愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

自分の大好きなことをして、会いたい人と一緒の時間を過ごす毎日は幸せです。日々の暮らしを通して感じたことを表したいと思います。

人生で一度でいい、自分の納得のいくモノを生み出したいと悪戦苦闘中です


それは、料理かもしれないし、小説かもしれないし、ペンダントかもしれません


様々なことを感じながら、毎日を丁寧に過ごしています

小さい頃から、よく「変わっている」と言われました。

 

母は専業主婦でしたが、ほったらかしで育てられたからかもしれません。

 

常識やマナー、家事や人付き合いについて、きちんと教えてもらったことがありません。

 

中学生になると、母の外出先でのふるまいを恥ずかしいと思うこともありました。

 

向き合って、話を聴いてもらったことも、母の考えや想いを聴いたことも、ありません。

 

悩み深き思春期に、読むことと書くことで自分自身と折り合いをつけたからか、人付き合いは苦手でしたし、時間の無駄と思っていました。

 

 

 

会社に入ると、「社会人としてのフツー」が分からなくて、苦労しました。

 

先輩の女性社員が、化粧する必要性、お茶の淹れ方、敬語の使い方など、優しく教えてくれました。

 

上司や先輩が、仕事のやり方、心構え、人付き合いについて、私のペースに合わせて指導してくれました。

 

20世紀の会社は、真っ白な新入社員を手間暇かけて1人前に育てる余裕がありました。

 

 

 

それでも、「目上の人を立てる」、「場の空気を読む」等当たり前のことができず、周囲をハラハラさせることがあったと思います。

 

入社してゴルフを始め、1年後に社長を始めとする役員が参加するコンペに出場したり。

 

会長に書道の指導をしている書家の先生が、私が所属する人事部の女性社員を料亭にご招待下さった時、「マナーに自信がないので」という理由で断ったり。

 

1週間帰り道に待ち伏せするストーカーに、大通りで、「二度とその面見せるな」と大声で怒鳴ったり。

 

義父母に二世帯同居を強要された時、「あなた方とひとつ屋根の下に住むのは無理です。それくらいなら、離婚します」と

面と向かって宣言したり。

 

「お茶しませんか」と毎月lineしてくるママ友に、「私があなたとお茶行きたいなーと思った時、連絡するでもいいですか」と返したり。

 

 

 

…昔のことを振り返って気が付きましたが、本心丸出しで生きてきたんですね、私。

 

この点について、下の子に感想を求めたら、

 

「ホント、母さん、俺の想像以上に、図々しい生き方してきてたんやな…」と言われました。

 

…図々しいのだろうか?

 

素直ではなく?

 

 

 

私が結婚相手に求めた3番目の条件は、「親にきちんと育てられた、社交的で良識のある人」でした。

 

息子たちは、元夫と16年一緒に暮らしたからか、常識的な振る舞いができる立派な大人になりました。

 

育ちの良さは一朝一夕には身につかないので、その点はホントに元夫に感謝。

 

来世では、母になる予定がないので、面白みがない元夫をパートナーには選ばないのですが。

 

 

 

私は、人生で、自分の考えや想いを尊重することが最重要と思っています。

 

他人や周りの人に、「変な人」「非常識」と思われても、自分がやりたくないことはやらなくていい方法を必死に探します。

 

世界は広くて、多様な文化や考え方、人々が存在します。

 

自分を殺してその場にとどまる必要はありません。

 

自分の意見を表明して、納得いくまで話し合って、それでも無理なら移動したらいいのです。

 

移動しまくっても落ち着き先がないようなら、自分をアップデートするタイミングなのかもしれません。

 

自分らしく生きていい現代に生まれたのだから、安易に妥協せず、しぶとく、図々しく生きるのは、アリだと私は思います。

 

私は、ひとりご飯が大好きである。

 

他人と一緒に食事するのって、面倒くさくないですか?

 

まず、何を食べるかのすり合わせ。

 

予約の有無と誰が予約するか。

 

食べるスピード、話す内容、トイレに行くタイミング。

 

別会計対応をしてもらえない時の会計後のやりとり。

 

私は、食事を味わうことに全振りしたい!

