愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

自分の大好きなことをして、会いたい人と一緒の時間を過ごす毎日は幸せです。日々の暮らしを通して感じたことを表したいと思います。

人生で一度でいい、自分の納得のいくモノを生み出したいと悪戦苦闘中です


それは、料理かもしれないし、小説かもしれないし、ペンダントかもしれません


様々なことを感じながら、毎日を丁寧に過ごしています

学校時代、音楽は、実技教科の中で一番の鬼門でした。

 

楽器はリコーダーと鍵盤ハーモニカしか弾けないし、音符も読めない、音階も分からない。

 

カラオケでは、だいたいの音階で歌うので、曲中メロディーラインから半音上がったり下がったりします。

 

音楽の先生や、音楽が得意な子からは、「腹式呼吸のいい声だけど、微妙に音階がずれてるので、聴いてて気持ち悪い」と

言われました。

 

しかし、空気を読まない私は、音楽のテストでも校内の合唱コンクールでもアルトパートを堂々と大きな声で歌います。

 

 

 

中2の時、私のクラスは校内の合唱コンクールで優勝を目指して熱心に練習を重ねていました。

 

クラス担任の音楽教師は、「口パクをお願いできないか」とそっと私に頼んできました。

 

私はと言えば、練習でも本番でも、フツーに大きな声で歌いました。

 

結果は3学年24クラス中3位。

 

私の歌声が影響したのかは微妙なトコロです。

 

今だったら、口パクを頼む音楽教師は、大問題になるのではないかと思います。

 

 

 

新卒で入社した会社の新入社員歓迎会に参加した時の記憶も鮮明です。

 

初めての本格的な宴会に、テンション上がりました。

 

2次会は、貸切のスナックでカラオケ。

 

スナックも、カラオケも、生まれて初めてでした。

 

皆から「歌声聴かせて」と言われた私が入力した曲は、当時高視聴率のドラマ主題歌で、大流行していた「SAY YES」。

 

チャゲ&ASUKAという男性デュオが歌っています。

 

大好きで、当時めちゃめちゃ聴いていたので、歌ったことがなくても、私、カラオケで歌えると思ってしまったんですよね。

 

いやホント、実際すごかったです、音のはずし方が。

 

凍り付いた雰囲気の中、最後まで私が歌い切った後、給与チームのリーダーがボソリとひと言。

 

「俺の時は、音痴は2小節で演奏停止されたぞ。女子やから最後まで歌えたんや。この歌声は、伝説に残るな」

 

その後、私は、宴会前にはカラオケで歌う曲を練習するようになり、人事部の皆からは、「普通になって残念なような、嬉しいような」微妙な反応を返されました。

 

会社に入ってよかったことのひとつに、カラオケ好きになったことがあります。

 

今も、毎週1時間歌っています♪

 

 

 

音楽のとらえ方が変わったのは、元夫と付き合いだしてから。

 

彼は、幼少期からピアノとエレクトーンをしていて、絶対音感を持っています。

 

クラッシックコンサートに行くと私が毎回寝るので(あれは、子守歌ですよね⁉)、次第にフュージョンバンドのライブに連れて行ってくれるようになりました。

 

私は、歌声以外の音楽は伴奏とひとくくりにしていました。

 

Tスクエアのライブで、楽器だけでも音楽であることに初めて気付き、ひとつひとつの楽器の音色を識別できるようになりました。

 

元夫が言った「ドラムとベースが屋台骨なんだよ」という言葉、今は腑に落ちています。

 

音楽の聴き方が変わりました。

 

 

 

この春、ひとり暮らしになり、休日はのんびり過ごしています。

 

音楽を始めたいという気持ちは、昔からずっとありました。

 

今からなら、音階がなく、チューニングが必要ない楽器がいい。

 

行きついた先が太鼓系で、和太鼓かドラムで迷いました。

 

酷暑の今、室内で練習できるドラムがいいかなと、今月、ドラムの体験授業を受けに行ってきました。

 

1時間、めちゃめちゃ楽しく、あっという間に終わりました!

 

今は、地味な練習からスタートではなく、最初からメジャーな曲に挑戦させてもらえます。

 

教室で配布された練習曲のYouTubeを観ながら、ドラムのイラストを割りばしで叩いて練習しています。

 

ドラム続けるのは確定したので、近々スティックを買います♪

 

 

 

ああ、今10代に戻れたら、バンド組んで、ドラムを叩く青春を送りたい。

 

協調性ないから、バンドは無理かなあ…。

 

 

私は、少々変わった母親だったと思います。

 

3歳くらいまでは、彼らの健やかな成長をスローガンに滅私奉公していました。

 

肉体的なしんどさは、人生イチで、いつも寝不足でした。

 

 

 

彼らが小学生にあがって、学齢期になった時が、ひとつめの転換点でした。

 

ワンオペ育児絶賛継続中の私の中で、父親モードが発動しました。

 

つまり、「社会でサバイバルする方法を身に付ける」ことを教え始めたのです。

 

日常動作、勉強、お手伝い、遊びなど、全てがトレーニングになります。

 

親離れする10歳くらいまでは「ママ大好き♡」なので、それまでに基礎を固めたいと思いました。

 

 

 

小学5年の時、下の子の家庭訪問で、先生に問われました。

 

「ひとつ、気になることがありまして。お昼休み丸々使って給食を食べ、5時間目の直前に、毎日自分の食器だけ給食室に返しに行っています」

 

私は、夕食の様子を思い返して、「家でも、時間かけて食べています。1時間くらいかかっています」と応えました。

 

「好き嫌いはなく、おしゃべりしているわけでもないんです。少し気になって、お伝えしました」と先生。

 

「マイペースですみません。給食もそんなにゆっくり食べているとは思ってなくて。今夜、本人に訊いてみます」と私は答えました。

 

 

 

その日の夕食時、早食いの私、普通の速さの上の子が食べ終わっても、下の子はゆったりと食べています。

 

「今、気が付いたけれど、めちゃめちゃ味わって食べているね?」と私が訊くと、

 

「ママが昔、言ったんだよ。ひと口30回噛もうねって。だから、僕はいつもそうしているんだ」

 

驚愕!!!!

 

私が原因だった。

 

マジ驚いた。

 

そんなに真面目に親の言うことをきくって…私の家系にはない発想だ。

 

育ちの良い夫の家系からか!!!!

