愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

自分の大好きなことをして、会いたい人と一緒の時間を過ごす毎日は幸せです。日々の暮らしを通して感じたことを表したいと思います。

人生で一度でいい、自分の納得のいくモノを生み出したいと悪戦苦闘中です


それは、料理かもしれないし、小説かもしれないし、ペンダントかもしれません


様々なことを感じながら、毎日を丁寧に過ごしています

小学生時代の一番壮絶な記憶は、歯の治療に関するものです。

 

1970年代、フロスはなく、歯は、歯ブラシのみで磨くものでした。

 

当時、学校でも家でもきちんとした歯の磨き方を教えてもらったことはなく、歯科医で歯のクリーニングを受けたこともありませんでした。

 

しかも、歯医者さんは、小学校区内で2軒でした。

 

 

 

それに比して、子どもはわんさかいました。

 

小学校は1学年45人クラスで4クラス(全校生徒約1,000人)、中学校は1学年45人で8クラス(全校生徒約1,000人)、高校は1学年45人で12クラス(全校生徒約1,600人)。

 

小学校の歯科検診では、毎年、多くの子どもに虫歯があり、クラスの半数以上が「要治療」の通知をもらうこととなります。

 

家事はするけれど躾はしない母だったので、私も弟たちも、就寝前の眠たい時に面倒な歯磨きをきちんとしません。

 

私と弟たちは、歯科検診後、毎年歯科医に通うことになります。

 

 

 

当時の歯科医院は、予約制ではなく、受付順に呼ばれるのを待合室で待つ形でした。

 

歯科検診後の歯科医院はどこもすごく混み、おおよその待ち時間を推測して、一旦帰宅する人が多かったです。

 

2時間待ちがざらでした。

 

それでも、患者が待合室に収まり切らず、歯科医院の前には人だかりができていました。

 

夕方の診療は、午後4時から7時まででしたが、ラストの患者が終わるのが9時過ぎなんてこともありました。

 

私が初めて永久歯を抜いたのは、小学生の頃です(泣)。

 

私の身体で最弱なパーツは歯であるという自覚があります。

 

 

 

40代の頃、ひとりでドライブに行く時間が持てるようになりました。

 

夏の終わりの夕方、道の駅で、みずみずしい野菜や果物を何点か購入しました。

 

会計をしてくれた同じ年代の男性スタッフが、「売れ残りだけど、よかったらこれ、持って帰り」と大きなスイカを1玉くれました。

 

「ありがとう」と心からお礼を言うと、彼は口をパカッと開けて笑ってくれました。

 

が、しかし。

 

彼の口の中には、歯が1本もありませんでした。

 

何とか、スイカも野菜も落とさずに、車まで戻ることができましたが、なかなかエンジンを掛けられませんでした。

 

今でも、私の頭に焼き付いた彼の笑顔は、ホラーです。

 

 

 

今春、シェアハウスでひとり暮らしを始め、正社員から週3日勤務の非常勤職員に契約変更をしてもらい、時間的な余裕を作りました。

 

今まで棚上げにしてきたもろもろのことに、がっちり取り組むための1年にするつもりでした。

 

数ある気がかりの中で、一番は歯です。

 

歯が1本もなかった男性スタッフの笑顔が自分と重なります。

 

既に欠損している永久歯もあるし、歯茎の腫れも歯周病菌も気になります。

 

ここ10年ほど通院している歯科医院は、保険適用外の歯科診療が得意ではなさそうなので、私の望むような結果を出せそうにありません。

 

どうしたものかと途方に暮れていました。

 

 

 

すると、下の子が、新しい生活に慣れた夏頃から、梅田のデンタルクリニックに通い出したというではありませんか。

 

息子たちには、歯ブラシとフロスで歯磨き指導をし、3ケ月に一度は歯科医院で歯のクリーニングを受けさせていたので、

彼らはほとんど虫歯にならず、永久歯は親知らずしか抜いていません。

 

しかし、下の子は、今の咬み合わせがよくないと感じ、今通っているクリニックをネットで見つけ、今夏から歯列矯正のために通院しだしました。

 

早速、私もそこを受診してみると、小学生の頃から今までの行き当たりばったりな治療の歴史を紐解かれ、「生涯自分の歯で食事を摂る」ために必要な治療計画を明確に提示してくれました。

 

治療計画は2年から3年かかると言われ、「あのー、来年3ケ月ほど世界一周クルーズに行きたいんですけれど…」とお伺いをたてれば、「本気で治療するなら来年は無理です、3年後にして下さい」と言下に却下されました。

 

断言されたことで、却って、保険適用外の治療をしっかり受けることを決断できました。

 

これから、様々な検査を受け、歯磨きなどの習慣を変え、きちんとすべての歯をチェックし、歯列矯正を受け入れ、私サイコーの口内環境を目指していきます。

 

どうか、南海トラフ地震がこれからの3年間は起こりませんようにと、お祈りする日々になりそうです。

 

 

 

 

 

さあ、本日のお宿に着きました。

 

今春オープンしたArbor Onomichiは、元銀行の建物をリノベーションしたホテルです。

 

商店街側から入ると、いきなり高い天井に暖色系の明かりが灯るラウンジが現われます。

 

手前にカフェカウンター、奥にホテルのフロントが見えます。

 

チェックインすると、鍵ではなく認証コードを渡されました(イマドキ)。

 