 

小腹満たしたら、少し小休止して、カフェオレを飲みたくなる。

 

そんでもって、持ってきた本の続きを少し読みたい。

 

つまり、マイペースに食べたり飲んだりトイレに行ったり窓外の景色を眺めたい。

 

許されるなら、ソファに横になって、天井を堪能したい。

 

コロナ禍後、ファミレスでさえぼっち席を用意し、注文はタブレット・会計もセルフの飲食店が増えてきて、いい時代になったと心底思います。

 

 

 

小学校までは、家では家族と、学校では数人で机を引っ付けて、わいわいと食事をしていました。

 

目の前の男子を笑かして、給食の牛乳を噴き出させるとかしていました(酪農家の皆さん、貴重な牛乳を無駄にしてすみません)。

 

中学生以降は、家庭ではテレビを観ながら、学校では読書しながら、食事をするようになりました。

 

社会人になると、カラオケの楽しさとお酒の味を覚え、飲み会に参加しまくっていました。

 

あの頃は、絶賛婚活中で、人生イチ社交的でした。

 

育児中は、筋道もオチもない子どもたちの話を聴きながらもぐもぐタイム。

 

それはそれで、とても楽しかったです。

 

 

 

子どもたちも大きくなり、コロナ禍を過ぎ、職場でも家庭でもお出掛けでも、ひとりご飯することが多くなりました(嬉)。

 

外食する時は、吉野家、焼肉ライク、ガストがお気に入り。

 

そんな時、家の近くの図書館で、おススメ本コーナーに展示されていた本の表紙が目が留まりました。

 

タイトルは、「ロイヤルホストで夜まで語りたい」。

 

ロイヤルホスト?

 

そういえば、時々目にするけれど、一度も入ったことがない。

 

夜まで長居したくなるようなファミレスなんだろうか。

 

私は、その本を手に取り、貸出し手続きをしました。

 

 

 

…読了した結果、ロイヤルホストのメニューを体験したくなりました。

 

早速、近くのロイホを検索し、翌日昼過ぎに万全の態勢で出かけました。

 

結論から言えば、初回ですっかり、ロイホファンになりました(チョロい)。

 

内装、接客、料理や飲み物の味、雰囲気が想像以上でした。

 

再三「ロイヤルホストで夜まで語りたい」で出てきたコスモドリアのスペシャルランチ、オニオングラタンスープにアップグレードで、注文しました。

 

ランチについているソフトドリンクバーがまたいい。

 

カフェラテもココアも、甘すぎず、本格的な味わいでした。

 

食後のデザートはお口直し程度でしたが、その少しの甘さが、よい〆になります。

 

ファミレスというより、洋食屋さんの味に近い。

 

お会計は、ガストよりはチョイ高かったけれど、満足度を考えれば、ロイホに軍配があがります。

 

客層も、ハイソで、学生や赤ちゃん連れのママ友軍団もいません。

 

店内は上品なクラッシックのBGMと、さざ波のような話声が流れていました。

 

マネージャーさんらしき長身の男性が、各テーブルをさりげなく眺めながら、ゆっくり店内を一周されていたことにも、ビックリ。

 

ファミレスでは見たことがない光景が、そこここにありました。

 

 

 

「ロイヤルホストで夜まで語りたい」の中で、印象的だった言葉。

 

「行きたい時にロイホに行ける、それくらいの稼ぎがあればちょうどいい」

 

うん、確かに、そんな晩年を目指したいなと思いました。

 

 

 

今度は、平日の14時頃、窓際のボックス席で、オムライスか、シーフードドリアのスペシャルランチを食べたいな♪

 

そして、食後は、ドリンクを飲みながら、2冊くらいゆっくり本を読もう。

 

最高の昼下がりになりそうな予感がします。

 

ロイホでのひとりご飯は、ホントに楽しいよ!

 

おとといから、声が出にくくなり、咳が出るようになりました。

 

ああ、これは、身体の限界を超えたサインだなーと理解しました。

 

フルタイムで働きながら、息子たちの尻を叩き荷造りさせ、3件の引越し、ライフラインの停止、スマホやWi-Fiの切り替え、不要なモノの処分と、ずっと頭も心もフル稼働で、心身が休まる時がありませんでした。

 

年明けから、観たい映画を何本か見逃しましたし、日帰り観光さえしていません(泣)。

 

4月になった途端、それらが完了し、働き方も週3日にペースダウン、気が緩むと身体が悲鳴をあげ始めたようです。

 

新しい街で評判がよく通いやすい耳鼻咽喉科を見つけ、昨日、受診しました。

 

声がほぼでなくなっていたので、受付の方や先生とは、人生初の筆談をしました。

 

声帯の状態を確認し、必要な処置と処方をして頂き、真面目に薬を服用したら、今日は聞き取りにくさはあるものの、話すことができるようになっていました。

 

当たり前にできていたことができなくなって、初めて、何不自由なく行動できるありがたさを実感しています。

 

1週間もすれば、おそらくその実感も跡形もなく消えるのですが。

 

 

 

6歳で、将来の夢を定めました。

 

それは、「やさしいママになる」こと。

 

下町育ちの私は、ここから出ないと、「ママ」にはなれないと考えました。

 

よい結婚するためには、大学進学して、大企業就職するのが近道。

 

「ザ・おかん」の母に、「大学に行きたい」と伝えると、「弟が2人おるから、私立大学も、塾も予備校も無理、参考書と問題集代は出すから、自力で頑張れ」と言われました。

 