 

彼のその初期設定をアップデートすべく、私は即座にハッキリ伝えました。

 

「ママの言うことをしっかり受け止めてくれてありがとう。ひと口30回噛むのは、すごくいい習慣。だけど、そろそろ時と場合を選ぼう。夕食の時は心置きなく噛んでOKだけど、給食の時は周りの子の様子を見て、噛む回数を減らしてもいいか

も。そしたら、昼休み、みんなと外で遊べるよ」

 

素直な下の子は、それから、給食は給食時間に完食できるようになり、昼休みは外遊びができるようになりました。

 

 

 

彼らが中学3年の時、高校受験、大学受験、就職については、「このライン以上のトコ」に行くこと、高校も大学も規定年

限分の授業料と生活費しか親は負担しないことを明確に伝えました。

 

目標設定がきちんとできれば、そこに向かって努力できることを、自身の体験から知っています。

 

上の子は、高校も大学も、昨年の内定先も今年のそれも、基準ギリギリでした。

 

私の言いつけは守っておいた方が安全、でも努力は最小限がいいというタイプです。

 

まさかの留年は本人もビックリでしょうが、5年目の授業料は元夫にかけあって負担してもらい、生活費は私からの借入金で賄っているようです。

 

下の子は、高校も大学も、学びたいことが勉強できるトコに進学しました。

 

研究テーマをもっと深めたいと思ったのが3年の冬で、院試に間に合わず、就職の道を選んだようです。

 

「一度社会に出て、それから舞い戻るのも研究者としては深みが出ていいんじゃないかな。自分の稼いだお金で院に行けば、学ぶ熱量も半端ないと思うし」と私は口添えしました。

 

現在の就職先には満足しているけれど、5年以内には必ず転職していると思うとしれっといいます。

 

 

 

様々な面で、親は、子どもに多大な影響を与えます。

 

自分自身の初期設定は、両親の価値観や生活の仕方の影響が大きかったです。

 

就学、就職、結婚、出産などのタイミングで、環境や人間関係、価値観が大きく変化してきました。

 

親を反面教師にした部分が多くあるものの、彼らなりに、一生懸命私を愛してくれました。

 

きちんとした家に生まれたかったなーと心底思ったのは、大企業に就職して育ちの良い同僚に囲まれた時。

 

「マナー大全」などで一生懸命勉強しましたが、しょせん付け焼刃。

 

「親の呪い」と格闘しながら、自分と向き合い、日々努力してきました。

 

 

 

自立したあなたたちにも、社会人になれば、足りないところがどんどん出てきて、自分を変革していかなければならないでしょう。

 

これからどんな自分を創っていくかは、あなたたちの課題です。

 

今持っている武器をうまく使い、弱点と向き合い、あなたたちらしい人生を歩んでいって欲しいなと心の底から願っています。

ネットニュースの東野圭吾さんの訃報に接して、初めは「ウソでしょう」と思いました。

 

年齢は、自分と一回りくらいしか変わらない方だったので。

 

これから、まだまだたくさんの新作を読むことができると思っていました。

 

東野圭吾さん。

 

私は、あなたが書く小説が大好きでした。

 

 

 

一番最初に読んだ作品は、「魔球」。

 

推理小説としてではなく、家族の物語として読みました。

 

登場人物に感情移入しすぎて、読み終わってから苦しくなりました。

 

今作を読むまで、日本に限れば、「金がないー!」と叫びながらも、助け合いながらどうにかこうにか皆生きていると思っていました。

 

私には見えていないだけで、こんな風に追いつめられている人がいるのかもしれないと気付きました。

 

誰も悪くないのに、どうしてこんな結末になるんだろう。

 

「そうだ!困ったら、助けて!って、助けてくれる人に出会うまで言い続ければいいんだ」と気付いた高校生の頃の私。

 

この時得た知恵は、ずっと私を助けてくれています。

 

今、児童支援の仕事をしている私の出発点になった作品です。

 

 

 

大阪で一番大きい本屋さんで見掛けて、表紙にひとめぼれし、そのままレジに持って行った「人魚の眠る家」。

 

就寝前に読み出したら、ラストが気になって、泣きながら徹夜して読む羽目になりました。

 

ティッシュひと箱を使い切り、目が腫れたまま翌朝出勤しました。

 

子どものいる母親が読むと、感情移入しすぎてヤバい作品かもしれません。

 

当時中学生にあがった息子たちも、今作中のような危機一髪が何度もあったので、母親の気持ちも、祖母の想いも、両方身に染みました。

 

「自分に脳死判定が出たら、移植可能なすべての臓器を摘出してね」と身内に伝えている、超合理的な私の価値観を根底からゆさぶった作品です。

 

 

 

そして、最も好きな作品は、「容疑者Xの献身」です。

 

ガリレオは、本も映画も同じくらい好き!と思える稀有なシリーズ。

 

今作は、先に映画を観て、それから本を読みました。

 

映画のラストで石神の絶望にめちゃ泣きしましたが、本の時は、石神の人生を想い切なくなりました。

 

とにかく、トリックが秀逸すぎます。

 

世界が反転する瞬間が、ミステリーの最大の醍醐味なんですよね。

 

松雪泰子さんの破壊力と説得力に、観るたびにやられます!

 

 

 

人間の本性、業を、エンタメ作品に仕立てて、私たちに見せてくれてありがとうございました。

 

あっという間に物語の世界に引き込むイントロの素晴らしさは、職人芸です。

 

あなたは、現代随一のストーリーテラーでした。

 

同じ時代に生きることができて、幸せです。

 

心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

双子の息子たちが無事生まれて来てくれた時、人生で一番幸福を感じました。

 

小さい頃からの夢「やさしいママになる」が叶った瞬間だったからです。

 

けれど、そこで「めでたし めでたし」にはならず、ここからが始まりでした。

 

したいことが全くできず、赤ちゃんのお世話だけをする日々…長年の夢が叶ったにもかかわらず、毎日受刑者のような気分でした。

 

月めくりのカレンダーの日付に毎日ペケ印を付け、1歳の誕生日まで日々精進と自分を励ましながら。

 

 

 

夫は仕事人間で話し合っても無駄なので、両親や弟たち、保育園やファミサポなどをフル活用して、乳幼児期を乗り切りました。

 