宿泊者専用スペースに入ると、どこか学校を思い出させるシンプルな階段が出現。

 

「エレベーターがなくて申し訳ありません、こちらで3階にあがって下さい」と、スタッフの方が案内してくれました。

 

リュックとトートバッグの私にはノープロブレムですが、大きなトランクだと大変かもしれません。

 

 

 

オープンして半年のホテルは、どこもかしこもきれいで、気持ちいいです。

 

ドミトリーは、10ベッド、4つの洗面所、3つのシャワーブース、2つのトイレがひと部屋になっています。

 

特筆すべきはシャワールーム。

 

広くてピカピカで、脱衣所との間仕切りはガラス、シャンプーリンスは高級感がありました。

 

外国式の天井近くの大きな固定シャワーヘッド、日本式の小ぶりなシャワーヘッドが使えて、高級ホテルみたいです。

 

すぐにたっぷりのお湯が出て、シャワーのみの物足りなさはなかったです。

 

混みあうことなく、水回りを使うことができました。

 

館内用スリッパとバスタオル、金庫がベッドに用意されていました。

 

アースカラーを基調にしたシンプルなインテリアで、居心地がよかったです。

 

ひとつ残念だったのは、ラウンジもドミトリーも暖色系の明かりで、読書や書き物がしにくかったこと。

 

宿泊者用キッチンは白色灯だったので、こちらのカウンターで多くの時間を過ごしました。

 

 

 

翌日、朝6時に起き出して、曇天の下、艮神社に向かいました。

 

尾道では、こじんまりした寺社仏閣が多く、艮神社もかわいいサイズ。

 

けれど、奥のご神木は空を覆うくらい立派で、境内の空気は澄んでいます。

 

ああ、尾道に戻ってきたなあと実感させてくれる神社です。

 

 

 

それから、尾道三部作の「転校生」の名シーンを撮影した御袖天満宮に初めてお参りしました。

 

参道は、人っ子ひとりいなくて、ものすごく静か。

 

長ーい石段を登ったので、大変見晴らしがよく、街並みや尾道水道の眺めを堪能しました。

 

 

 

そうして、一路、商店街に戻り、7時開店のパン屋航路へ。

 

7時頃に着くと、既に5人ほど並んでいます。

 

パン屋航路は、お客さんが4、5人入店したらいっぱいになる小さなお店です。

 

開店すると、順番にお客さんが入店し、開いたドアから焼き立てパンの香りが流れてきました(お腹が空いた!)。

 

10分ほど並んで、ようやく入店できました。

 

4つで1,400円也、パンにしては贅沢な値段だけど、おいしさは正義です。

 

ホテルの横のローソンでホットカフェラテを買い、ラウンジでパン屋航路の焼き立てパンを2個、頂きました。

 

初めて選んだパンたちだったけれど、期待を上回るおいしさで大満足♪

 

尾道滞在時の朝食は、パン屋航路一択です。

 

 

 

天気予報では、今日明日の降水確率50%以上。

 

予定を大幅に変更して、今日は尾道市立美術館に向かうことにしました。

 

開催中の「しろきうみへ 山本 基」展にも惹かれていました。

 

美術館はロープウェイで登る千光寺より少し高いところにあります。

 

初めてのルートで、美術館に向かうことにします(わくわく♪)。

 

小雨が降る中、一歩一歩踏みしめるように急こう配の坂を登り始めました。

 

足を滑らせると、「おむすびころりん」並みに真っ逆さまに滑落しそうです。

 

 

 

山頂に向かう途中、一度、東屋のベンチで休憩しました。

 

すると、大きなクロネコが近寄ってきました。

 

尾道は猫の街で、野良猫があちこちにいます。

 

けれど、猫の方から近寄ってきて、膝の上に飛び乗り、入眠体勢に入った猫は初めてです。

 

久々の猫との接触にハイになり、猫を優しく撫でました。

 

すると、猫はゴロゴロのどを鳴らしながら、「もっとなでて」というふうに、私の手に自分の頭をこすりつけてきました。

 

「…ああ、なんてかわいい!」と心の中でささやいて、この子が飽きるまで一緒にいようと決めました。

 

雨でスケジュールが大幅に変更になったのが幸いしました。

 

30分ほどたった頃、ふと、他の人の気配を感じたのか、猫がするりと地面に飛び降り、視界から消えていきました。

 

休憩終了、美術館目指して、再出発します!

 

 

先月、息子たちと誕生日会をしました。

 

元遊郭の料理屋で、すき焼きをつつきながら、2時間ほど色々話しました(建物に興味があって行ってみたかったのー!)。

 

初めて、彼らの人生観を訊きました。

 

今までは、彼らの仕事、恋愛や結婚、子どもを持つことなどに踏み込まないようにしてきました。

 

お互いに独立した今、ようやくさらっと話題にあげることができました。

 

 

 

仕事に関しては、上の子は、出世もせず、お荷物にもならず、「静かなる退職モード」で真面目に取り組み、楽して生きていきたいそう(がむしゃらに生きないと決めているよね、小さい頃から)。

 

下の子は、今の会社で5年くらい実務経験を積んで、その間にこれからのことを決めたい、しかし手取り額が想像していたよりも少なくてビックリしているとのこと(新入社員がそれ言う⁉)。

 

そして、2人とも、「いいなと思う人に巡り会えたら、結婚して、いつか子どもを持ちたい」と宣う。

 

え?そうなの?と心の底から驚き、すごく嬉しかったです。

 

そして、性的嗜好が女性であることにホッとしました。

 

 

 

「なあなあ、初恋っていつ頃やったん?」とセクハラギリギリのことを訊けば、共に「小学校の時のクラスメイト」という答え。

 

息子たちが小学校時代、週に1回彼らの学年で絵本の読み聞かせボランティアをしていて、それを6年間続けました。

 

彼らの学年の生徒たち全員の顔と名前を覚えています。

 

女子はかわいい子が多かったけれど、誰やろう?