それから、自分のために勉強を続けました。

 

そのおかげで、経済力のある元夫と結婚し、「やさしくて怖いママ」に無事になることができました。

 

幼い頃の夢を、執念深く追いかけて実現したことは、素直によくやったと思います。

 

けれど、もし、今の記憶を持って赤ちゃんの頃からやり直せるなら、受験勉強ばかりではなく、自分の心身について学び、十分なケアに励むでしょう。

 

 

 

例えば、

 

栄養のバランスを考えて食べる(お菓子でお腹いっぱいにしない)。

 

しっかり眠る(電気つけっぱなし寝落ちしない)。

 

丁寧に歯磨きをする(1分ではきれいに磨けない)。

 

目を大切にする(暗いところで読書しない)。

 

肌の手入れをする(化粧を落とさず寝ない、保湿をしっかりする)。

 

女性の身体の仕組みを知る(40代で膣の位置を知るってどうなの)。

 

自己覚知に励む(感情に振り回されない)。

 

 

 

今も絶賛取組中ですが、この年齢からでは取り返せないものがたくさんあります。

 

この数日で体験したように、心身が健康であることは、当たり前ではないのです。

 

明晰な頭も、軽やかに動く身体も、シミひとつない肌も、つやつやの髪の毛も、虫歯のない歯も、徹夜してもびくともしない気力・体力も。

 

まあ、たまには甘いものをバカ食いしたり、大酒飲んだり、タバコを吸ったり、そういう自傷行為は楽しいですけれどね。

 

 

 

きっと、私が若い頃も、周りの大人の人が、こういうこと、言ってくれていたんだろうな…。

 

でも、ピンと来なくて、50代後半になって切羽詰まってようやく取り組む今です。

 

その後悔の念もあって、この記事を書いています。

 

たったひとりでもいいので、必要な人に届けばいいなあ。

 

 

 

そうそう、今回の不調で改めて気付いたこと。

 

少し声を出しにくいくらいが、おしゃべりな私にはちょうどいいかもということ。

 

何事も、体験には意味があるのかもしれません。

 

 

 

3月27日は、下の子が、身の回り品を持って我が家を旅立つ日です。

 

入社式後は、長い研修期間となり、その間を社員寮で過ごします。

 

 

 

私も、25年前、入社時研修でひと月会社の研修センターで過ごしました。

 

その時は、女性総合職だけが滞在する女性フロアが設けられ、水回りは共用、個室は約6帖で、備え付けの備品はベッドと机、ロッカーでした。

 

週に2回ほど、誰かの部屋に集まって、飲み会が催されていた記憶があります。

 

腹を割って話すことで仲良くなり、関西配属になった同期とは、折に触れ、集まって遊んでいました。

 

 

 

下の子の場合、昨今の若者気質を考慮してか、ユニットバス・キッチン・生活に必要な家具・家電が備え付けられたワンルームで、スマートロックです。

 

事前に会社から引っ越しキットが届けられ、身の回りの品々の運搬費用は会社が負担してくれるそうです。

 

プライバシー重視な造りなので、誰かの部屋に集まって飲み会するまで、かなりな時間を要する気がします…いや、そもそもそんな需要が生じないのかもしれません。

 

そんな暇があれば、各々の居室でPCをいじっているのかも…もしくは、隣室にいてもリモート飲みとか?。

 

同期の絆など、もう必要ない時代や職種なのかもしれません。

 

 

 

最後に、本配属時まで私の実家で預かる荷物の梱包状況を、一緒にチェックしました。

 

すると、自室以外に置いているキッチンや洗面所のモノが、全く梱包されていないことが判明しました。

 

2日前からお願いしていたのにも関わらずのモレ。

 

「昨夜も、リマインドしたよね!」と、私は怒鳴ってしまいました。

 

瞬間湯沸かし器の私のヒステリー、収まるのに10分以上かかります。

 

さすがに、この日は、冷静な私がすぐに登場し、なだめ始めました。

 

「おいおい、我が家最後の日くらい、気持ちよく送り出してやれよ。

 

私のヒステリーの直撃を受けたら、ダメージ受けて、新幹線に乗る前に階段から落ちるとかあるぞ。

 

そうなっても、後悔しないのか」

 

そう、下の子は、私の感情の爆発を、もろにかぶってしまうタイプ。

 

一度、私と上の子の大喧嘩を浴びて、交通事故に遭った実績を持っています。

 

コードが繋がった家族などの感情の揺れに影響を受けるそうです(私とは違うタイプのエンパス?)。

 

引越しと仕事でギリギリなのに、この上彼に何かあったら、私はパンクすると気付き、冷静になりました。

 

 

 

「分かった、あなたの食器やヘアケア用品などは、私たちで梱包するから、気にせず、行っておいで」

 