この期間、息子たちは何が危険かも分かっていない上に、身体と頭の連携も不十分で、少しも目が離せず、ワンオペ育児は、2度としたくないくらいものすごくキツかったです。

 

好きに生きている今から見れば、母子一体で過ごしたこの期間は、宝物のような時間だと分かるのですが。

 

 

 

小学生になったタイミングで、子ども部屋をしつらえました。

 

10畳の部屋に、勉強机2個、本棚ふたつ、大きなダブルベッドをひとつ置きました。

 

このベッドで、小学校6年間、毎日3人で寝ていました。

 

この頃の1番の思い出は、就寝前、子ども部屋のベッドの上で、毎日3人で人生ゲームをしていたことです。

 

ルーレットが壊れて、2回買い替えるほど、3人共人生ゲームにハマっていました。

 

上の子はトランプ大統領のように1番じゃないとむくれ、下の子は、のんびり道中を楽しんでいました。

 

ゲーム終了後は、「楽しかったね」と言って、片付け、同じベッドで眠りました、今でもよい思い出です。

 

 

 

中学3年の受験生になった頃、子ども部屋を5畳2間に分割しました。

 

ついでに、壁紙を張替え、クーラーも1台増やしました。

 

家具もカーテンもベッドも、大人仕様のモノに入れ替えました。

 

子ども部屋の居心地が良くなったせいか、受験勉強のためか、この頃から、食事の時くらいしか1階に降りてこなくなりました。

 

思春期真っ盛りで、「塾行きたい」「学校で面談がある」等、用事がある時しか話しかけてこなくなりました。

 

 

 

高校生になり、スマホを使い始めると、手からスマホが生えているのか?というくらい、食事の時も、入浴中も、トイレにまで、スマホを持って行きます。

 

会話は少なくなり、「明日、弁当要らない」など、lineで情報伝達することが増えました。

 

たまーに友達を家に連れてくると、家にいる時と違うよそいきの息子たちの様子が興味深かったです。

 

 

 

息子たちが高2の時に、私の決断で、財産分与・養育費・高校と大学の学費・年金分割に関する公正証書付きで、夫と協議離婚しました。

 

主寝室を上の子、子ども部屋2部屋を下の子(勉強部屋と寝室に使い分けていました☆)、1階の客間を私が使用することにしました。

同じくらいの広さの部屋で、つかず離れずの距離感を保って、仲良く母子で暮らし始めました。

 

 

 

息子たちが大学入学する時、彼らの4年後の自立を見据え、自宅をシェアハウスとして運用することを決断しました。

 

養育費の中から彼らに生活費として各々7万ずつ渡し、衣食と小遣いをそこから賄うよう伝えました。

 

バイトはオッケー、料理は各自、掃除と洗濯、庭の水やり、ゴミ出し等は平等に分担すること、共用部を使った際は元の状態に戻すこと、帰宅が午前零時を超える時は事前にlineすることを、家族で約束しました。

 

最初の頃、「どーせ母さんがしてくれるだろう」という甘えから、上の子がルールを守らず、よくケンカしました。

 

「家事分担できないなら、生活費は7万のまま、うちを出て別のところでひとり暮らしして」と伝えると、すぐに行動を改めました。

 

大学時代、我が家をシェアハウスとして運用したので、息子たちはひと通り、家事を身に付けることができました。

 

 

 

一戸建てで、授業やバイトがないと、ずっと家にいてゲームやPCをいじっている大学生2人を飼っていると、マジで光熱費がすごいことになります。

 

夏と冬は、検針票を見るのが怖かったです。

 

最高値は、8月分で、電気・ガス・水道合わせて月6万円弱になりましたよ(泣)。

 

卒業と同時に家族解散したのは、光熱費に耐えかねたのが、最大の動機です、自腹じゃないと特に上の子が無駄遣いしよるので。

 

 

 

現在、上の子は京都、下の子は大阪に、ひとり暮らししています。

 

上の子は、大学近くで、広くて安くて便利な部屋を見つけ、前にも増して悠々自適で暮らしています。

 

下の子は、会社の借上寮に入居し、狭さに閉口しています。

 

上の子の半分の広さの上に、蔵書が多く、大きめのPCデスクとチェアがかさばっています。

 

寮に住み始めて約1ケ月半、段ボールがすべて開いてない時点でコラコラと思います。

 

 

 

こんなふうに、生活拠点に焦点を当てて観察すると、誕生から独立まで、彼らの成長を辿れます。

 

今、私の手帳に挟んでいる彼らの写真は、3歳の2人です。

 

何度見ても、かわいい(親バカ)。

 

息子たちがこれからどんな人生を選択していくのか、黙って楽しく見守っていきます。

小さい頃から、自我が強い子でした。

 

親や先生の言うことはきくけれど、心底嫌なことは絶対にしませんでした。

 

窮屈な世界で、子どもなりに必死に生きていたと思います。

 

 

 

最初のターニングポイントは、大学2年の春休み、アメリカ・アリゾナ州でホームステイをした時です。

 

ベッドの上に土足のまま寝転がり、助手席側のドアがない車に乗り(シートベルト必須)、ホストファーザーの書斎にはライフルとピストルがあり、全く日本語が通じない生活が始まりました。

 

当たり前が全く異なる世界が、同じ地球上に存在することを体感しました。

 

帰国後は、日本語が通じる快適さ、安全性と同時に、同調圧力などの日本独特のしんどさに気付くようになりました。

 

 

 

最大のターニングポイントは、息子たちを育てた全ての時間です。

 

不妊治療2年、妊娠中2回の切迫早産・2か月の入院期間を経ての、帝王切開による双子の出産。

 

今生最も望んでいた「やさしいママになること」が達成できたかは微妙ですが、自分の精一杯は出し切ったと思っています。

 

上の子には「もう少し普通の母親が良かった」と言われ、下の子からは「母さんのことは母親というカテゴリーでは見ていない」と謎の言葉を賜っています。

 

子育てに関して後悔していることは山程ありますが、やり直したいかと問われれば、今の彼らを好きなので、NOと答えます。

 

 

 

最後に、最も印象深いターニングポイントは、息子たちが中学生の頃に参加したライフワーク合宿です。

 

開催場所は信州で、半年の期間中に、2泊3日が2回、3泊4日が1回の合計3回の合宿がありました。

 