 

彼らは、各々の初恋の子について口を割りませんでした(残念)。

 

 

 

いつか。

 

彼らが結婚して父親になったら、気付く時が来るのだろうか。

 

小さな命を授かると同時に、自分の命を何かに差し出すような感覚に陥ることを。

 

託された小さな命を育てるのがどれほど大変で、けれど尊いかを。

 

自分たちが、どれほど、周りの大人たちに愛され、大切にされてきたかを。

 

 

 

私も、自分の腕に我が子を抱くまで、母親であることの覚悟ができていませんでした。

 

未就学児にとって、親は、自分をこの世に産み出し、生殺与奪のすべてを握る神様みたいな存在です。

 

特に、母親ポジだと、自分の人間性や精神状態がダイレクトに子どもに伝わるので、自己変革しなきゃと心底思いました。

 

今は、父親ポジでも、子どもに与える影響は大きいから、その時が来たら頑張れ!

 

 

 

この飲み会で、私は、禁断の日本酒に手を出し、かなり酔っぱらってしまいました。

 

久々に会ってじっくり色々話して、かなり楽しかったみたいです。

 

けれど、ひとりで歩けないほど酔っ払うのは、マナー違反ですね。

 

上の子は京都在住なので、ひとりで颯爽と帰っていき、近所に住む下の子が、店の人に頼んでタクシーを呼び、私をシェアハウスに運んでくれました。

 

タクシー代1万5千円は、ちょっと笑えない出費になりました(*^^*)。

 

翌日、下の子に「もう日本酒は飲むなよ」とlineでくぎを刺されました(スミマセン)。

 

 

 

私とあなたたちを繋ぐ線は、あなたたちが小学生高学年の頃、「親離れ」を機に、1本切れました。

 

そうして、今年の春、自立する時、最後の1本を切りました。

 

これからは、対等な大人の家族として、困った時に助け合える関係になったらいいなと思っています。

 

とりま、私は飲みすぎに注意いたします!

 

 

 

私は、子どもの頃から寝つきはとてもよいです。

 

ほとんど気絶するように眠りについているようです。

 

そして、次に目を開けた時は、朝になっています。

 

全く夢も見ないし、今でも、睡眠時間は目を閉じて目を開ける一瞬のように感じています。

 

だから、子どもの頃から、睡眠時間をとてももったいないと思っていました。

 

 

 

だって、時計は8時間も進んでいるのに、私はただ死んだように横たわっているだけです。

 

この間に、本を読んだり、お菓子を食べたり、公園で遊んだり、自転車で遠出できたら、もっと楽しい時間になるだろうに。

 

小学生の頃は、ホントにそう思っていました。

 

だから、入浴・歯磨きをすませた後、眠気が迫ってくるギリギリまでやりたいことをして、電池が切れたようにぱたりと寝るという日々を送っていました。

 

 

 

大人になってもそれは変わらず、友人と旅行中、布団に入っておしゃべりしている最中に私が寝落ちることは、フツーの出来事になっていきました。

 

最初は、私が発作か何かを起こしたと思って、焦って起こしていた友人たちも、「また、寝落ちたね」と呆れながら、布団を掛けてくれるようになりました。

 

 

 

50代になって、健康を優先順位トップに据え、学び出して、ようやく睡眠の重要性を理解しました。

 

気絶するように眠りに落ちるのは、大きな睡眠負債を抱えているためだそうで、睡眠のとり方を変えなさいと、本に諭されました。

 

そう言えば、ドジャーズの大谷翔平さんも、睡眠を大切にしていると気付き、毎日の睡眠を整えようと一念発起しました。

 

 

 

だが、しかし。

 

今までの自分の行いを悔い改め、すぐに毎晩規則正しくぐっすりと眠れるようになれるなら、世の中に寝不足の人はいません。

 

夕食食べて、歯磨きして、入浴して、肌の手入れをして、日記書いて、寝る準備万端になって、午後10時。

 

そこから、なんとなくTVを観て、ノートパソコンで2次創作や漫画を拾い読みして、図書館から借りている本を手に取り、スマホゲームをプレイして…気付けば、0時近く。

 

今すぐ電気を消して寝ても、6時間の睡眠は取れません。

 

あー午後10時から0時までのあれこれを短縮したい!!!。

 

 

 

そう、今、一番私が自動化したいこと。

 

それは、帰宅後から就寝までの自分自身の行動の全てです。

 

夕食→後片付け→歯磨き→入浴→肌の手入れ→日記を書く→読書→消灯→就寝!!!