と何とか笑顔で言えました。

 

下の子にとっては、別種のホラー感があったかもしれませんが。

 

 

 

玄関にて、我が家を出る時、「ハグしていいかな」と彼に訊いてから、ハグしました。

 

今までも、修学旅行などでしばらく家を空けることはありましたが、この家に戻ってくることが前提でした。

 

けれど、彼とこの家で会うことは、もう2度とありません。

 

思わず、涙がこみ上げてきました。

 

生まれてきた日、初めて言葉を発した日、歩いた日、小学校の入学式、親離れした日、3人で行ったヨーロッパ旅行、小学校の卒業式…。

 

たくさんの大切な記憶があります。

 

そして、完全に手が離れる今日は、私と彼にとって最後のメモリアル、自立記念日です。

 

彼の後ろ姿が見えなくなるまで見送ったのは、生まれて初めてでした。

 

May your life be bright and full of promise!

 

今月末、自宅の売却が完了します。

 

名義を書き換え、売却額残金を受け取ります。

 

 

 

そうすると、私は、それなりに成金になります。

 

今後は、住みたい街に住み、のんびり働き、好きなことをして、自分のリズムで暮らしていきます。

 

そうすると、おそらく、せっかくのお金を預金口座に寝かせておくだけになるんですよね。

 

 

 

…それは、何かもったいないな。

 

きっと、もっといい活用方法があるはず。

 

そう思いながら、日々を過ごしていたら、すごーくいいアイディアが浮かびました。

 

 

 

息子たち2人と下の弟に、各々500万円ずつ貸し、10年後、無利子で元金500円万円を返してもらうというもの。

 

このベースになった経験が、今まさに売却する家を建てる時、退職金バブルだった父が、元夫と私に無利子で1,000万円ポンと貸してくれたことです。

 

贈与ではない証明に、借用書をきちんと書き、結局6年後に返済しました。

 

同時に、住宅ローンも完済。

 

父のおかげもあり、住宅購入の頭金を2/3入れることができたのが大きかったです。

 

用意できる頭金で購入可能な家を買うのではなく、あくまでも自分たちの要望を備える家を建て、住宅ローンを少なくできたことで、元夫が40代半ばの時に完済できました。

 

こだわったのは、耐震と間取り。

 

インナーバルコニーに面した大きな窓のある浴室が、一番のお気に入りでした。

 

 

 

今すぐの使い道がないお金を持つ年配者が、若い人にお金を無利子で貸し出すのは、とても有効です。

 

父にならって、まずは、一連托生の息子たちから。

 

そして、育児期間中、私と息子たちを献身的に支えてくれた下の弟に。

 

私の資産の一部を活用してもらおうと思いました。

 

 

 

実は、大学入学時、息子たちには、4年間の生活費として、まとまった資金を渡しました。

 

上の子は、投資で幾分か運用しているものの、旅行、ゲーム機・衣類の購入などで散財し、残金30万と発覚しました。

 

下の子は、自宅PCにお金をかけていたものの、投資でしっかり運用し、社会人1年目にしては、貯金150万円でスタートを切ります。

 

留年した上の子の救済を込めた今回の再チャレンジ企画でもあります(甘いな、私)。

 

また、下の子は、一度社会に出て、仕事をしながら貯金し、大学院に進学したいという希望も抱いているので、今回の企画がその一助にもなるかもと考えています。

 

 

 

10年後、500万円、きっちり返ってくるかなー。

 

私の遺産相続の先取り的な意味合いもあるので、投資というより、投機でも構わないのですが。

 

32歳の息子たちが、自主的に、「十分助けになったよ、ありがとう」と返してくれたら嬉しいです♪

 

 

私が就職活動をしたのは、バブルが始める前年でした。

 

就職活動は、チョロかったです。

 

OB・OG訪問の連絡をすれば、悪くて喫茶店でお茶、良くてレストランで食事をしながら、志望企業のお話をざっくばらんに聴くことができます。

 

その時によほどヘマをしなければ、そのまま一次面接に進み、順調なら役員面接後内定という運びでした。

 

この頃は、日本は空前の好景気で、大企業を中心に大卒人材の奪い合いをしている様相でした。

 

為替レートは、1ドル100円の時代でした。

 

ちなみに、卒業旅行でヨーロッパをひと月放浪した時の旅費は、往復航空券込みで22万円。

 

関西国際空港が建設前で、唯一成田空港経由でヨーロッパに行きました。

 

 

 

当時は、女性にはふたつの選択肢がありました。

 

男性と同じ条件で総合職として働くか働くか、転勤なしで補助的な業務を担当する一般職として働くか。

 

これ、ものすごく悩みましたが、結婚できない場合を考え、総合職で就職しました。

 

 

 

入社後配属されたのは人事部で、最初の担当業務は社会保険と労務でした。

 