合宿費用、宿泊費、交通費をあわせると結構な金額で、遠方で泊まり込みの合宿が3回とかなりハードルは高い内容でした。

 

それでも、子どもたちが親離れし、思春期に入ったタイミングで、自分自身としっかりと向き合いたいと考え、参加しました。

 

参加者は50人ほどで、宿泊する部屋は男女別の相部屋です。

 

年齢も居住地も職業もバラバラなメンバーが、グループワーク等を通して各々の内面と深く向き合う中で、「人生いろいろ」だとホントに実感しました。

 

ラスト3回目の合宿の2日目、私は、生まれて初めて心因性の体調不良になりました。

 

カリキュラム中、研修室で座ることができず、別室の10畳ほどの居心地のよいサロンでブランケットにくるまり、カウチに横になって、窓外の秋の信州の風景を眺めて過しました。

 

「高い受講料払っているのに丸1日寝込むなんて」と悔しい思いを抱え、「明日、車でひとりで大阪まで運転できるかなー」と不安を覚えながら、ずっとハラハラ流れる温かい涙をぬぐっていました。

 

夕方、ようやく動けるようになり、研修室を覗くと、講座終わりの講師の方が「大丈夫ですか」と訊きに来てくれました。

 

「1日泣いていたら、スッキリしました」と応えると、彼は優しく微笑みながら、「あなたは、少し体調悪いくらいがちょうどいいのかもしれませんね」と言いました。

 

いつもの私なら、講師の言葉を即座に否定するモードになっていたでしょう。

 

でも、受けたかった研修を欠席し、1日寝込んだにもかかわらず、今を心地いいと思っている私は、その言葉を素直に受け取ることができました。

 

「体調が悪い」・「予定をキャンセルする」=悪という等式が、「しんどい時は身体を労わる」・「無理しない」=善に書き換わった瞬間でした。

 

今までは、若さのパワーで頑張って何とかしてきたことも、中年になって、心も身体もその生き方がしんどくなってきているのだとストンと受け入れることができました。

 

知らぬ間に背負っていた荷物をドサドサ降ろして、ふわっと心が軽くなりました。

 

翌日3日目は元気にがっちり研修を受け、皆にお別れを告げて、ひとりで快調に運転して帰阪しました。

 

帰宅後も、思春期の息子たちと何回か大喧嘩しましたが、怒鳴り合いはなくなりました。

 

それだけでも、大進歩です♪

 

 

 

人生は意外に長く、様々な出来事が起こります。

 

ピンと来た時、心を鷲掴みにされた時、サインを感じた時。

 

フットワーク軽く、色々なことや人と繋がっていって下さい。

 

チャンスの神様には後ろ髪はないらしいので、通り過ぎた後では、捕まえられません。

 

不思議の国のアリスのように、ためらわず木のほらに飛び込んでみて。

 

世界の見え方がガラリと変わるかもしれませんよ♪

 

小さい頃から、思っていることを割と口にする子でした。

 

小学校の通信簿の備考欄には、6年間、「授業中のおしゃべりはやめましょうね」と書かれました。

 

 

 

中学・高校では、大人に一歩近づき、「合わない人を視界から消す」という特技を新たに身に付け、ひとり静かに読書と勉

強に励みました。

 

この頃、図書室で偶然出合ったのが、「六法全書」。

 

日本国憲法は社会で学んだものの、他の法律は存在自体知りませんでした。

 

目を通してみると、民法と刑法は、中学生の私にも必要な知識だと思いました。

 

人を殴る、人の名誉を棄損する、他人のモノを壊すなどは、犯罪行為なのです。

 

そして、未成年の私が犯罪行為に巻き込まれた場合は、親を連れて警察に行けばいいことも知りました。

 

「何か犯罪の可能性のある事件に巻き込まれた場合、私は母を伴って、教育委員会と警察に行きます」と、担任に話すと、格段に学校の居心地が良くなりました。

 

イヤな目に遭った時、アホな当事者でなく、状況判断ができる責任者に相談するのがベストです。

 

自分の環境を変える意図を持って、人と交渉した最初の経験でした。

 

 

 

先日、上の子と3ケ月ぶりに会いました。

 

夕方、初めて彼の部屋を訪れ、1時間ほど近況を聴きました。

 

5年目の大学生活、きちんとやるべきことに取り組み、しっかり生活しているようです。

 

唯一のバイトがパチンコ屋さんで、そこで見聞きしたあれこれをおもしろおかしく話してくれます。

 

コイツ、ホンマに、父や弟たちを彷彿とさせるなー。

 

大阪にカジノができるの反対と改めて思いました。

 

 

 

その後、「牛角で焼肉食いたい!」と上の子が宣うので、近所の牛角に行きました。

 

私は、初牛角です。

 

2人とも空腹だったので、食べ放題と生ビール1杯ずつをオーダーしました。

 

肉もビールもデザートも、全ておいしかったですー。

 

 

 

ビールが進み、お腹も少し落ち着いたので、「んで、今、何か困っていることはないの?」と訊けば、「ちょっと気が重いこ

とがある」と、彼が言い出しました。

 

どうやら、元夫に、「今年、下の子と一緒に、自宅に来て、奥さんに会って欲しい」と言われたそうです。

 

離婚後、元夫から、この3月まで、養育費、学費のサポートがあったことは伝えています。

 

上の子に関しては、留年した5年目の学費も出してもらっています。

 

これまでも、年に一度、元夫と外食していましたが、今回、自宅で再婚相手の手料理でもてなしというのが、気が重いみたいです。

 

 

 

私は、いくつかアドバイスしました。

 

元夫からのサポートへの恩があっても、元夫からの要望をそのまま受け入れなくてもいいこと。

 

自分たちがしんどくなくて、元夫たちが納得するような、代替案を考えてみること。

 

あなたは、「再婚相手の手料理を食べるの気が重い、自宅は長居になりそうだからイヤ」なんでしょ。

 

だったら、例えば、今回は初対面なので、レストランの個室で食事とかの方がいいとか、要望出してみたら?