 

この双六を自動化できたら、すぐに睡眠負債を完済できると思います。

 

 

 

「母さん、死にかけのゴキブリみたいやから、床の上の行き倒れ寝はやめて」と息子たちそれぞれに言われたことがあります。

 

さすが双子、同じようなセリフを言われ、いたたまれない思いをしました。

 

今は、何とかベッドに辿り着いているので、いく分か進歩しています。

 

 

 

健康を維持するためには睡眠が重要だと、どうやったら五臓六腑にしみわたるのだろうか。

 

大谷選手に耳元でささやかれたら、一発で腑に落ちそうだが、そんなことは一生ないので、別の手を考える必要があります。

 

「自分はアンドロイド」と暗示をかけて、19時以降はルール通りに動かないと壊れるという設定にしたら、きちんとできるのでしょうか?

 

それとも、もう脳で考えるのはやめて、腸に決めてもらおうかしら。

 

「夜間は、身体中の大掃除をしているので、しっかり休んで下さい」という指令を出してくれることを切望します。

 

 

 

 

私は、日本の中で最も好きな街は、尾道です。

 

初めて訪れたのは、30歳の桜の花が満開の頃。

 

新卒・総合職で入社した会社を退職して、のんびり妊活を始めた頃にひとり旅で訪れました。

 

1983年公開の映画「時をかける少女」で観た、坂が多く迷路みたいな尾道の街なみをずっとこの目で見たいと思っていました。

 

尾道駅で下車し、早速ブラブラ街歩き。

 

山の中腹にある、尾道ゆかりの作家 林芙美子氏(1903年12月31日-1951年6月28日)の自宅前を通りかかったのは偶然だったが、そのたたずまいに惹かれ、見学しました。

 

その時に対応してくれたのが70代と思しきおじいちゃんおふたり。

 

南側の縁側に出たら、快晴の空のもと、尾道水道(海)と満開の桜が目に飛び込んできました。

 

ここは天国かなと思うくらい、色鮮やかな美しい光景でした。

 

縁側に3人で座って、お茶まで出してもらって、1時間くらい雑談しました。

 

その時に、おじいちゃんずから、「移住してこんかね?」と誘われました。

 

曰く、尾道は山と海の間の東西の細長い平地に鉄道が走り、商店街があるが、家々は山の斜面に建っていて、人がようやくすれ違うことができる程度の細い路地と石段で結ばれている。

 

住民の高齢化が進み、米や調味料などの重いものを担いで帰ったり、平地の道路までゴミ出しに行くのが大変になり、空き家がどんどん増えてきている。

 

あんたみたいな若い人に住んで欲しいねんなーというなかなか大胆な内容でした。

 

まさかの初対面観光客への移住スカウトに、「私も、この町、好きです。今すぐは無理だけど、前向きに考えたいです」と国会答弁みたいなことを言った覚えがあります。

 

でも、この出来事は、私の心の中にずっと根付いて育ってきました。

 

 

 

その後の約20年は、出産し、子育てし、祖母・父・義母を見送り、離婚しと、怒涛の日々でした。

 

コロナが明けた頃、ふと旅に出たいなと思った時に、最初に浮かんだ場所が尾道でした。

 

それからは、なんだかんだと、毎年2泊3日で尾道を訪れています。

 

 

 

今回は、今月、やはり2泊3日で出かけました。

 

JR尾道駅は、大宝山と尾道水道(海)に挟まれた平地にあり、国道2号線が線路と並走しています。

 

観光の街らしく、商店街が立派で、飲食店は充実しています。

 

尾道駅の改札を抜けると、駅前広場から海が見え、「ああ、尾道に帰ってきたなあ」と毎回嬉しい気持ちになります。

 

尾道着がお昼時だったので、スマホで調べた駅前のこめどこ食堂でひとりランチ♪

 

すんなりカウンター席に座れたものの、20分ほど待って、ようやく目の前にランチが到着しました。

 

どれも身体に沁みわたるおいしさで、こういう食事を摂ると、毎回「ホントこれを食べれば、毎日幸せを実感するよなー」

と思うのですが、家ではなぜか実行できません。

 

日常では、食事を後回しにしちゃうのはなぜなんだろう(>_<)

 

 

 

商店街を歩いていると、1匹のカエルのあみぐるみと目が合い、ハンドメイドのお店に入店してしまいました。

 

春に引っ越しで大量のモノを処分し、すっかり断捨離モードの私が、このお店にて、カエルのあみぐるみ、緑のリネンパン

ツ、綿のカラフルなボディバッグ、スマホ用ミニショルダーバッグの4つも買い物をしてしまいました。

 

全て、ひと目惚れです。

 

カエルくんは、現在一緒に出勤し、勤務中は机の上で私を見守る任務に就いています。

 

 

 

今回一番の楽しみは、尾道哲学カフェに参加することでした。

 

会場は、antenna Coffee Houseという雰囲気のあるカフェで、尾道駅からブラブラ歩いて、15分くらいで着きます。

 

今回の哲学カフェのテーマ「AIと友達になるには、あと何が必要か?」にビックリして、8月に申し込み、私なりに、「友達とは」「AIとは」と考えてきました。

 

15時から、ほぼ初対面の参加者同士、様々な観点でテーマについて話し合いました。

 

育った年代、環境、経験の違いから、AIや友達のとらえ方、思考の組み立て方が異なり、何だか時空ポケットに迷い込んだような、濃縮な2時間となりました。

 

体験の濃度によって、時間の感じ方は全く異なるんですね。

 