一番印象に残っているのが、すべての役員・総合職・一般職の氏名、住所、電話番号、役職が掲載される住所録なるものを、毎年秋に作成する業務です。

 

現業職を除き、およそ約1500人。

 

6月頃に現状のデータを全社員に配り、回収し、数回の校正を経て、10月頃に基本的にひとり1冊ずつ配布します。

 

何度も見合わせ、読み合わせをして、チェックを繰り返しても、毎年、記載ミスが発生します。

 

正誤表を発行する時、私を含めて人事部員の顔には敗北感が漂います。

 

個人情報が詰まったこの住所録、主に年賀状を書くために使われていました。

 

隔世の観があります。

 

けれど、この仕事のおかげで、全社員の氏名を漢字で覚えましたし、色々な地名や変わった名前に出合いました。

 

在職していた8年間、この業務に携わったので、全社員のフルネームは覚えました。

 

 

 

人情に厚い良い会社でしたが、妊娠を考え出した私は、30歳の年度末に退職しました。

 

怒涛の子育てが一段落した10年ほど前、ふと、新卒採用された会社の役員名簿をネット検索しました。

 

すると、新卒の時にOJTして下さっていた先輩が、役員名簿に載っている!

 

それから、毎年、チェックするようになりました。

 

2年前には、私の同期2人も役員名簿に名を連ねていて、心から嬉しかったです。

 

入社時は、やんちゃで酒好きな人たちでしたが、親分肌なところが認められたのかなと思います。

 

役員名簿にあがっている数名の先輩たちや同期の顔を思い浮かべると、ある共通項が浮かんできました。

 

目の前の人に誠実に向き合っていたこと、担当業務に真摯に取り組んでいたこと、業務の全体を俯瞰していたこと。

 

自分第一ではなく、自然に周りの人たちへの気遣いができる方々でした。

 

 

 

実は、私がこの会社を退職した一番の理由は、総合職として働くことがしんどくなったことでした。

 

30代になれば役職につき、担当業務全体を管理する立場になります。

 

自分の業務を抱えながら、後輩を育成するなんて、できるわけない!と白旗上げての退職でした。

 

会社側は、男女雇用均等法施行4年目に入社した私には、結婚後も働き続ける総合職として残って欲しかったようですが、

慰留を固辞して退職しました。

 

当時のその判断は、正しかったです、自分本位な私に人材育成は100%無理です。

 

 

 

退職してから27年が過ぎました。

 

当時の課長は75歳、OJTしてもらった先輩は67歳。

 

お会いして、当時お世話になったお礼を言いたいなーという想いが沸きます。

 

もう数年したら、後輩の子たちも、役員リストに入ってくるかもしれません。

 

それを楽しみに、これからも毎年、役員名簿を眺めていきます。

 

ちなみに、100株ですが、株主にもなっています。

 

生きている間は、手離すつもりはありません(*^^*)

 

これから夜行バスに乗って鎌倉に行くという時に、大阪駅の紀伊国屋書店に何気なく寄りました。

 

レジ前にある配架台に、真っ白な本が山積みされています。

 

タイトルは、「愛するということ」。

 

まるで引き寄せられるように、1冊を手に取り、そのままレジに急ぎました。

 

 

 

今年に入って、家族解散後の息子たちとの距離感について、ずっと考えています。

 

私は、初対面の相手とは、懸命にコミュニケーションします。

 

彼又は彼女が、何に興味を持ち、何を大切に想い、何を欲しているのかを知りたいと思うからです。

 

そうして、彼らの輪郭が分かると、途端に彼らへの関心がなくします。

 

隣席の同僚から、「あなたは、相手がどんな人か分からない時、一番コミュニケーションをとろうとするよね」と言い当てられました。

 

動物の防衛本能なのでしょうか、相手がこちらに危害を加えないかを知ろうとしているのでしょう。

 

安全な相手と分かれば、あえてこちらから話しかけることはありません。

 

雑談するくらいなら、本を読んだり、映画を観たり、温泉に行きたい。

 

中学生ぐらいから、必要な時だけコミュニケーションをとるスタンスで生きてきました。

 

でも、10年に一度くらい、めちゃめちゃ興味が惹かれる人や、家族よりも近い感覚を持つ人に出会うことがあります。

 

そんな人たちとは、ある期間、密に一緒に過ごし、互いに満足すると自然に道が別れていきます。

 

なぜか魂は繋がったままなので、双方タイミングが合えば、旧交をあたためています。

 

来月も、20年ぶりに唯一のメンターに会います、ちょっと怖いです(*^^*)

 

 

 

ただ、息子たちは別格です。

 

彼らが親離れする10歳頃までは、自分の命より大事な存在でした。

 

今は、自分と同じくらい大事です。

 

