試したいのだそうです。

 

うん、ホント大学に施設利用費を払っている甲斐があります。

 

 

 

上の子は、もうすぐゲームをできなくなるからーと、先日購入した「ドラクエ7」をやり込んでいます。

 

その映像を見ると、私が大学生の時に夢中になっていたドラクエ(復活の呪文あり)とは全くの別物ですね。

 

「会社入ったら、長い休みは取れなくなるよ。国内でも海外でも、どっか行って来たら?」と水を向けても、

 

「今、3月に友達とどこか行くか相談中。なかなかまとまらへんねんなー」との答え。

 

この調子だと、有効なパスポートも持っていない彼の場合、海外は無理そうです。

 

私も親から大学時代してもらったので、息子たちには、「卒業旅行行くなら、30万までは実費支給するよ」と、入学時から伝えています。

 

*上限を設定したのは、上の子は、例えばビジネスクラスに乗るなどの贅沢旅行をしようとするタイプだからです。

 

きっと、社会人2年目くらいに、この特典を利用しなかったことを悔やむでしょう(*^▽^*)

 

 

 

昨夜、上の子が、「基礎年金番号って何?」とか、「健康保険の扶養と所得税の扶養って、どう違うの」とか、つっけんどん

な口調で訊いてきました。

 

どうやら、会社から、個人情報の提出を求められているけれど、そもそも設問の必要性が分からないようです(まあ、そうでしょう)。

 

ChatGTPみたいにピンポイントで答えてもいいけれど、そもそも会社側の意図が曖昧だと私も答えにくい。

 

「あーもう、何を意味しているか分からん」と言いながら、彼はボンバーヘアの頭をガシガシとかきむしる。

 

「まあ、明日、就業時間中に、人事部の人に、分からないことをひとつひとつ、丁寧に訊いてみたら。向こうもそれが仕事やから、ちゃんと教えてくれるよ」とアドバイスしたら、

 

「あーもう、訳わからん。あー社会人になりたくないー。世界爆発しろー」と叫ぶ。

 

赤ちゃん返りではなく、小学生返りか?

 

「世界爆発したら、皆死ぬがな。文明がない世界で、あんた、生きていけへんやろ」とツッコめば、

 

「あー、もう、会社入りたくないー、どっか山奥に行って、木こりになるー」と無茶苦茶を言い出す。

 

まあ、気持ちは分かるわ。

 

生活にまつわること丸ごと全部、自分で背負わなあかんというのは、そりゃ、大変化で、避けたい気持ちは分かる。

 

そのタイミングで、初ひとり暮らし始めるわけやし、怖いよね。

 

 

 

面倒くさい百乗だろうけれど、木こりにならずに社会人になってね。

 

確かに最初は苦労するだろうけれど、それは、乗り越えなければならないハードルです。

 

「静かなる退職モードで仕事する!」と宣言していたあなたが、どういうふうに1年目を過ごすのか、ひそかに楽しみにしています。

 

 

 

とりま、年金手帳が見あたらないなら、本人がマイナンバーカード持って役所に行けば一番話が早いから、さっさと行動に移しなさい。

 

あなたの大好きなドラクエをリアルでプレイしていると思って、クリアすることをお勧めします。

 

そうすれば、面倒な仕事も、何を考えているか分からない上司も、親切でない先輩も、攻略できるんじゃない?

 

とりあえず、ボンバーヘアは、来月中に美容室で整えてね。

 

妊娠期間を含めて、23年間、双子の息子たちを育ててきました。

 

自分の命より大切なモノができて幸せの絶頂を味わいましたが、彼らを完全に制御できたことがありません。

 

比喩ではなく、何度も心臓がキュッと握りつぶされそうになりました。

 

街中で大きな叫び声をあげたことも、ドラマの中みたいに世界がスローモーションに感じたこともあります。

 

双子の男の子をワンオペで育てるのは、ホントに心臓にダメージをくらいます。

 

 

 

下の子の顔を二度と見れないのではないかと泣きそうになったのは、彼らが小学6年生の夏休み、2週間バックパックでヨーロッパを旅行した時です。

 

パリのオルセー美術館3階のフロアに着いた途端、下の子が「鬼ごっこするぞ!」と宣言し、走り出しました…。

 