 

一度は、きちんと会って、挨拶した方がいいとは思ってたと付け加えると効果的かも。

 

面倒だからそのまま元夫の要望をそのまま受けるのもよし、代替案を伝えるのもよし。

 

来年から社会人だし、この状況は、いい練習問題にもなるんじゃないかな。

 

 

 

世の中、何でも自分の思い通りにはなりません。

 

常に、交渉するか、我慢するかの選択が迫られます。

 

どっちもエネルギーを使うけれど、どうせ使うなら、自分を幸せにする方向に使いませんか?

 

それは、「わがまま」とはいいません。

 

自分の気持ちに素直に生きていると、人にも優しくなれます。

 

人生を楽しむ方向に、舵を切って欲しいなと思います。

 

 

翌朝は、朝5時頃にぱっちり目が覚めました。

 

大浴場は、5時スタートなので、必要なモノを掴んで、大浴場にGO。

 

ポツポツ降る雨の中で入る露天風呂も、サイコーです、森の緑が雨で一層濃くなり、森林浴を満喫しました。

 

3つの内風呂のうち、最も湯温が低い湯船に30分ほど浸かり、身体の芯まで温めました。

 

温泉宿に泊まると、ずっとお風呂に入っていたいと思っちゃいます。

 

 

 

その後は、お待ちかねの朝食を、夕食と同じ1階のレストランにて♪

 

個室の窓からは、小雨にけぶる景色が見えます。

 

朝食は、炊き立てのご飯、高級納豆(豆の味だけがしました)、焼き物、卵焼き、お豆腐、煮物、お漬物、ヨーグルトがワンプレートに載ってきました。

 

お味噌汁は、ひとり鍋で給仕され、自分でお椀に移して熱々を頂きます。

 

「世界中の人が、人生に一度、こんな食事を食べれたらいいなあ」となぜか唐突に思いました。

 

それぐらい、静かに美しく、滋味豊かな膳でした。

 

 

 

食後は、部屋に戻り、荷造りして、フロントでチェックアウトします。

 

その後、暖炉ラウンジへ行き、コーヒーを飲みながら、窓際のカウチで1冊の本を読みました。

 

「あーもー、このままここに住みたいー、草津2泊にしてもよかったかも」と後悔。

 

 

 

チェックアウトタイムの11時に、暖炉ラウンジを出て、下界に行けるエレベーター乗り場に向かいます。

 

界とエレベーター乗り場を結ぶ森の小道は、木々の間をくねくねカーブしていて、まるでムーミンの世界に入り込んだ気分になりました。

 

エレベーターを降りて、近代的なトンネルを抜けると、ザ・日本の温泉の風景が広がります。

 

草津バスターミナルに向かう途中にあるショップで、記念に緑のピアスをひとつ買いました。

 

 

 

草津バスターミナルから高速バスに乗り込み、伊香保温泉へ向かいます。

 

乗車時間は約2時間。

 

後席が赤ちゃん連れの外国人カップルで、赤ちゃんが断続的にずっと泣いていて、久々の赤ちゃんの泣き声がチョイつらかったです。

 

思わず、「おしめ濡れてない?お腹減ってない?」と訊こうかと思いました。

 

伊香保温泉の停留所で下車したのは私ひとりで、ほぼ満員の乗客の皆さんは東京までのあと2時間、赤ちゃんの泣き声に耐えることになります。

 

体調悪いのでなければいいけれどと思いながら赤ちゃんを見ると、ぱっちりお目めのヒスパニック系のお顔。

 

目に力があったので、疲れているだけかなと安心しながら降りました。

 

 

 

停留所から歩いて10分弱で、今夜のお宿、徳田屋旅館に到着です。

 

おそらく築50年以上の和風旅館で、1泊2食付き8千円、口コミがよかったのでここにしました。

 

父方のばあちゃんちを思い出す、昭和感満載の家具・家電、おかみさん。

 

おかみさんに荷物預けると、廊下にそのまま放置しようとするので、「事務所に置いて下さい、なくなると困るので」とお

願いしても、「えー、そんな悪い人おらんよ、大丈夫大丈夫」と聞く耳を持たない。

 

重ねてお願いして、「分かりました。事務所に置いておきます」と納得して下さり、ホッとしました。

 

おかみさん、ちょっと耳が遠く、動きがかくかくしていてユニーク、いい人なんだろうなと感じます。

 

久しぶりに、亡くなった祖母を思い出し、少ししんみりしました。

 

 

 

伊香保温泉は石段で有名です。

 

停留所前には、「IKAHO」の大きな黄色いオブジェもあります(誰のアイディアなんだろう)。

 

まずは360段の石段!と思い、こんにゃく棒と名物の湯の花饅頭をお昼代わりに食べながら、登りました。

 

一番上に鎮座する伊香保神社は、こじんまりしていて、居心地も見晴らしもよかったです。

 

もうすっかり、クマに遭遇するかもという危機感を失って、奥の源泉までひとりでてくてく歩きました。

 

すぐそばにある男女混浴の露天風呂は、勇気が出ず、遠慮しました(こういう時、男っていいなーと思います)。

 

6月の今時期、新緑をバックに、可憐な小花やアジサイが咲いていて目の保養になりました。

 

数匹の猫ちゃんにも遭遇しました、かわいかったです。

 

 

 

夕方、旅館にチェックイン。

 

お部屋は10畳の和室で、自分の部屋かというくらいリラックスできます。

 

部屋の奥の大きな窓のレースカーテンが何か不自然で見に行くと、真ん中を洗濯ばさみで開かないように留めています。

 

カーテンのサイズを間違えたんだろうなと納得して、爆笑してしまいました。

 

私は、完璧なモノよりも、ツッコミどころがあるモノに惹かれるのかもしれない。

 

室内の案内も全て味のある手書きで、部屋のドアには、名前が手書きされたメモ用紙がテープで貼ってありました、どの部屋が自分の部屋か非常に分かりやすかったです。

 

 

 

夕食は、てんぷら、ぶりの照り焼き、豚の角煮、かきたま汁と、味付け濃いめでおなかいっぱいになりました。

 

ご飯がおいしく、2回おかわりしました♪

 

朝食は、納豆、卵焼き、焼き魚、のり、豆腐、野菜の煮物、みそ汁で、毎日こんな朝食を食べれたら幸せだろうなあ。

 

 

 

風呂は3人入浴したらいっぱいになる岩風呂に、シャワー3か所のコンパクトな造りで、露天風呂はなし、24時間入浴可です。

 

