私が生まれた年に、人類初の有人月面着陸が行われた。
人類の技術革新の象徴的な出来事のひとつである。
けれど、子どもの頃、私はずっと不思議に思っていた。
どうして、人類は、大変な危険を冒して、たくさんのお金と時間をつぎ込んで、宇宙に行こうなんて考えるんだろう。
現に今住んでいる地球上で解決しなければいけない問題が、たくさんあるにも関わらず。
世界のどこかで絶えず戦争や紛争があって、飢えや貧困、暴力や差別にさらされている人たちが存在している。
日本でも、自殺者は年間2万人を超え、能登の震災でも、半年たった今も不自由な生活を強いられている人々が実在する。
困っている人たちを助けるためではなく、ロケットや兵器にお金を費やすのはなぜなんだろう。
どんなに学びを深めても、この年齢になっても、私は明確な答えを見いだせずにいる。
きっと、地球上で、お金の使い道を決める人たちには、虐げられている人たちは、「見えない」のだ。
自分たちが虐げられる側になることを想像すらしない。
彼らの関心は、より富を産み出すこと。
宇宙進出も、兵器の開発・生産も、それを実現する手段に過ぎない。
環境破壊が進み、生態系に多大な影響を与え、それでも、人類は、このまま技術革新を続け、突き進んでいくのだろうか。
私からすると、環境と調和して、平和に暮らすこともできないのに、技術革新に浮かれて宇宙に行っちゃう人類は、かなり間抜けだと感じる。
自分の利益だけを考えて、他と分かち合えないのは、大人ではない。
おもちゃを独り占めして許されるのは、3歳くらいの子どもまでだ。
技術革新のスピードに翻弄されることなく、むしろ能動的にコントロールする時ではないかと感じる。
文明は生活を便利にする技術・機械・システムなど物質的なもの、文化は宗教・芸術・知識・法律など精神的なものを指す。
そろそろ、「自分にとって幸せとは何か」をひとりひとりがしっかりと考え、文明と文化のバランスをとる時期が来ているのではないだろうか。
何とか、スマホは使えているが、数年後、スマホが全く新たなデバイスにとってかわられたら、対応できるだろうかと不安も感じ始めている今日この頃である。
新しいデバイスの方がどんなに便利で使いやすくても、数年はスマホにしがみつくような気がしています…。