 

 

見知らぬ場所に来た時、上の子は、必ず保護者を視界に入れています。

 

外出先で迷子になったことは、ゼロです。

 

下の子は、1歳頃から、自分がしたいことに夢中になり、突進するタイプでした。

 

「もう会えないんじゃね?」と思いながら、プールで、海辺で、公園で、スキー場で、キャンプ場で、スーパーで、何度も何度も捜し回りました。

 

ほぼいつも、「ママどうしたん?」という顔つきで、しれっと現れるから、腹が立ちます。

 

 

 

オルセー美術館の3階で下の子を見失って、呆然としました。

 

上の子の手を引いて、3階全ての展示室を見て回っても、発見できません。

 

1階の受付に行き、「子どもが迷子になったので、館内放送をしてもらえませんか」と女性スタッフに頼みました。

 

彼女の返答は、「館内放送はできません。お子さんの服装と特徴を教えて下さい。全警備員にそれを伝達します」とのこと。

 

警備員から発見の連絡が来るまで受付でただ待つのは、私の性分には合いません。

 

幸い、オルセー美術館は、出入り口が受付前の1ケ所のみです。

 

いてもたってもいられない私は、上の子の肩をがしっと掴み、しっかり目を見て、頼み込みました。

 

「私は、3階のフロアから順番に、すべての場所をチェックしに行く。あなたは、ここに立って、弟が出て行かないように見張っていて。絶対にここを動かないでね。必ず戻ってくるから、信じて待ってて」

 

上の子は、悲壮な顔でうなづきました。

 

言葉も通じない異国で、唯一頼みの綱の母親をひとりで待つなんて、すごく心細いでしょう。

 

でも、彼は泣かなかった。

 

私は、彼の頭をガシガシとなでて、飛ぶように3階まで駆け上がりました。

 

 

 

先ほど見なかった場所からと思い、最初に3階のトイレを見に行くことにしました。

 

誰かに男子トイレの捜索を依頼しようと思っていたら、いました、下の子が、トイレの前に。

 

床に紙を敷き、クレヨンで何か描いています。

 

「こら!」と私が大声を出すと、彼は顔をあげ、嬉しそうに笑いました。

 

私は、彼の前に座り込み、「何のんきに絵を描いてるの。怖くなかったの?」と訊けば、「だって、絶対ママが捜しに来ると思っていたから」と言う。

 

一瞬、そのまっすぐな信頼にほだされそうになりました。

 

でも!

 

外国で意思疎通ができない子どもが迷子になったら、もう二度と会えないんじゃないかと思うやんかー!

 

「言いたいことは山のようにある。けれど、とりあえず、立て。1階で待ってる兄貴のとこに戻るぞ」

 

そう言って、下の子の手をしっかりと握り、1階まで一緒に降りました。

 

 

 

受付まで辿り着くと、意外に平気そうに上の子が出入り口横でふんばっていました。

 

私たちの姿を見つけると、あからさまにホッとした顔をしました。

 

まず、女性スタッフに子どもが見つかったことを伝え、お礼を言いました。

 

もう一度、3人でエスカレーターに乗り、3階から順番に作品を鑑賞していきました。

 

建物も展示も素晴らしかったけれど、私の心臓は、残念ながら凍り付いたままで、何ひとつ心に響きませんでした(涙)。

 

 

 

ちなみに、受付の女性スタッフに、下の子の服装を尋ねられた時、とっさに答えることができませんでした。

 

次の日から、朝ホテルを出る時、毎日写メを撮るようになりました。

 

これは、彼らが小学校を卒業するまで続く習慣になりました。

 

しかし、迷子になったのが出入り口1ケ所のオルセーで本当によかったです、複数の出入り口があるルーブルだったら、再会は叶わなかったかもしれません。

 

小学生の彼らと行ったこの旅行が、私の最も思い出深い旅行だというのは、間違いないです。

 

私には、メンターが3人います。

メンターのうち、現実の人間はひとりで、男性です。

20年くらい前、約半年間のコーチング連続講座で出会いました。

彼の個人情報は何も知りませんが、私は心から信頼しています。

一時、彼が勧める本を読みまくっていました。

世界の見え方、とらえ方が大きく変化しました。

「怖いという感覚は、大事なんだよ。それは、大きく変化する時の合図だから。のりちゃんが怖いと思うこと、どんどんしてみたらどうかな」

と、スタバでお茶している時に、さらりと言われた言葉は、ずっと胸に残っています。

 