最近、色々な哲学カフェに参加しますが、尾道の哲学カフェが一番深く思考できたように感じました。

 

テーマにピンと来た時には、また参加したいと思います。

 

 

 

その後、ダッシュで駅前のシネマ尾道へ。

 

ここで鑑賞したくてとっておいた「私は、あなたを知らない、」を静かな環境で堪能できました♪

 

シネマ尾道は、世界で一番好きな映画館です。

 

尾道に来るたびに、スケジュールを調べて、観たい映画を1本か2本、鑑賞するようにしています。

 

初めてシネマ尾道を訪れた時は、グーグルマップに従っていたら、存在に気付かず素通りしちゃいました(*^^*)

 

TOHOシネマズなどのドーン感を想定していると、シネマ尾道はひっそりすぎて気づけないです、きっと。

 

スクリーンひとつの、映画に対する熱い想いを感じる映画館です。

 

毎回紙のシネマカードを持参してスタンプを押してもらいます、今回、ようやく折り返し地点です。

 

 

 

今回の宿は、この春できたばかりのホテルにしました。

 

定宿が人気すぎて、8月に予約を入れようとしたら取れなかったのです(>_<)。

 

元銀行の建物を大規模リノベーションして開業したホテルと言うことで、定宿の時とは違うワクワクを感じています。

 

バックパックを背負って、商店街の中をホテルまでゆっくりぶらぶら歩き。

 

19時過ぎの商店街の人通りは寂しい限りで、この辺りに地方都市の経済活性化の難しさを感じるのでした。

 

さあ、ホテルに着きました!

 

ドアを開ける瞬間、今回はどんな宿かなと、毎回ワクワクします。

 

 

 

先月、チームみらいの全国キャラバン2026に、参加しました!

 

政治イベントへの参加が初めてで、ドキドキしながら会場に入りましたが、フツーの講演会のような雰囲気で、終始リラックスして楽しむことができました。

 

参加者は300人くらい、小学生から年配の方までおられ、ひとり参加の方も多く、運営側・参加者側ともに和気あいあいとした雰囲気でした。

 

私の左隣の子は大学生の男の子で、こんなおばさんにも笑顔で話しかけてくれました。

 

聴けば、大学2年生というではありませんか。

 

いい子やなー、コミュ力高いなー、高校まで小柄なのにラグビーしていたの!、足を痛めて大学では興味があるコトにことに次々と挑戦しています!とのこと。

 

我が息子たちにはない前向きなキラキラを感じます。

 

周りを見回せば、参加者も運営側も、笑顔がデフォルトで、政治って眉間にしわ寄せて行うイメージでしたが、見事に覆っていき、何だか楽しくなってきました。

 

 

 

今日お会いするのを一番楽しみにしていた代表の安野さんは、テレビでお見掛けしている通り、自分のビジョンをフツーの言葉で、穏やかに話す方でした。

 

司会の方は、安野さんの中学時代の友人で、チームみらい設立当初はサポーターとして活動し、現在はチームみらい選出の国会議員だそうです。

 

チームみらいの議員やスタッフの方々は、皆、パステルグリーンのTシャツを着ていて、ひとりひとり順番に、自分たちのビジョンと今の活動状況を、楽しそうに話してくれました。

 

もう、イメージしていた政治イベントとの落差が大きすぎました。

 

8ケ月の赤ちゃんを抱っこひもで抱えた女性スタッフもおられました、かわいい赤ちゃんに癒されました。

 

 

 

第一部は、AI体験会でした。

 

ジェミニなどのAIアプリをダウンロードして、簡単なホームページを作ってみようというもの。

 

結論から言えば、ジョミ二さんと問答しながら、ホームページができちゃいました。

 

左隣の大学生の男の子に、ジョミ二くんへの話しかけ方についてアドバイスを頂きましたが、想像していたよりも簡単にホームページが完成し、ビックリしました。

 

大学生の彼は、プログラム言語を中学生の頃に学び始めたけど、AIの進展ぶりを見て、高校生の時に不必要と判断して、勉強をやめたそうです。

 

今日の体験を通して、「フツーの一般市民にはプログラム言語はいらない」を実感しました。

 

 

 

休憩をはさんで、いよいよ第二部は国政報告会。

 

初めて、国会の様子を、政治家の皆さんから直接聴きました。

 

10年ほど前、初めて国会中継を観てみたら、高齢・中年問わず居眠りしている国会議員がたくさんいて、私まで眠くなって昼寝しちゃったことがあります。

 

今回も、政治用語満載で眠くなるかもと危惧しましたが、フツーの言葉で明るく話すチームみらいの議員の皆さまの話は、すっと頭に入ってきました。

 

「未来は明るいと信じられる国へ」というスローガンは、ストレートに胸に沁みました。

 

日本全国民が願っている、でも、諦めつつある願いです。

 

今回のカンファレンスに出席して、日本の未来は明るいと、信じてみたくなりました(単純)。

 

 

 

早速、チームみらいのサポーター登録をしました。

 

政治活動というよりも、ボランティア活動のような気持ちで、ゆるーく、チームみらいを応援していくつもりです。

 

そして、初めて、災害募金をしました。

 

チームみらいのHP上で、熊本災害募金の募集があったからです。

 

自分たちの会計をHP上で、銀行の手数料まで公開しているので、募金もきちんと熊本の被災者の方々に届けてくれると信じることができました。

 

すぐに、寄付金控除用の証明書が届き、そのレスポンスの速さに、これからの時代、デジタル化は必須だと改めて思った次第です。

 

「こんな日本になったらいいな」という要望を、どんどんチームみらいに提案していきます!