今後は、彼らの幸せを、遠くから見守るだけで満足です。

 

私がそう思っていることを、下の子は察しています。

 

そして、ちょっぴり、そのことを寂しいと思っています、しかし反面グイグイ来られてもしんどいと思っています(*^^*)

 

上の子は、自分が困ったら、私に泣きつけば何とかしてくれると思っています。

 

留年中の学費・生活費の金銭的援助を求めてきましたが、「貸すことはできるけれど、あげるつもりは毛頭ない」と伝えたら、さすがに黙って撤退しました。

 

思考回路が安易な面があるので、犯罪に加担しないか心配しています。

 

文学部なんだからもっと読書して欲しい、社会に出る前に「こども六法」は読んで、何が法に触れるのか知って欲しい。

 

闇バイトで収監されたら、月イチくらいは差し入れ持って面会に行くつもりではいます。

 

 

 

息子たちが大学生だった4年間は、つかず離れず、一番穏やかに過せました。

 

私が、彼らを一人前の大人として認めたことがきっと大きいですね。

 

一度、家族解散すれば、年イチ、必ず会おうとは思いません。

 

実家で麻雀やいたストしようとか、琵琶湖でグランピングーとか、富士山登ろうぜとか、ピンと来たタイミングで声を掛けて集まる感じになりそうです。

 

これからは、親友のような距離感で、付き合っていけたら嬉しいです。

 

これが、今の私の愛し方です。

 

 

 

数日前から、「愛するということ」を読んでいます。

 

今、2章の途中です。

 

平易な言葉で書かれているにもかかわらず、一向に進みません。

 

内容を理解することを心が拒否しているみたいです(頑固)。

 

「愛するということ」を読了したら、変化は起こると感じています(*^^*)

 

 

「いよいよ家族解体だー!」と、着々と引越しの準備中。

 

私の荷物はシェアハウスへ、上の子のは兵庫県のワンルームへ、下の子のは奈良県の実家へ。

 

不要なモノは、メルカリ、ジモティ、リサイクルショップ、福祉施設、ゴミステーションへと旅立ちました。

 

 

 

数日前、下の子のスマホに、「卒業確定」の通知が来たそうです。

 

頑張った甲斐があり、卒論は優だったとのこと。

 

自主的にめちゃめちゃ勉強していたもんねー、学びたいテーマを見つけた子は、幸せだよ。

 

その時、ふと、黒い影がよぎった気がしました。

 

嫌な予感がしたけれど、私はそれにふたをし、忘れる努力をしました。

 

 

 

翌日、就業中の11時頃、スマホが震えました。

 

確認すると、上の子から「卒論は通ったけど、1教科単位を落とした。卒業できず、留年確定です。パパと就職先には連絡した」というメッセージがありました。

 

30分ほど、思考停止に陥りました(忙しくない日でよかった!)。

 

その後、ジワジワと「上の子の留年確定」が腑に落ちてきました。

 

「マジか。冗談やったら殴るよ」と返せば、「ごめんなさい。マジです。引越し関係とか迷惑を掛けます。本当に申し訳ないです」と即返。

 

 

 

実は、上の子がこのまま社会に出ることを不安に思っていました。

 

それを、奇しくも4年生3月の瀬戸際で留年し、自ら証明してしまいました。

 

私と会話を十分にせず、自分が必要な時だけ利用する小賢しさ。

 

バイト先の上司(正社員)に勤務後ご馳走してもらっているにも関わらず、陰で「終わっている」「ああはなりたくない」と断じること。

 

親がかりで4年間大学に在学していたのにも関わらず、ゲームと野球とお笑いに夢中で、学問も教養も身に付けていないこと。

 

それでも、私自身にもそういう面があったので、同じようにそのまま社会に出て、木っ端みじんにされればいい、そんでもってそこからイチから積み上げればいいと思っていました。

 

 

 

多分、彼は、私以上だったようです。

 

それとも、私の頃のような、全人的に新入社員を育成する時代が過ぎ去ったからかもしれません。

 

ホント、大学受験料総額30万、3次まで受験し2校の入学金を支払っているのに、更に留年までするか。

 

文学部なら、3年までに卒論以外の単位を揃えることは難しくないはず。

 

よしんば、4年に単位を残し、絶対落とせないのなら、「こんなもんでOK」ではなく、「最高で優、最低でも可」くらいの気

概で単位を取りにいきなさい!!!

