小学生時代の一番壮絶な記憶は、歯の治療に関するものです。
1970年代、フロスはなく、歯は、歯ブラシのみで磨くものでした。
当時、学校でも家でもきちんとした歯の磨き方を教えてもらったことはなく、歯科医で歯のクリーニングを受けたこともありませんでした。
しかも、歯医者さんは、小学校区内で2軒でした。
それに比して、子どもはわんさかいました。
小学校は1学年45人クラスで4クラス(全校生徒約1,000人)、中学校は1学年45人で8クラス(全校生徒約1,000人)、高校は1学年45人で12クラス(全校生徒約1,600人)。
小学校の歯科検診では、毎年、多くの子どもに虫歯があり、クラスの半数以上が「要治療」の通知をもらうこととなります。
家事はするけれど躾はしない母だったので、私も弟たちも、就寝前の眠たい時に面倒な歯磨きをきちんとしません。
私と弟たちは、歯科検診後、毎年歯科医に通うことになります。
当時の歯科医院は、予約制ではなく、受付順に呼ばれるのを待合室で待つ形でした。
歯科検診後の歯科医院はどこもすごく混み、おおよその待ち時間を推測して、一旦帰宅する人が多かったです。
2時間待ちがざらでした。
それでも、患者が待合室に収まり切らず、歯科医院の前には人だかりができていました。
夕方の診療は、午後4時から7時まででしたが、ラストの患者が終わるのが9時過ぎなんてこともありました。
私が初めて永久歯を抜いたのは、小学生の頃です(泣)。
私の身体で最弱なパーツは歯であるという自覚があります。
40代の頃、ひとりでドライブに行く時間が持てるようになりました。
夏の終わりの夕方、道の駅で、みずみずしい野菜や果物を何点か購入しました。
会計をしてくれた同じ年代の男性スタッフが、「売れ残りだけど、よかったらこれ、持って帰り」と大きなスイカを1玉くれました。
「ありがとう」と心からお礼を言うと、彼は口をパカッと開けて笑ってくれました。
が、しかし。
彼の口の中には、歯が1本もありませんでした。
何とか、スイカも野菜も落とさずに、車まで戻ることができましたが、なかなかエンジンを掛けられませんでした。
今でも、私の頭に焼き付いた彼の笑顔は、ホラーです。
今春、シェアハウスでひとり暮らしを始め、正社員から週3日勤務の非常勤職員に契約変更をしてもらい、時間的な余裕を作りました。
今まで棚上げにしてきたもろもろのことに、がっちり取り組むための1年にするつもりでした。
数ある気がかりの中で、一番は歯です。
歯が1本もなかった男性スタッフの笑顔が自分と重なります。
既に欠損している永久歯もあるし、歯茎の腫れも歯周病菌も気になります。
ここ10年ほど通院している歯科医院は、保険適用外の歯科診療が得意ではなさそうなので、私の望むような結果を出せそうにありません。
どうしたものかと途方に暮れていました。
すると、下の子が、新しい生活に慣れた夏頃から、梅田のデンタルクリニックに通い出したというではありませんか。
息子たちには、歯ブラシとフロスで歯磨き指導をし、3ケ月に一度は歯科医院で歯のクリーニングを受けさせていたので、
彼らはほとんど虫歯にならず、永久歯は親知らずしか抜いていません。
しかし、下の子は、今の咬み合わせがよくないと感じ、今通っているクリニックをネットで見つけ、今夏から歯列矯正のために通院しだしました。
早速、私もそこを受診してみると、小学生の頃から今までの行き当たりばったりな治療の歴史を紐解かれ、「生涯自分の歯で食事を摂る」ために必要な治療計画を明確に提示してくれました。
治療計画は2年から3年かかると言われ、「あのー、来年3ケ月ほど世界一周クルーズに行きたいんですけれど…」とお伺いをたてれば、「本気で治療するなら来年は無理です、3年後にして下さい」と言下に却下されました。
断言されたことで、却って、保険適用外の治療をしっかり受けることを決断できました。
これから、様々な検査を受け、歯磨きなどの習慣を変え、きちんとすべての歯をチェックし、歯列矯正を受け入れ、私サイコーの口内環境を目指していきます。
どうか、南海トラフ地震がこれからの3年間は起こりませんようにと、お祈りする日々になりそうです。