彼の言葉は、種みたいです。

私の中で、芽を出し、育っていっています。

「怖い」という感情は、私にとっては「チャレンジ」のサインなのです。

息子たちの旅立ちが近い先日、そのサインがふいっとやってきました。

 

今月、元遊郭という料理屋さんで、昼間、息子たちと新年会を開催しました。

築100年の文化財登録もされている絢爛豪華な建物の中で、高級すき焼きを頂くというシュールな、最後かもしれない家族揃った新年会です。

私は、この時、息子たちにきちんと今までのことを詫びようと思っていました。

「食事の前に、5分ほど、話あるねんけれど、いいかな」と訊くと、彼らは「えー、改まって何?」と言いながら、こちらに身体を向けました。

私は、架空のふんどしをフンっと締めて、話し始めました。

 

「あなたたちが中学生、高校生の頃、私、ものすごくいっぱい怒ってたよね。

私の子どもの頃よりずっと恵まれた環境にいるのに、何事にも本気を出さない様子が、すごく歯がゆかった。

だけど、それは、私のひとりよがりなエゴだった。

きちんと話し合わずに、ヒステリーばかり起こしていた。

私の一方的ないらだちを、中学生や高校生のあなたたちにぶつけたことを、心から謝罪します、ごめんね」

言い終えると、私は頭を下げました。

 

顔をあげると、2人とも、ビックリした顔をしていました。

そんな表情は、初めてみました。

 

おそらく、彼らにも、思春期以降思うところはいっぱいあったと思います。

私がこれ以上ないくらいの暴君だったので、まさかこんなド直球な謝罪をするとは夢にも思っていなかったのでしょう。

何なら、就職間近な今、何かダメだしされると思ったかもしれません。

 

上の子は、私の目をしっかりと見て、「いいよ、別に。一番世話になってるし」と言いました。

「まあ、怒っている母さんがいっぱいいっぱいなのは分かっていたし」と下の子。

え、なんか、あなたたち、私よりもずっと大人ですね⁉

穴があったら入りたい気分だし、何だか照れくさくなりました。

3人の間にあった大きな氷山が、ガコッと崩れたような感じです。

 

10年くらい前、施設に入所中の母に、小さい頃からの私の恨み言を全て伝えたことがあります。

これも、「するの怖いな」と感じたのであえて挑戦してみたことです。

幼少期のあれこれから話し始めて、完了するまで、2時間くらいかかりました。

話を全て聴いた母が、「ごめんね、悪かったね」と小さな声で謝ってくれたことが、泣きそうなくらい嬉しかったです。

母としっかりと繋がった感じがしました。

このステップがあったので、葬式で、母の死を心から悼み、見送ることができました。

 

2人に謝罪した時は、母の時以上に、心が動きました。

「チェンソーマン レゼ編」を観終わった直後みたく、放心してしまいました。

私を現実に引き戻してくれたのは、絶品すき焼きのおいしさでした(人生で一番おいしいすき焼きでした♡)。

 

これから、私と息子たちは、親子のような垂直な関係ではなく、きょうだいのような、親友のような、そんな水平な関係になります。

23年くらい、ずっしりと肩の上にあった荷物を、ようやく下した気分です。

4月からは、子ども時代の私に戻って、好きなように生きていくぞー!とこぶしを振り上げました。

母親でいる間は、色々自主規制していたみたいです、息がしやすくなりました♪

家事は、人により、やり方やするタイミングが違う。

 

息子たちと、掃除、洗濯、洗い物をひと月交代で分担し始めた頃は、もめました。

 

 

 

例えば、洗い物。

 

ビルトインの大きな食器洗浄機があるので、私は、朝夕に使った食器を、日に1回洗浄します。

 

朝は、使った食器をさっと下洗いして食洗器にセット、夕食後、同じように下洗いし、スペースがあれば、鍋なども入れて、洗浄します。

 

翌朝、朝食前に乾燥した食器などを片付けます。

 

 

 