女性客はふたりだったので、夜・朝の入浴時は、どちらも貸切状態でした。

 

泉質がよく、温泉に入っていることを実感できます。

 

脱衣所に置いてあるタオルが、景品でもらう白いペラペラのフェイスタオルで、かごからこぼれ落ちそうなくらい山盛り置いてくれていました(笑)。

 

 

 

翌日は、宿でまったりして、11時半に伊香保温泉を出発、高速バスにて2時間で新宿に到着。

 

今年亡くなった友人が出展している美術展を観て、夕方帰阪しました。

 

高崎ー草津、草津ー伊香保、伊香保ー新宿はいずれもバスで2時間ほどで、初めての群馬旅行にしては、ルート取りがうまくできたと思います。

 

伊香保温泉はコンパクトで、1泊でも堪能できました。

 

草津温泉はもう一度、次は尾瀬とセットで4泊5日、レンタカーで行ってみたいなと思いました。

 

その時、尾瀬の山小屋2泊、草津界1泊、なぜか徳田屋旅館1泊しそうな気がします。

 

熱帯動物園とおかみさん、ラブです♡

 

 

 

始まりは、昨年の秋、大台ケ原にひとりで登山に行った時。

 

ビジターセンターで地図をもらう時、「クマの目撃情報があるので、単独行動はできるだけ避けてね」とスタッフに言われたこと。

 

なので、林道を歩く時だけ、同じ方向に行く登山グループに声を掛け、目的地付近まで同行させてもらいました。

 

最後に駐車場までご一緒したグループは、群馬からマイクロバスで来たというシニア登山サークルの皆さん。

 

総勢20人くらいで、皆さん明るく、よく話します。

 

群馬に行ったことがないという私に、「まずは日本一の名湯、草津温泉を体験して欲しいね」とリーダーの男性が勧めてくれました。

 

 

 

それまでは、群馬県は、「おそらく一生足を踏み入れないだろう県ベスト10」に入っていました。

 

けれど、明確な目的地ができると、調べたくなるのは旅好きな人間の性。

 

図書館で群馬県のガイドブックを借り、読み出しました。

 

群馬県、「県内ほとんど山じゃね?」レベルの自然の宝庫です。

 

男性リーダーイチオシの草津温泉と、「夏が過ぎれば思い出す~」の尾瀬にめちゃめちゃ惹かれました。

 

しかし、草津温泉から尾瀬は、地図では近くに見えても、きっと実際はかなりの距離があります。

 

群馬県は公共交通機関は不便そうだし、山道をひとりで長距離運転するのは無理があります(岐阜の山道ドライブで少し懲りた)。

 

よし、今回は、草津温泉を目的地に旅をしよう!と決めました。

 

 

 

草津温泉の宿を検索すると、星のやグループの「界 草津」が6月にオープンするとのこと。

 

星のや未経験の私、これも天の巡り合わせだわと、6月草津旅行の宿泊予約(夕食・朝食付き)をしました。

 

普段の宿泊代の6倍以上の金額ですが、「たまにはマダムになって旅してみよう♪」という気分になりました。

 

 

 

6月深夜、大阪から夜行バスで群馬・高崎へ。

 

旅の初めは、興奮しているので、寝不足でも元気です。

 

JR高崎駅到着後、まず洗顔・化粧し、駅前のチョコザップに寄ってマッサージチェアを30分♪

 

その後、JR高崎駅東口バスロータリー10時発の草津温泉行の大型バスに乗り込みました。

 

 

 

約2時間後、草津温泉のバスターミナルに無事に到着しました。

 

ビックリしたのが、移動時間中、シートで充電できたこと、Wi-Fi使用可だったこと。

 

大型バスのデフォルトになっているんですね、ありがたい。

 

そこからテクテク、草津温泉の中心地 湯畑まで歩きました。

 

ガイドブックに載っていた通りの風景、緑色に見えるお湯に息を呑みます。

 

プラス、硫黄のにおいがプンプンしていて、温泉にやってきたことを実感しました。

 

深呼吸ー!

 

 

 

さて、ご当地の神様への挨拶ですが、今回は、お寺でも神社でもなく、教会にお参りすることにしました。

 

途中足湯に浸かったりしながら、草津聖バルナバ教会へ。

 

周囲は花が咲き乱れ、クロネコも現れ、「群馬ですかここ?」てなくらい別世界。

 

教会はこじんまりしていて、優しい雰囲気。

 

玄関から静かに入り、礼拝堂の扉を開きました。

 

「こんにちはー」と大きな声で挨拶しましたが、反応はなし。

 

目の前には、イエス様がおられます。

 

私は、座して、1時間ほど物思いにふけりました。

 

途中、牧師様が横手のドアから入ってこられ、ご挨拶しました。

 

牧師様は祭壇に電気を付け、「ごゆっくり」とおっしゃって外出されました。

 

心ゆくまで、静かな時間を過ごすことができました。

 

 

 

そこから、草津温泉おススメ情報の中で最も私の心をつかんだ草津熱帯園へ。

 

もうね、昭和感満載な施設で、入り口からして小学生時代にタイムトリップした気分になります。

 

ドームの中には、熱帯地方の動植物がドドーンと展示されています。

 

動物と日常的に触れ合うことがなくなって約30年。

 

ここは、動物に触れるだけでなく、動物たちからひっついてきてくれます。

 

ホントにかわいくて温かくて、離れがたくなり、時間が溶けました。

 

自分の体温より高い温かさ、乳幼児期の息子たちとの触れ合い以来の癒しです。

 

エサやりも可能で、動物たちがめちゃめちゃガツガツ来るので、入園料くらいの追加料金を払って餌を買って与えました。

 

小銭なくなっても、PAYPAY払いができるんです…。

 

昭和感満載のドームの維持管理費の一部になればと思っています。

 

*職員さんによると、十分なエサは与えてます、ただ大きな個体ほど食い地がはってますとのこと。よかったです。

 

 

 

湯畑に戻って、熱の湯で湯もみショーを見学し(これはこれで面白かった!)、そこからお待ちかねの今夜のお宿、「星のや 界」へ。

 

グーグルマップで徒歩14分だったので、歩いていくことにします。

 

かなりな高低差と、後半人通りのない森の中を歩くこととなり、「ちょっと暗くなってきたし、界がなかったらどうしよう」と思い始めると、ドーンと建物が現われました。

 