 

私にとって、ラジオで聴くものは、音楽やおしゃべりではありませんでした。

 

中学生の頃から、早起きして、ほぼ毎日NHKラジオの英語番組を聴いていました。

 

基礎英語などのテキストを毎月購入し、毎回予習・復習をしていました。

 

ネイティブの方の発音を聴き取ることも、同じように発音することも難しく、発音の練習も欠かしませんでした。

 

 

 

初めて、英語に触れた時は、ホントにビックリしました。

 

文法も文字も発音も、日本語と全く違うからです。

 

世界には、色々な言語があることを実感しました。

 

最初の英語の授業で、「日本語は日本でしか通用しない。英語は、アメリカやイギリスの第1言語だが、公用語として広く

普及している。習得しておくと、海外旅行が格段に楽で楽しくなるぞ」と、英語の先生に言われました。

 

海外に関心があった私は、最初から、英語を学ぶモチベーションは非常に高くなりました。

 

 

 

私の趣味は読書です。

 

日本の作品の次によく読んだのは、イギリスの本です。

 

コナン・ドイル、アガサ・クリスティ、エミリー・ブロンテ、ウィリアム・シェイクスピア、チャールズ・ディケンズ、シャーロット・ブロンテ、ルイス・キャロル。

 

大好きな作家がたくさんいます。

 

いつか、物語の世界をこの目で見、体感したい、イギリスに行きたい、なんなら住みたいとこの頃から今でも思っています。

 

ホントは、毎年、ひと月くらいイギリスで過ごしたいというのが、一番叶えたい私の願望です。

 

 

 

ただ、当時の英語教諭は、日本を出たことがない中年の男性教諭ばかりでした。

 

今思えば、発音がとんでもなかったです。

 

皆さん、全く抑揚のないカタカナ読みで、その発音では、絶対にイギリス人やアメリカ人には通じないというシロモノでした。

 

「エクスプエリエンス」という発音が、いまだに頭の片隅に残っています。

 

 

 

NHKラジオの英語番組は、ネイティブの方の発音を聴くことができるだけでなく、よく使う言い回しや会話のパターンを教えてくれました。

 

学べば学ぶほど、英語がどんどん好きになり、自主的に教科書に載っている数ページの物語を暗唱したり、辞書片手に英語の絵本や図鑑を読むようになりました。

 

同じ作品でも、日本語と英語では味わいが変化し、そこが面白かったです。

 

言語そのものに興味が湧くようになり、大学ではフランス語の授業を2年間取り、現在はスペイン語をNHKラジオ講座で学んでいます。

 

 

 

一番長く聴き続けている番組は、ラジオ英会話で、約30年くらい聴いています。

 

海外で、レストランの予約、ホテルへのチェックイン、列車や飛行機の手配、買い物など、自分で問題なくできるのは、この番組のおかげです。

 

ここ数年のラジオ英会話は、以前よりも実践的な作りで、英会話力向上に繋がっています。

 

65歳までに、行きたい国を全クリアしたいと思っているので、これからも、NHKのラジオ語学番組とともに、英語や訪問予定の国の言語を学び続けていきます。

 

人生で絶対に叶えたいことを初めて自覚したのは、6歳の頃。

 

保育園の卒園式前に、短冊がひとり1枚配られ、先生から「将来の夢」を書くように言われました。

 

真剣に考えた末、弟たちにかかりきりで私をほったらかしの母への不満をこめて、「やさしいママになる」と書きました。

 

私の短冊を見て、「あんたには、キャリアウーマンになって欲しいねんけどなー」と母に言われました。

 

母の発言を聞いて、「おかんの思い通りにはならないもんねー」と思っていました。

 

 

 

男女雇用均等法施行4年目に、22歳で総合職として就職し、27歳で結婚。

 

会社側からは、「結婚しても出産しても是非総合職で働き続けて欲しい」と慰留されるも、子作りに専念したいと30歳で退職。

 

派遣社員としての継続雇用も打診されましたが、丁寧に辞退しました。

 

 

 

その後、2年間努力したものの、妊娠に至らなかったため、夫婦で不妊外来を受診し、検査を受けることにしました。

 

25年前は、大阪でも、通える範囲に不妊外来が3ケ所しかなく、口コミでチェックして、最も近いクリニックに片道1時間かけて、夫婦で出かけました。

 

9時20分頃に駐車場に車を入れ、受付に行くと、クリニックは既にだだ混み。

 

入り口で受付番号を取って、番号順に呼び出されるまでひたすら待つシステムでした。

 

受付の方に想定の待ち時間を尋ねると、「およそ2時間半くらいで、外出は自由です。ただし、お呼びした時にいないと、後に回されます」と言われたので、夫婦で待合室にいることにしました。

 

待合室の患者さんは、30代前半から40代後半の方々で、およそ20人くらい。

 

単独の方、ご夫婦で来られている方、親族同伴の方と色々でした。

 

 

 

あまたの検査を受け、ようやく診察室にて担当医から、夫婦とも特に問題はないことと、今後の治療計画について説明を受けました。

 