上の子は、朝食の食器をそのままカウンターに積み上げて、夜まで放置します。

 

夕食後に、1日分の食器を下洗いして食洗器にセットし、洗浄します。

 

朝食時に使った食器は、半日以上汚れたまま放置されているため汚れが固まり、上の子が十分な下洗いをせず、洗浄後もきれいになっていないことがあります。

 

彼は、それを気づかずに食器棚にしまうので、時々、いざ使おうとするときに「キレイになってないやん!」と困る時があります。

 

 

 

下の子は、食洗器の中にパズルのように食器をはめ込み、満杯で回したいようです。

 

下手すると、2日分の食器を一度に洗っています。

 

朝夕、その都度下洗いはしますが、全てシンクに置いています。

 

全てのピースが揃ってから、まるでジグゾーパズルのように、食洗器にすべての食器をきれいに収納し、洗浄します。

 

食器をはめ込んでいる時には、何らかのアート作品を創っているような気迫さえ感じます。

 

でも、シンクに食器が満載になるので、ホンマに料理しにくいです!

 

たまに、使いたい茶わんやカトラリーが足りなくなる時があり、ホント迷惑です。

 

 

 

最初の頃は、そんな彼ら直やり方にイライラしながら、私が手を出していました。

 

彼らに注意したり、待ちきれず私がササっと食洗器を回したり。

 

その後、彼らにダメだしすると、悪態をつかれ、「こんなことなら、自分のペースで全部ひとりでする方が精神的には楽だわ」と思うほどでした。

 

 

 

けど、そうじゃない。

 

家事を分担するのは、彼らに生活スキルを身に付けて欲しいからです。

 

ここは、冷静に対処しなければ。

 

そう、新人に業務を教える時のやり方を応用するのだ。

 

 

 

「家事としての洗い物に関して、共有したいことがあります。

 

使った食器は、その都度さっと汚れをぬぐって、食洗器に入れて下さい。

 

シンクに汚れた食器が積まれていると、料理しにくいし、不衛生です。

 

朝・夕の1日分の食器をセットして、容量が5割以上なら、洗浄して下さい。

 

スペースがもったいないなと思ったら、ヤカンやコンロの五徳、使った鍋などを入れてOKです。

 

1日1回は、食洗器の中もきれいにしましょう」

 

と、私の希望をお願いという形で伝えました。

 

 

 

反論があるかと思って、心の中で身構えたのですが、意外にも、素直な言葉が聞こえてきました。

 

「OK、分かった、汚れた食器は、その都度下洗いするわ。確かに、後でまとめてすると、汚れを落とすの大変やった」と上の子。

 

「俺、食洗器満杯じゃないと回したらあかんと思ってたわ。1日1回回すのがルールなんやったら、そうするわ」と下の子。

 

それ以降は、スムースに洗い物は行われるようになりました。

 

なんだ、各々の洗い物ルールの当たり前をすり合わせていなかっただけだったんだ、と気づきました。

 

仕事では当たり前の前提の共有を、家族だから分かってくれていると怠ったことがダメな原因だったみたいです。

 

近い関係だからこそ、互いの想いや感謝、不満を共有し、落としどころ=ミーティングポイントを見つけていきたいと思います。

 

 

昭和の頃は、捨て犬や捨て猫をよく見かけるし、野良犬や野良猫が街中にたくさんいました。

 

たまに、野良イタチにも出くわしました(お互いにビビる、そして逃げる)。

 

草むらには、たくさんの蝶やかまきり、バッタがいて、どぶ川にはザリガニやカエル、アメンボがいました。

 

生き物の数はもっと多かったし、サイズもずっと大きく、10歳の私のこぶしくらいのバッタやカマキリにたくさん出合いました。

 

 

 

狂犬病の可能性があるということで、年に数回、保健所の職員が野犬狩りをしていました。

 

その際に、ついでに、野良猫も連行されることもありました。

 

連行された犬や猫がどうなるかは、考えたこともありませんでした。

 

 

 

小学4年生になりたての頃、私は、よく遊ぶ公園で、箱に入れられた子犬を見つけました。

 

黒くて、小さくて、目がくりくりしたその子を、私はこわごわ抱っこしました。

 

学校帰りに、わざと残した給食のパンを子犬にあげるようになりました。

 