シックな色遣いのシンプルな建物と山と森がよいコントラストになっています。

 

玄関に向かうプロムナードでスタッフの方に声を掛けられ、めちゃ身なりを整えているところだったので恥ずかしくなりました(>_<)

 

彼の案内でフロントに行き、「チェックイン手続きはお部屋で」と流れるように4階のお部屋に案内されました。

 

せっかく星のや界に泊まるのだから、「夜は界満喫するぞー!」と夕食の予約は17時半にしていました。

 

部屋への到着は17時で、余裕ーと思っていたら、スタッフの彼が消防士→ホテルマンという面白いキャリアの持ち主と判明。

 

気付いたら17時半近くまで雑談していて、館内のことも室内のことも、備え付けの案内を読むことになってしまいました(笑)。

 

必要書類にサインし、朝食時間は7時半に予約し、彼曰く最速でチェックイン完了しました。

 

私は腹ペコだったので、速歩きで1階のレストランに向かいました。

 

 

 

夕食は上州豊伝会席コースで、個室にて給仕されます。

 

炭水化物が、ご飯ではなく、群馬名物のうどんだったことに驚き。

 

うどんは、讃岐に行った時に食べて以来数年ぶりで、群馬のうどんも歯ごたえがあり美味でした。

 

そして、特筆すべきは、デザートの真っ白な繭玉ムース!

 

素晴らしい美しさ、おいしさで、3口で食べ終わってしまいました。

 

後10個はイケると思いましたが、さすがに追加オーダーはできなかったです…。

 

 

 

一度部屋に戻り、室内探険後、ベッドでごろごろして、界の施設の中で一番気になる暖炉ラウンジへ。

 

ここでは、コーヒーや紅茶など各種ドリンク、アイスキャンデーが無料で頂けます。

 

イチオシは、そこここにある本棚に配架されている絵本や本たち。

 

おしゃれで思わず手に取った絵本や、読み始めたら続きが気になり翌朝もラウンジに私を呼び寄せた本に出合いました。

 

いくつかある本棚を画像に納め、帰宅後、大型書店に気になった本たちを探しに行きます。

 

 

 

21時から、ご当地楽という建物で、伝統的な技法「シルクを紡ぐ上州座繰り」を体験しました。

 

さすが世界遺産に認定された富岡製糸場を抱える群馬県です。

 

生まれて初めての糸紡ぎ体験は大変難しく、もう無理と思いましたが、2度目、3度目の方々は上手だったので、時間が許せば明朝も挑戦してみようかと思いました。

 

 

 

そして、いよいよお待ちかねの大浴場です。

 

界の浴場は、とてもシンプルで、露天風呂は1か所でした。

 

客室数からするとコンパクトすぎるのではと感じましたが、草津温泉には昔ながらの公衆浴場がいくつもあるので、大丈夫なのかしら。

 

バスタオルやタオルがふんだんに脱衣所に用意されており、必要なアメニティもクレンジングから乳液まで備え付け、さすが高級ホテルです。

 

お風呂でホカホカになって、お部屋についてそのままぐっすり眠りにつきました。

 

ベッドの寝心地と前面大窓からの景色、サイコーです。

 

一瞬で夢の中にダイブして、1日目が終わりました。

 

小さい頃から、自分の意思を言葉で表明する子どもでした。

 

したいこととしたくないこと、好きなことと嫌いなこと、欲しいものと欲しくないものがハッキリしていました。

 

周りの大人があまり賢くないと気付いたのは中学生の頃で、特に両親は他山の石として活用してきました。

 

学生時代の趣味は読書で、「どうやったら幸せな人生を送れるのか」をよく考えていました。

 

就職や結婚で選択を迫られた時、決断までに時間をかける分、その後は最短距離でゆるぎなく進んできました。

 

今まで生きてきた中で最も悩んだのは、ちょうど50歳で、離婚すると決めた時でした。

 

 

 

中学生の頃から、毎日大学ノートに日記を書いてきました。

 

書くことで、自分の想いを吐き出し、考えを整理し、進む道を決めるのが、私のやり方でした。

 

けれど、この頃は、心の中がモヤモヤしていて、目の前のことに集中できないことが多かったです。

 

そんな中、庭の剪定をしている時に、右の手のひらを剪定ばさみでざっくりと切ってしまいました。

 

縫うほどではなかったのですが、血が止まらないし、家事もできなくなるし、何より自分自身に深い傷を負わせてしまったことにショックを受けました。

 

これは、うっかりではなく、こうなってもいいという自傷行為じゃないだろうか。

 

潜在意識が、限界だと訴えているんだと感じました。

 

 

 

この時、日記に書いても出口は見えないと思い、プロに話を聴いてもらおうと考えました。

 

それも、リーズナブルに。

 

ネットで「相談 大阪 無料 女性」で検索すると、無料相談窓口の案内が出ました。

 

顔を見て話すのが好きなので、対面無料相談を選択し、アクセスがしやすいところをすぐに予約しました。

 

 

 

予約時間少し前に当該窓口に行き、来意を告げると、相談室に通されました。

 

しばらくすると、年配の女性が入室し、1時間の約束で、会話がスタート。

 

彼女は、時々質問を挟みながら、私の話に耳を傾けてくれました。

 

現在の暮らしは何不自由ないにも関わらず、満たされない想いがあることを話すうちに、段々「現状が安泰なんだから我慢しろ」と頭が心を説得しているみたいになっていきます。

 

相談時間は1時間の予定でしたが、相談員さんが「最後の回だから、閉館まで話しますか。まだ納得できていないでしょう」と言って下さり、結局、閉館ギリギリまでの1時間45分、向き合って下さいました。

 

そのおかげで、「そうか、私は、世間的によいとされている今の状況が息苦しんだな、けれど、それを手離すことが不幸に

なるみたいで怖いんだな」と気付くことができました。

 

帰り道、目に沁みるくらい美しかった夕暮れを、今も鮮明に覚えています。

 

 

 

帰宅後、早速、離婚する手順をネット検索しました。

 

一番参考になったのは、離婚コンサルタントのHP。

 

「離婚するかどうか迷ったらやってみて!見極め2択テスト」が掲載されており、取り組んでみました。

 

2択のどちらでもなかったのですが、「離婚しよ!」となぜか踏ん切りがつきました。

 