ザ・理系な担当医師は無神経で、「特に機能的な問題はないですね、精子と卵子の相性が悪いのかな、相手を変えたらすぐ自然妊娠するかも」と宣いました。

 

あまりな言い草に、唖然としていると、すかさず、医師の横にいた助産師さんがフォロー。

 

「女性が最も妊娠しやすいのは、20歳前後なんです。30歳、35歳、40歳と、ガクガクと妊娠率は落ちます。高齢出産だと育児と親の介護が重なることもあります。30代前半に受診したのは英断ですよ」

 

「結婚適齢期は知っていたけれど、妊娠・出産適齢期は知らなかったよー」と叫びたかったです。

 

受診しながらの1年間の治療期間は、身体的にも、メンタル面でも、私の人生イチしんどかった時期です。

 

だから、無事に妊娠・出産できた時は、ホントに嬉しかったし、「やさしいママになる」と誓いました(画像は、産まれたての息子たちおイメージです☆)。

 

 

 

思春期に最も学ぶ必要があることは、数学でも英語でもなく、自分の心と身体と性についてです。

 

少なくとも、私が思春期の40年前は、親からも教師からも、性教育をきちんと受けた記憶がありません。

 

保健体育の授業で、生理や精通を知識として教えてもらいましたが、セックスに関しては藪の中でした。

 

現在は、性に関する授業が小学生の頃からきちんと行われていると聞きます。

 

それでも、望まぬ妊娠や不妊の悩みはむしろ増加している気がします。

 

 

 

能動的に人生を創っていくために、自分の身体や心、性に関心を持って下さい。

 

自分が選択肢を持っていることに気付いて欲しいです。

 

そうしてようやく、自分の人生を生きることができます。

 

失敗してもいいから、自分で未来を選択すると、後悔が少なくなります。

 

生きることを楽しんで欲しいなと思います。

 

 

 

 

約20年前、ファミレスが、家族か友人、恋人など、誰かと出かけるところだった頃。

 

2歳半の双子の息子たちを連れて、自宅から車で10分くらいのベーカリレストランに、夕食を食べに出かけました。

 

この日が、息子たちの外食デビューでした。

 

息子たちの着ていた洋服や様子、食べたメニューまでハッキリと覚えています(自分や元夫についてはうっすらですが☆)。

 

 

 

日曜日の午後6時頃、店内はほぼ満員で、私たちが食べ始めた頃には、ウェイティングがかかっていました。

 

2つほど隣のテーブルには、40代と思しき女性がひとりで着席して、食事をしていました。

 

最初、お連れの方はトイレなのかなと思ったのですが、テーブルの上には、ひとり分の食事しか提供されていません。

 

家族連れやカップルで埋め尽くされた店内で、細身で上品な装いのその方は、まっすぐ前を向いて、メインの料理を赤ワインと共に上品に召し上がっていました。

 

私が彼女なら、この日時、ここには来ないなと思いました(余計なお世話)。

 

彼女の事情をあれこれと妄想しかけましたが、ハイな息子たちのおかげで、母親モードにバチンと切り替わりました。

 

デザートを食べて大満足の息子たちがうつらうつらし出した頃、ふと見ると、彼女はもういませんでした。

 

 

 

なぜ、そんなに衝撃を受けたんだろう。

 

今、振り返ると、彼女は未来の私かもと感じたのかもしれません。

 

ひとりでしゃんといられる彼女の強さへの憧れと同時に、孤独に対する恐れ。

 

羨ましい気持ちと、ああはなりたくないという想い、そして、自分はどういう道を行くのかという不安。

 

そういうものをハッキリ見たくなくて、私は即ふたをして、見てみないふりを決め込んだのかな。

 

 

 

息子たちが親離れした頃から、私のひとり時間は激増しました。

 

ずーっと我慢してきた、映画や美術鑑賞、日帰りのドライブに精力的に出かけ始めました。

 

彼らが中学生の頃は国内ひとり旅、高校生になったら海外ひとり旅に年に1、2回出かけました(離婚前、元夫が夜は在宅していました)。

 

思えば、2週間のインドひとり旅によく送り出してくれたと思います(感謝)。

 

帰国すると、買い置きしていた大量の冷凍食品やレトルト食品がすっからかんになっていて、笑えました。

 

現代なら、私がいなくても男3人生きていけるなと確信しました。

 

 

 

そして、離婚後すぐ、コロナ禍襲来。

 

人生初の学校のロックダウンを経験し、想定外の状況に粛々と耐える日々。

 

私と息子たちはコロナワクチンを打たずに、コロナ禍と大学受験を乗り切りました。

 

コロナ禍後、ファミレスにさえひとり席が設置されるようになり、おひとり様にとって生息しやすい環境に様変わりしました。

 

 

 

思い返せば、30年以上、家族以外と旅行したことがありません。

 

ひとり旅の時は、基本的にドミトリーに宿泊します。

 

旅行中は、トップギアの状態なので、たっぷりの朝食と遅めのランチの2食で元気に動けます。

 

ひとりで、周りの風景や他の人の様子、食事そのものを全身で味わいます。

 

 

 

旅でのソロ飯・ソロ外食がデフォルトになったのか、普段の外食もひとりがベストになりました。

 

誰かとしゃべりながらより、ひとりでひと口ひと口、味わいながら食べる方が性に合うようです。

 