 

今回の留年で、「人生なめすぎていた」と気付いて、本心から心を入れ替えて欲しい。

 

これからの1年は、「社会に出る前に大ゴケしておいてよかったね」と笑い話にできるように、きっちり精進して下さい。

 

あなたが結婚する時、式ではこのエピソードを必ず入れて欲しいです。

 

 

 

どちらにせよ、私はこの春、予定通りあなたの保護者は卒業します。

 

とりあえず、あなたの荷物は、奈良の実家に運ぶ手配をしますね。

 

あなたが4月以降、どこに住み、学費・生活費をどう工面するかは全部自分で手配をしてみて下さい。

 

困った時は、相談には乗ります。

 

借用書は書いてもらいますが、授業料等を貸すことはできます。

 

1年間、しっかり自分と向き合って、生きてみるんだよ♪

 

小さい頃は、無意識に、相手の意に沿うことをしていました。

 

大人にかわいがられるのは嬉しいし、友達に囲まれているのは楽しかったからだと思います。

 

 

 

中学生の頃から、そういう自分の振る舞いと、本来の自分との乖離がしんどくなりました。

 

学校でひとりでいることを選び、本の世界に飛び込みました。

 

推理小説、SF小説から入り、名作や古典に到達しました。

 

時をこえて読み継がれる物語には、人生の真理が著されています。

 

本のおかげで、大学卒業まで、楽しくひとりで過ごすことができ、マイペース人間にあいなりました。

 

 

 

社会人になると、生活は一変。

 

仕事は、共同作業だと腹の底から実感し、ホウレンソウを心掛け、コミュニケーションを頑張りました。

 

字が、豆粒くらい小さくなって、1年くらい鬱っぽくなりましたが。

 

 

 

仕事の次は結婚です。

 

24歳ころから、婚活=合コンに参加するようになりました。

 

合コンでは、自分に好意を持つ人が面白いように分かるので、その中で私の条件を満たす男性を選び、直球でアプローチしました。

 

恋人になるのは簡単ですが、弟2人がフリーターだったことが義実家には受け入れがたかったようで、結婚まで進むのは大変でした。

 

その時、元夫が、「結婚は、両家に祝福されないと幸せになれないから、しばらく時間が欲しい」といい、義両親を説得してくれました。

 

結局、離婚になりましたが、彼のこういうところ、私にはない美点で、息子たちへの継承されてよかったと思っています。

 

 

 

息子たちが2歳の時、社宅から教育環境のよいエリアの一戸建てに引っ越しました。

 

数人のママ友ができ、お茶したり、ランチをするようになりました。

 

子育てする上では、縦や横の繋がりがあると心強いし、何かとお得です。

 

お下がりの洋服やおもちゃ、グッズを譲ってもらえたり、習い事や病院の情報を共有できたりするからです。

 

ただ、メンタル弱っている人に好かれる傾向があるなと気付き出しました。

 

確かに、子育て中のママは、少なからず追いつめられています。

 

配偶者は、「お手伝い」気分なのも癇に障る(お前も親だろうーがよ!)。

 

 

 

息子たちが小学生になって、私にも余裕ができた頃、ママ友のひとりから、

 

「胸が苦しくて死にそう。薬も見当たらない。こちらに来てもらえないか」

 

と電話がありました。

 

すぐ近くなので、息子たちふたりに留守番をお願いして、彼女の家に急行しました。

 

インターホンを鳴らすと、「玄関ドア開いているから、入ってきて」という声が聞こえます。

 

玄関にうずくまっている彼女、意識ははっきりしているようでした。

 

大変散らかっているリビングを覗くと、小学生の女の子が未就学の男の子の世話をしていました。

 

彼女からは、「救急車を呼んで欲しい」と依頼されました。

 

私は生まれて初めて119をプッシュし、「火事ですか、救急ですか?」と訊かれ、「救急です。30代の女性がひとり、苦しそうにしています。意識はあります」と答えました。

 

その後、彼女の氏名、住所、私の氏名と彼女との関係性を伝えました。

 

住所が分からなくて困っていると、オペレーターの方が、「下駄箱の上などに郵便物はありませんか」とアドバイスしてく

れ、住所を伝えることができました、盲点!

 

最後に、「救急車は10分前後で到着します。家の前に出て手を振って欲しいのですが、可能ですか」と尋ねられました。

 

了承して、救急車のサイレンが聞こえたら、子どもたちの手を引いて外に出て、手を振りました。

 

「この後どうしたらいいか」と彼女に問えば、「近所の両親にも電話したので、もうすぐ来ると思う。それまで、子どもたちをみていてもらえませんか」と依頼されました。

 

私が家を出て30分くらいになるので、私も息子たちが心配。

 

まさか未就学児をほっぽり出して帰れないしなーと思っていると、ご両親が車で到着し、私は放免されました。

 

大急ぎで帰宅すると、息子たちの「お腹すいたー」の大合唱。

 

なるはやで夕食を仕上げました。

 

その後は、彼女からの連絡はなく、元気にしているといいなと思っています。

 

最近では、20代や30代で、身体の不調を訴える方々もいて、驚きます。

 

私の育った時代に比べると、環境激変ですもんね。

 

 

 

