小さい頃から、自分の意思を言葉で表明する子どもでした。
したいこととしたくないこと、好きなことと嫌いなこと、欲しいものと欲しくないものがハッキリしていました。
周りの大人があまり賢くないと気付いたのは中学生の頃で、特に両親は他山の石として活用してきました。
学生時代の趣味は読書で、「どうやったら幸せな人生を送れるのか」をよく考えていました。
就職や結婚で選択を迫られた時、決断までに時間をかける分、その後は最短距離でゆるぎなく進んできました。
今まで生きてきた中で最も悩んだのは、ちょうど50歳で、離婚すると決めた時でした。
中学生の頃から、毎日大学ノートに日記を書いてきました。
書くことで、自分の想いを吐き出し、考えを整理し、進む道を決めるのが、私のやり方でした。
けれど、この頃は、心の中がモヤモヤしていて、目の前のことに集中できないことが多かったです。
そんな中、庭の剪定をしている時に、右の手のひらを剪定ばさみでざっくりと切ってしまいました。
縫うほどではなかったのですが、血が止まらないし、家事もできなくなるし、何より自分自身に深い傷を負わせてしまったことにショックを受けました。
これは、うっかりではなく、こうなってもいいという自傷行為じゃないだろうか。
潜在意識が、限界だと訴えているんだと感じました。
この時、日記に書いても出口は見えないと思い、プロに話を聴いてもらおうと考えました。
それも、リーズナブルに。
ネットで「相談 大阪 無料 女性」で検索すると、無料相談窓口の案内が出ました。
顔を見て話すのが好きなので、対面無料相談を選択し、アクセスがしやすいところをすぐに予約しました。
予約時間少し前に当該窓口に行き、来意を告げると、相談室に通されました。
しばらくすると、年配の女性が入室し、1時間の約束で、会話がスタート。
彼女は、時々質問を挟みながら、私の話に耳を傾けてくれました。
現在の暮らしは何不自由ないにも関わらず、満たされない想いがあることを話すうちに、段々「現状が安泰なんだから我慢しろ」と頭が心を説得しているみたいになっていきます。
相談時間は1時間の予定でしたが、相談員さんが「最後の回だから、閉館まで話しますか。まだ納得できていないでしょう」と言って下さり、結局、閉館ギリギリまでの1時間45分、向き合って下さいました。
そのおかげで、「そうか、私は、世間的によいとされている今の状況が息苦しんだな、けれど、それを手離すことが不幸に
なるみたいで怖いんだな」と気付くことができました。
帰り道、目に沁みるくらい美しかった夕暮れを、今も鮮明に覚えています。
帰宅後、早速、離婚する手順をネット検索しました。
一番参考になったのは、離婚コンサルタントのHP。
「離婚するかどうか迷ったらやってみて!見極め2択テスト」が掲載されており、取り組んでみました。
2択のどちらでもなかったのですが、「離婚しよ!」となぜか踏ん切りがつきました。
それからは、まるでトンネルを抜けたように視界良好、サクサクと必要なことをリストアップして処理していきました。
私が離婚を申し出て、ただひとりショックを受けたのが上の子でした。
「そうか、俺の両親が離婚するのか…普通ではなくなるのか…」とつぶやいたので、「私のわがままでごめんね、でも、私
も父さんも親であることは変わりないよ」と伝えました。
下の子は「了解」のひと言、下の弟は「ようやくかー、意外に時間かかったなあ、まあ、姉ちゃん、生きやすくなるんちゃう」と喜んでくれました。
元夫は、「もう好きじゃない」の私のひと言で離婚を即OKしてくれ、粛々と条件面で話し合い、約2か月で協議離婚が成立しました。
弁護士費用は、公正証書作成費の8万円のみ。
公正証書の記載内容は、息子たちの大学卒業まで学費と養育費を元夫が負担すること、婚姻期間24年の間に成した財産の分与と厚生年金の分割です。
元夫曰く、「身ぐるみはがされた」そうです。
私サイドも言いたいことは山のようにありますがひと言も文句を言わずに、希望通りの条件で円満・短期で離婚届け提出まで到達しました。
意外に、自分の本心って、分からない時があるという初めての体験でした。
書くのもいいけど、人に話を聴いてもらうのは、より自分を客観視でき、嘘を見抜けるのだと気付きました。
心がモヤモヤする時、信頼できる人にじっくり話を聴いてもらうのは、効きます。
聴き手が信頼できる赤の他人だと、「どう思われるか」を考えず、正直に話せる面があるかもしれません。
心のモヤモヤが解消する瞬間って、長ーい便秘を解消したくらいの爽快感でした(*^^*)