家から持ち出した小さな皿に、水を入れて箱の中に置くと、子犬はめちゃめちゃ水を舐めました。

 

野犬狩りが来たら、子犬とは会えなくなる。

 

そのことに思い至った私は、母に犬を飼いたいと頼み込みました。

 

「集合住宅だから犬を飼うことは無理だよ」と、母は言いました。

 

私は、弟たちを引き入れて、先に父を説得し、最後に母にOKをもらいました。

 

玄関のたたきに、毛布を敷いて彼の家を作りました。

 

 

 

朝の散歩は父が、夕方の散歩は私がしました。

 

近くの土手を1時間くらい、ジョニーと一緒に走ったり、歩きます。

 

ジョニーは、どんどん大きくなって、狼みたいにカッコよくなっていきました。

 

けれど、秋の終わり頃になると、私はジョニーに飽きてきました。

 

ジョニーと散歩するより、友達と公園で遊ぶ方が楽しくなってきたのです。

 

弟たちに散歩を押し付けることも増えました。

 

私も弟たちも夕方の散歩を行かない時は、母が穴埋めをしてくれていたようです。

 

 

 

冬の寒い日でした。

 

夕方、私が帰宅すると、ジョニーが散歩に行きたいと騒ぎました。

 

母は、私に、「散歩に連れて行きなさい」と言いました。

 

私は、ランドセルを玄関先に置いて、ジョニーと外に出ました。

 

 

 

ジョニーは、凄いスピードで家から飛び出すと、電柱のところで水のようなうんこをしました。

 

私はビックリして、通行人のおばさんの迷惑そうな顔で見られるのがつらくて、ジョニーをグイグイ引っ張って、早く土手

に行こうとしました。

 

でも、ジョニーは、下痢が止まらなくて、その場から動かず、水のようなうんこを出し続けていました。

 

私は、恥ずかしくて、消えてなくなりたくなりました。

 

ジョニーを引っ張ったり、怒鳴ったりしました。

 

ジョニーは、うんこが終わると、ようやく動き出しました。

 

でも、行先はいつもの土手ではなく、家の方でした。

 

母に理由を話し、ジョニーをお風呂に入れました。

 

母が道路を流しに行ってくれました。

 

「うちの中で、うんこをするのが嫌やってんね」と母が言って、私は自分のことしか考えていなかったことを反省しました。

 

ジョニーに、「ごめんね」と言って、頭を撫でました。

 

ジョニーは私を見つめ返してくれました。

 

 

 

翌朝、ジョニーは、毛布の上で冷たくなっていました。

 

当時、大阪で大流行した犬の伝染病にかかっていて、一晩で亡くなったのです。

 

数万の犬が、急激に容態が悪化し、2、3日で死亡したという記事が新聞に載っていました。

 

私は、ジョニーの死に顔を眺めながら、涙も出ませんでした。

 

最後の散歩の時の、綱を引っ張られて嫌そうなジョニーの顔が、頭から離れませんでした。

 

 

 

この時、人生には、取り返しのつかないことがあるのだと、ハッキリと悟りました。

 

最後の散歩の時、何よりもジョニーを優先していたら。

 

すぐに獣医師のところに連れて行っていたら。

 

その前から、ジョニーの世話をきちんとしていたら。

 

心底後悔する時って、一滴の涙も出ないのだと知りました。

 

その時に、私は決心しました。

 

 

 

関係を結ぶときは、相手が人間でも動物でもモノでも、一生付き合う覚悟で結ぶ。

 

関係を継続させるために、最善の努力をする。

 

けれど、もう無理だと思ったら、速やかに関係解消の行動に移る。

 

 

 

今まで、たくさんのご縁を結んできました。

 

切ったこともあるし、切られたこともあります。

 

細く長く、かすかに繋がっているご縁もあります。

 

その全てが、今の私を形づくっています。

 

もう2度と会わなくても、ちゃんと存在しているのです。

 

 

 

ジョニーは、いつもそのことを思い出させてくれる、胸の中で燦然と輝く北極星のような存在です☆

 

なんか、下の子として生まれ変わってきてないよね?とたまに思います(*^^*)

 

 

 

2003年2月に妊娠が判明し、それから約ひと月後、朝、大量の出血で目を覚ました。

 