ソロ外食の時は、ファミレスや回転寿司、お気に入りのカフェを使い分けています。

 

気を付けるのは、混んでいる曜日・時間帯を避けること。

 

平日、ランチタイムをはずしたら、ロイホで、4人掛けの窓際のテーブル席に案内され、ゆっくり食事して、気兼ねなく読書できました。

 

平日のランチタイムのスシローでは、テーブル席に案内してもらえて、ゆっくりお寿司を味わえました。

 

うまい酒と肴を食べたい時は、口コミをチェックして、カウンター席のある居酒屋に行きます。

 

カウンター席なら、混んでても気を遣わなくていいし、横の人と話が弾む時があります。

 

そして、年に1、2回、高級ホテルのアフタヌーンティや、有名レストランのランチに、予約して出かけます。

 

女性の私がひとりで来店すると、覆面調査員かも⁉的な対応をされたことがあります(全く違いますし、そんな舌も風格も私にはないです)。

 

心ゆくまで、食べることと場の雰囲気を堪能できるので、高級店ほどソロ外食がいいと、心底思います。

 

 

 

とうとう、ソロ飯・ソロ外食・ひとり旅時代に突入してきています。

 

私にとっては、とっても嬉しい変化(*^^*)

 

友達がいないわけではないのですが、今はひとりを満喫したいと思っています♪

 

 

「ピースボート」ってご存知ですか?

 

若者と大型客船が映る、「世界一周」「船旅」「ピースボート」と書かれたポスターを街中で見掛けるたび、若者が世界一周の船旅の中で国際交流するイベントだと思い込んでいました。

 

つまり、50代の私には関係ない話で、もし今20代に戻れたら、乗ってみたかったかもと思っていました。

 

 

 

それが、先日、まじまじとポスターを見たら、ピースボートの世界一周の船旅は、年齢不問であることに気付き、資料請求をしてみました。

 

早速届いたパンフレットによると、毎年3回、色々なルートや時期に世界一周船旅を開催していること、費用は宿泊する部屋によって大きく変動することを知りました。

 

また、早期申込みをすること、乗船前に簡単なボランティア活動をすることで、旅費の割引を受けることができるようです。

 

 

 

映画「タイタニック」の影響で、私は船旅を避けてきました。

 

昨今、日本でも、知床や沖縄で船の死亡事故がありましたし。

 

けれど、ピースボートの世界一周ルートのうち、アフリカ・南米・南極の船旅にハートを撃ち抜かれてしまいました。

しかも、あの南海の孤島「イースター島」のモアイ像付きです。

今までは世界一周航空券で世界一周しようと思っていましたが、船の世界一周は、すごく楽ちんだからとりま体験してみてはと、すとんと腑に落ちました。

 

すぐ電話して、直近の船旅説明会に申し込みました。

その際に、ひとり参加であることを伝えると、最近は、ひとり旅の方が4割近く占め、男女別のドミトリーを用意しているとスタッフの方から聞き、気が楽になりました。

ドミトリーの4人部屋なら、3ケ月半の船旅で、250万円くらいのようです。

 

小雨の中、いよいよ、船旅説明会に参加しました。

開催場所は、めちゃめちゃ非営利活動団体チックな大阪事務所です。

講師の活舌がイマイチで、聴き取りにくいところもありましたが、3パターンの世界一周の動画は素晴らしく、まんまと行く気になりました。

パンフレットの中で、船内で参加者と話しているウルグアイの世界一貧しい大統領 ムヒカさんがいました!

映画でムヒカさんを拝見して、ウルグアイまで会いに行きたいと思ったくらい尊敬しているので、もっと早くピースボートに乗っていれば…とすごく残念な気持ちになりました(ムヒカさんのご冥福をお祈りします)。

 

3パターンの世界一周の動画を観て、私はやはり、南米・南極・アフリカコースに心鷲掴みされました。

南海の孤島、イースター島でモアイ像を観たい。

リオのカーニバルで、南米のラテンのノリを楽しみたい。

この目で、南極を観てみたい。

アフリカの自然を全身で感じたい。

そういや、初海外旅行の行き先は、最初はケニヤのサバンナにしていました。

父に、海外旅行の費用全額出すから行先を先進国にしてくれと懇願されたので、アメリカにしたんだっけ。

次に行ったイギリスで、ヨーロッパの魅力にドはまりして、すっかりケニヤに行くことを忘れていました。

今回のピースボートの船旅で、アフリカに共鳴したら、次はケニアに乗り込みます。

 

船旅説明会後、私の旅の相談にのってくれたのは、40代の女性スタッフで、彼女は全ての世界一周コースを体験しているとのこと。

1番人気は、私が選んだ南米・南極・アフリカコースだそうです。

理由は、個人では行きにくい南極、南米、アフリカに行くこと、12月中旬からの3ケ月半の旅で、イベントが多く船上ライフが充実していること。

うーん、混むと嫌だな。

 

3ケ月半の世界一周の船旅で、下船後も付き合える友達ができたらいいなと思いました。

孤独を愛する私がこんなふうに思うこと自体が、ピースボートの魔法かもしれません。

麻雀卓があるので、もしかしたら乗船中は海も見ずにずっと打っているかもしれない☆

地球温暖化が進んでいる今、なるはやで南極は訪れたいです。