白杖をついている人、車椅子の人、大きな荷物を持っている小柄なおばあちゃま、ベビーカーを押している若いお母さん、

日本語看板のお店の前で入るのをためらっている外国人旅行者など。

 

周りを見回すと、困っているかも?な方々が目に入ってくる。

 

「お手伝いしましょうか」と声を掛けてみると、たいてい、「大丈夫です」と言われます。

 

それでも、声を掛けることで、双方温かい気持ちになるんじゃないかなと思っています。

 

海外で色々な人に助けてもらっている恩を、日本にいる時に違う誰かに返せたらいいなあと思うので、これからもSOSを(勝手に)受信して、「お手伝いしましょうか」と声掛けして行こうと思っています。

 

ただし、自分に余裕がない時は、もちろんスルーして下さいね。

 

まずは、自分を満たすことが、何よりも大切ですからね。

 

 

 

私は、物心つく頃から、とても合理的な子どもでした。

 

何かする時には、きちんとそれをする理由を認識していました。

 

食べるのは、お腹がすいたから。

 

外で大勢の子と遊ぶのは、その方が楽しいから。

 

怒るのは、思い通りにならないから。

 

大人の前で「いい子」になるのは、その方が得だから。

 

 

 

家族の前では暴れん坊でしたが、外では「弟や小さい子に優しい女の子」を演じていました。

 

ポシェットをいつも斜め掛けして、その中に、ハンカチ・ティッシュ・絆創膏を入れていました。

 

我ながら、無意識にあざとい(*^▽^*)

 

 

 

祖父母やおじおば、両親の仲人夫妻(祖父母と同じくらいかわいがってくれていた)、ご近所の人や、商店街の人、学校の先生などなど。

 

目の前の大人が、私にどう振舞って欲しいと思っているか。

 

それを感じ取り、できる範囲で応える。

 

笑顔で挨拶し、物おじせず適度にわがままを言い、それをきいてもらったらお礼を言い、次に会った時にも感謝する。

 

大人の転がし方を心得た小学生でした(*^▽^*)

 

 

 

この時の経験は、大人になって本領を発揮します。

 

新卒で入社した大企業でも、目上の方々には、かわいがってもらいました。

 

上司とふたりでホテルの高級バーに飲みに行っても、8割彼の昔の苦労話、2割私への指導という塩梅で、カクテルがめちゃうまかったです♪

 

社会人として、最低限の常識やふるまいを身に付けることができたのは、最初の会社の上司や先輩方のおかげです。

 

 

 

ひと世代上の、真面目に仕事をし、子どもを育て、税金を納めてきましたという方々に、今でも、私は親和性があります。

 

彼らの喜ぶツボが分かるのは、小さい頃からの経験値のおかげです。

 

彼らの人生がよりよくなるようにという立ち位置で、本心からアドバイスするので、ガッツリ信頼されるのかもしれません。

 

大きなお金が動くような決断の時も、「あなたの言うとおりにするから、どちらがいいか決めて」と言われることがあり、正直戸惑います。

 

他人の人生の責任を負うことはできないからです。

 

自分自身が還暦が近くなってきたので、決断することが怖いと感じる気持ちには共感はします。

 

「どんなに時間がかかっても、どんな選択をしても、自分自身が出した答えなら、きっと大丈夫ですよ」と、ご自身で決めるよう促します。

 

 

 

そういうスタンスで、仕事をしている話を弟にすると、

 

「そういうとこ、ねーちゃんがお客さんに信頼されるところじゃね?でも、ねーちゃんが投資話持ちかけたり、水晶売ったら、すぐ億万長者になれるで」

 

と、弟が宣う。

 

「いやいや、非合法な手段は、私にとってはリスクでしかない。間違いなく、後悔する。息子たちを人質に取られない限り、しない」と私。

 

「もったいないなー。教祖とか詐欺師になったら大金持ちになれるのに。おれ、運転手と荷物持ちするし」

 

と、重ねて言うので、

 

「しつこい!お金は、まっとうに働いて稼ぐのが一番やで」

 

と黙らせました。

 

 

 

まだナビがなかった20代の頃、田舎にドライブに行き、道に迷うと、沿道のおうちをピンポンして道を訊いていました。

 

そういう時、「お昼食べていき」「お茶飲んでいき」と、アニメ「日本昔ばなし」に出てくるようなおじいさん、おばあさんによく誘われました。

 

そこから思いついて、将来、お金に困ったら、車で田舎を回って、高齢者世帯のおうちをピンポンして、家事・買い出し・送迎する代わりに無料で食事付きで下宿させてと頼もうとひっそり考えています。

 

昨今は、そこここで、クマが出没するので、このもくろみは命がけになるかもしれませんが。

 

例え無一文になっても、頭を振り絞って考えれば、まっとうに生きていくことは可能だと思っています。