夫は、何をどうしていいか分からず、なんとそのまま出勤しました。

 

私は、この時に、いいところのボンボンはホンマに役に立たないなと思い知り、以後彼をATMと認定しました。

 

運転席に厚手のバスタオル2枚を敷き、自分の運転で車で15分の産婦人科へ。

 

事前に電話連絡していたので、院内に入るとすぐに主治医の院長先生が診察して下さいました。

 

『流産しかけています、そのまま入院ですね』と院長が即決、すぐに流産予防の点滴を施され、6人部屋の一角に収まりました。

 

看護婦さんには、「せめてタクシーで来て下さい」と注意されました、なるほど、普段タクシー利用しないと、思い浮かびもしなかったです。

 

 

 

連絡したら、父が車で飛んで来て、私の入院に関わる手続きや手配を全てしてくれました。

 

それから、父は1日ごとに見舞いに来てくれ、看護婦さんに「いい旦那さんですね」と言われていました。

 

後で看護婦さんに「ホントに夫と思いました?」と尋ねると、「最近は年の離れたご夫婦も珍しくないので、旦那さんかお父さんか迷ったら、旦那さんですか?と訊くことにしています」とのこと。

 

確かに、父も有頂天になっていました。

 

ちなみに、夫は、2週間に1回のお見舞いでした。

 

 

 

院長先生には、『現代の医学でできるだけの処置をしていますが、予断を許さない状況です』と言われました。

 

「つかぬことを伺いますが、流産すると、2人とも死ぬんでしょうか」

 

『そうですね、子宮はひとつなので、お2人とも亡くなります』

 

それから、毎晩、「赤ちゃんたちを助けて下さい」と神様に祈りました。

 

神頼みは生まれて初めてでした。

 

息子たちは崖っぷちで何とか持ちこたえ、無事に安定期を迎えることができました。

 

 

 

7ケ月目の定期健診では、『順調に育っていますね』と院長先生から太鼓判を押されました。

 

『ただ、下のお子さんが現在逆子で、子宮内の様子から自然になおるとは思えません。逆子がいる双子の自然分娩は危険なので、帝王切開にしませんか』と提案されました。

 

「帝王切開でお願いします」と、その場で院長先生に返答しました。

 

 

 

実は、私の母も双子の男の子を産んでいます。

 

私の2つ違いの弟たちです。

 

自然分娩で、上の弟を産んで、12時間後に下の弟が出てきたそうです。

 

体重はどちらも1.5キロ前後、普通の胎児の半分くらいです。

 

半年間保育器の中で過ごし、母は弟たちに付きっ切り、2歳の私は父方の祖父母宅に1年間も預けられました(涙)。

 

今では、弟たちはそろって180センチ、80㎏の巨漢です、未熟児だったなんて信じられません。

 

私の子も双子だと母に告げた時、「とりあえず、たくさん食べて、子どもを大きくしなさい。あと、同じ日に2回も出産するのはめちゃめちゃ大変やから、帝王切開にしたら」とアドバイスされていました。

 

 

 

息子たちはすくすく育ち、8ケ月目には、道行く人から「臨月ですか?」と話しかけられまくる妊婦になっていました。

 

毎日昼間、公園や川べりをゆっくり散歩し、途中のベンチに腰かけ、お腹をさすりながら、息子たちに話しかけます。

 

そうすると、お腹の中から、ポコポコ蹴ってくるんですね。

 

女性の体内に、男の子が2人存在するという神秘。

 

自分の命が、私だけでなく子どもたちの命でもあるという事実。

 

私の人生において、この時が最高に幸せでした。

 

手のひらに、この時の彼らのキックの感触が今も残っています。

 

 

 

院長先生から、『2人とも大きくなっているので、子宮が破裂しないか心配です。10ケ月目に入ったらすぐに帝王切開で分娩しましょう』と言われました。

 

『10月の下旬で、日程調整しますね、次回の診察の時に、何日かお伝えします』

 

私は、「もうすぐ会える!」とワクワクしました。

 

同時に、10月下旬が誕生日なら、星座が違うことに、ハッとしました。

 

22日までだとてんびん座、23日以降はさそり座。

 

ふたつの星座について調べ始めました。

 