それからは、まるでトンネルを抜けたように視界良好、サクサクと必要なことをリストアップして処理していきました。

 

 

 

私が離婚を申し出て、ただひとりショックを受けたのが上の子でした。

 

「そうか、俺の両親が離婚するのか…普通ではなくなるのか…」とつぶやいたので、「私のわがままでごめんね、でも、私

も父さんも親であることは変わりないよ」と伝えました。

 

下の子は「了解」のひと言、下の弟は「ようやくかー、意外に時間かかったなあ、まあ、姉ちゃん、生きやすくなるんちゃう」と喜んでくれました。

 

元夫は、「もう好きじゃない」の私のひと言で離婚を即OKしてくれ、粛々と条件面で話し合い、約2か月で協議離婚が成立しました。

 

弁護士費用は、公正証書作成費の8万円のみ。

 

公正証書の記載内容は、息子たちの大学卒業まで学費と養育費を元夫が負担すること、婚姻期間24年の間に成した財産の分与と厚生年金の分割です。

 

元夫曰く、「身ぐるみはがされた」そうです。

 

私サイドも言いたいことは山のようにありますがひと言も文句を言わずに、希望通りの条件で円満・短期で離婚届け提出まで到達しました。

 

 

 

意外に、自分の本心って、分からない時があるという初めての体験でした。

 

書くのもいいけど、人に話を聴いてもらうのは、より自分を客観視でき、嘘を見抜けるのだと気付きました。

 

心がモヤモヤする時、信頼できる人にじっくり話を聴いてもらうのは、効きます。

 

聴き手が信頼できる赤の他人だと、「どう思われるか」を考えず、正直に話せる面があるかもしれません。

 

心のモヤモヤが解消する瞬間って、長ーい便秘を解消したくらいの爽快感でした(*^^*)

 

私がソウルメイトと感じる人は、4人です。

 

その中で血が繋がっていない人はひとりだけ、人生でおそらく唯一のメンターだろう人。

 

彼に出会って、世界の見え方とかかわり方が変わりました。

 

心の底から出会えたことに感謝しています。

 

 

 

彼とは、子育てのために受講したコーチング半年講座で知り合いました。

 

クラスメイトは30人くらい、月に2回、3時間の授業を半年間受講します。

 

彼は、毎回後方の席に座り、ほとんど発言することはなく、まるでお地蔵様のように静かに存在していました(見た目も似てます)。

 

けれど、私は、「この人、コーチングなんて学ぶ必要なくない?すごく場違いだな」と、気になっていました。

 

2回目の授業の帰り際、講座受講の動機を何気なく尋ねたのがファーストコンタクト。

 

彼の答えは「講師のあり方に興味があって」でした。

 

「講師のあり方」?

 

そんな動機で講座を受講する人がいるのかと、とても驚き、同時にめちゃめちゃ彼に関心が湧きました。

 

想定外の人やモノや場所に出あうと、ワクワクします。

 

今まで出会った人の中で、私の好奇心を最も鷲掴みにした人です。

 

彼の個人情報はほとんど知りません、そんな人と友達になったのも生まれて初めてでした。

 

彼のあり方に、強烈に惹かれました。

 

 

 

約2年間、月に1回、スタバやホテルのラウンジで、コーヒーなどを飲みながら数時間会話する、ということが続きました。

 

おそらく、彼は、変化したいと心から願っている私をサポートしてくれていたのでしょう。

 

私の思いつくままの話をとても真摯に聴いてくれて、フィードバックをくれました。

 

こんなにきちんと話を聴いてもらったのは、初めてでした。

 

彼がどんな本を読むのか関心があって、毎回数冊の本を勧めてもらいました、初見の作家ばかりでした。

 

育児の合間をぬってむさぼるようにそれらを読み、その度に世界は広がりました。

 

彼とお茶すると、その後1週間くらい睡眠時間がいつもより長くなります。

 

彼から受け取った何かを、1週間かけて自分なりに消化しているのかなと感じていました。

 

段々、心身が軽くなるのが不思議でした。

 

 

 

この時の私は、芋虫から蝶に生まれ変わるさなぎの時期だったと思います。

 

マイペース、思い通りにならないと感情を爆発させるような未熟な私が、これから幼児2人をほぼワンオペで育てていかなければならない。

 

子どもに与える母親の影響力は、絶大です(これ、今生ホントにしみじみ思い知り、今後何度生まれ変わっても、母親にはならない決心を固めました)。

 

全ての過去を一回ドロドロに溶かして、自分を再構築する時期だったのです、まさしく。

 

それを見抜いていたから、彼は力を貸してくれたのかなと思っています。

 

 

 

ちょうど、2年たった頃、彼が関東に転居し、2人のお茶会は終了しました。

 

それ以来、18年間、会いませんでした。

 

今春、息子たちの自立と自宅売却、初めてのひとり暮らしで、大きくライフステージが変わる予感に浮かれて、2月に久しぶりに彼にメールを送りました。

 

「今年の4月、息子たちが独立し、大きく生き方が変わるタイミングが来ています。春以降、会って話がしたいです。時間取ってもらえるなら、北極と南極以外の世界中どこにでも行きます。検討してもらえたら嬉しいです」

 

彼からは、2日後、「いいよ、その覚悟があるなら、4月に会おうか。4月にもう一度、リマインドメールくれる?その時に場所と日時決めよう。ちなみに今は日本にいます」と返信がありました。

 

「よかった、生きてた。メアドも変わってなかった。国内にいた」とホッとしました。

 

そして、温かい返事をもらったことで、私は、満たされました。

 

 

 

その後、怒涛の引越し、各種手続きにてんてこ舞いしながら、私の心は穏やかに凪いでいました。

 

そして、ふと、このタイミングで会う必要はなくなったかもと感じました。

 

「返信を貰ってから、私の中でずっとアップデートが続いています。今回は会わなくても大丈夫みたい。また会いたくなったら、メールします。繋がりに感謝」とメールしました。

 

返事はなかったです。

 

でも、それがいいなと感じます。

 

 

 

こういう形の繋がり方もあるんだと、いつも気付きをもらいます。

 

ゆるやかに、互いに心地のいい繋がりを、周囲の人たちとも広げていけたらいいな。

 

未来が明るくなるように祈っています♪