 

 

『帝王切開は、10か月目に入ってすぐの10月22日です。13時から当院で行いますので、ご家族にもお伝え下さい』と院長から言われました。

 

心の中で、「あー、てんびん座かあー」と落胆しました。

 

「はい、よろしくお願いします」と言おうかと思いましたが、息子たちの誕生日、一生ついて回る日付です。

 

私は勇気を出して、院長先生に交渉を試みました。

 

「あの、もしできるなら、23日以降でお願いできないでしょうか」

 

『旦那さんの仕事の関係で、立ち合いが難しいのですか?』

 

「いえ、私の周りの男性を観察すると、てんびん座よりさそり座の人の方がモテる人が多くて。てんびん座よりさそり座の方がいいかなと思いました」

 

院長先生とは、不妊外来の時からのお付き合いなので、隠さず話しました。

 

でも、院長先生はマジ理解不能というお顔で、『え、そんな理由で手術日の変更を言っているんですか?』と確認されました。

 

「はい」と私がうなずくと、すごく耐えがたい沈黙が訪れます。

 

『母体のためにも、お子さんのためにも、10か月目に到達したその日に手術した方が安心なので、22日で行います』と院長は断言しました。

 

看護婦さんによると、院長先生は、忙しいスケジュールを調整して、22日の私の手術を設定して下さったそうです。

 

私は、しんみりと了承しました。

 

うーん、夫の海外出張の為とか言えばよかったのだろうか(そういう問題ではない)。

 

 

 

帝王切開は、手術室に入って15分くらいですべて終わり、順番に血まみれの息子たちをハグしました。

 

夫は、血まみれなので、息子たちを抱くのを諦めていました。

 

それから1週間ほど入院し、息子たちのお世話の仕方を助産師さんに教えて頂き、夫と一緒に、こわごわと抱っこしながら退院しました。

 

 

 

帰宅してからが、待ちに待った子育てのスタート。

 

人生で一番つらい日々だったけれど、振り返れば毎日が宝物のような記憶です。

 

ホンマに、女に生まれてよかったわーと、心の底から今も思っています(*^^*)

 

 

小さい頃から、弟たちには、「キレたら父さん並みに怖い姉ちゃん」と思われてきました。

 

ほのぼのした姉弟ではなく、任侠の「姉さんー若い者」みたいな関係です。

 

パシリに使うのは当たり前、鉄拳制裁もしていましたね。

 

幼なじみが家に遊びに来ている時に、下の弟にお金を渡してパシらせる様子に彼女は心底驚いていました。

 

 

 

弟たちが10歳くらいになると、腕力が同じくらいになったので、口ケンカに切り替えました。

 

ひとり娘の私に極甘な父、口達者な姉に逆らえない弟たちと共に育ち、私はすっかり、男性は「下僕」と思っていたふしがあります。

 

弟たちが不良だった10代は、姉弟仲は最悪でしたが、私が社会人になり、結婚し、「男性は下僕ではない」と腑に落ちたあたりから、仲良く付き合うようになりました。

 

息子たちにとっても、弟たちは、人生の楽しみ方を教えてくれるこち亀の両さんみたいな存在です。

 

 

 

上の弟のメンタル弱めな嫁さんと私の相性が最悪で、ここ10年くらいは下の弟とのみ年に数回実家で会います。

 

ちなみに、上の弟の嫁さんは、私のことを裏で「デビル」と呼んでいます。

 

私抜きで、弟たち・息子たち・嫁で食事をする際は、皆で楽しくデビル談をするそうです。

 

下の弟は、ホント悪気なく口が軽い、秘密保持ができない奴です。

 

 

 

といいつつ、彼は、ワンオペ育児を助けてもらった人生最大の恩人なので、実家で2人飲みする時は、仕事面、生活面でアドバイスしたり、50代の今でも夢を持つことの重要性を説いています。

 

彼が感服しているのが、私が6歳の頃から「ママになる」と決めて、結婚、出産、育児を完了させた人選譚です。

 

「6歳の時の夢を実現するために延々努力するとか、凄すぎるわ。そこまで思い続ける執念が俺には無理。ひとつめの夢が完了したんなら、次は日本よくする夢はどう?政治家になってーや」と、ほろ酔いで弟が宣う。

 

いやいや、私は、地位も名誉も金も権力も全くいらん。

 

第一、政治家と呼ばれる人たちと関わるのがマジで無理。

 

私が言うのもアレやけど、ツッコミどころ満載のド厚かましい人の集合体じゃないでしょうか。

 

まともな人は、役職に就けないという縛りがあるとか。

 

そして働いて働いて働いて働いて働いて死にたくない。

 

人生のミッションをクリアした今、自由に楽しく生きたいです、私。

 

 

 

日本という国がどうなるかを決めるのは、政治家でも官僚でもなく、日本人の集合意識。

 

私ができることは、日々素直に楽しく、自分と他人と自然に優しく生きることだけです。

 

笑顔で生きる人が増えたら、日本はよくなると信じています(*^▽^*)

 

来年3月に我が家を売却するので、私は今、来春以降の住居を選定中です。

 

最もポピュラーなワンルームマンションは、一度も考えませんでした。

 

ユニットバスが無理だし、極小の浴室も避けたい。

 

人生で一度は体験したいと思っていたシェアハウスに住んでみようと思い至りました。

 

 

 

ひとりで国内外を旅する時は、ゲストハウスでドミトリーに宿泊するのが定番です。

 

日の出から日の入りまで歩き回り、ゲストハウスではラウンジやリビングで過ごし、就寝1時間くらい前に寝床に移動します。

 

旅のような暮らしができそうな中型以上のシェアハウスに照準を定めました。

 

先月と今月で、価格帯も形態も様々な合計6か所のシェアハウスを内覧しました。

 

 

 

絞り込む条件は、下記5点。

 

家賃・共益費込みで月額6万円以下。

 

浴室が1418以上。

 

共用部の掃除や管理が行き届いていること。

 

駅から平坦な道で徒歩10分以内。

 

50代を受け入れてくれること。

 

 

 

私は、シェアハウスは、昭和の頃の地域社会みたいなものと想像しています。

 

お互いに顔見知りで、近隣に住んでいて、でも本名や素性はよく知らない。

 

世間話したり、ちょっとした手助けしたり、されたり。

 

踏み込みすぎず、疎遠でもなく、雑談したり、お茶したり、食事を共にするかもしれない。

 

家族や友人や同僚と違う、細くて、でも確かにある繋がり。

 

ひとり旅の途中、同じ宿で出会い、たまたま行きたい場所が同じで翌日一緒に旅するみたいな、好みが似ている人。

 

 

 

最近は、日本でも、物騒な事件が起きていて、他人とひとつ屋根の下に暮らすことに、ためらいもあります。

 

キッチンや洗面台を使った後に、次の人のためにきれいにする人ばかりとは限らない。

 

それでも、何事も経験第一、チャレンジしてみないと分からないあれこれを感じてみます。

 

 

 

息子たちも、来年はいよいよ初ひとり暮らしです。

 

上の子は、1ケ月の集合研修後、大阪勤務になるそうです。

 

今からネットで物件探しをしている様子に、「ああ、大人になったなあ」と感慨深いです。

 

下の子も、集合研修がありますが、その期間が3ケ月。

 

集合研修中に配属先が決まるみたいで、本人より私の方がどこに住むのかなとドキドキしています。

 

一応、シェアハウスの布教活動を彼らにしてみましたが、

 

上の子曰く、「学内にシェアハウス住んでいる人が何人かいたけど、皆、ちょっと変わってんねんな。俺は住みたいと思わへんかったわ」

 

下の子曰く、「共用部の使い方で問題ある人がいても、注意できないし、家の中で気を遣いたくないから、俺もいいわ」

 

君ら、意外に冒険しないな⁉

 

 

 

見学したシェアハウスに関しては、私の求める掃除レベルに達していないところが3ケ所で、即不採用。

 

「ネットにあげている画像の撮り方、詐欺だろ、見学した時間返せー」と思いました。

 

後の3軒は、十分な居心地の良さを提供してくれそうでした。

 

最後は、あみだくじで決めようかな。

 

進学先や就職先、旅行先など、同じくらいいいなという選択肢ばかりの時、コイントスやあみだくじで決めてきました♪

 

これが意外に、最適解をたたき出してくれています。