エンプティムービー・オッペンハイマー | ★ワルプルギスの夜★

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つれづれなるままに・・

先月から引き続き、季節柄立て込む仕事で残業が続いている毎日

ほとんど、映画を観る余裕が無い中で、
ようやく「オッペンハイマー」のために劇場まで足を運んだ




一番驚いた事は、

20:40からの上映を観た後、0時を回った帰路でタクシーの中、

スマホの電源を入れてLINEやメールなどをチェックし
返信の内容などを考えていたら、

いつの間にか自宅に到着していた事だった

普段なら、その日観た作品について反芻する筈の帰り道
玄関で靴を脱ぐまで一度も、

オッペンハイマーについて考えていなかった

こんな事は初めてかもしれない
期待通りでも、期待外れだったとしても、

帰路ではいつも観たばかりの作品の事を考えていた
まして、3時間の大作で、7冠に輝いたアカデミー賞作品だ

めちゃくちゃ豪華なキャスティングで、
観ている間は、様々な感情が押し寄せて来たし
涙ぐんでしまった場面も有ったのに、

どうして一度も思い返さなかったのか

勿論、主演のキリアン・マーフィーは主演男優賞でオスカーを獲得するに相応しく
私の中では「プルートで朝食を」の彼が永遠のキリアンの姿として焼き付いていたけれど
(もしくは「インセプション」での純白のスキーウェアの金持ちのボン)
俳優として、ここまで上り詰めたのかと感慨深く思えたほどだった






私たちは天才と呼ばれる存在の超越した思考については

まるで想像が付かないが
クリストファー・ノーラン監督は、それを音と映像で

「これがそうなのか⁉︎」と言う形に示してくれていた


彼が、ブリリアント過ぎて時に息が詰まりそうになる感性の持ち主なのだと理解出来た時
オッペンハイマーに寄り添いたい気持ちと、それでもなお、日本人を大量に殺戮した兵器をもたらした

張本人だと言う感情が自分の中でせめぎ合っていた


そして、本人の画像を見ると

「多分、一生を一人のパートナーに捧げるのは難しいだろうな‥」と判る彼のルックス
出会う女性がことごとく、連れ合いをあっさりと蔑ろにしたり、
精神科医の資格を持つ女性さえ感情のコントロールを失うほどの劣情を抱かせるものが有ったらしい





オッペンハイマーと言う人物は、
マンハッタン計画の為に街を一つ創り上げる手腕と
常に揺らいでいるような繊細な感情を一つの器に内包することが出来たのだなと感心する一方

広島・長崎の犠牲者に思いを馳せ「自分の手が血塗られている様に感じる」とトルーマンに告げていたとしても
彼の愛人が亡くなった時の憔悴具合とは比較にならず、
「自分のせいで彼女が死んだ」と慟哭している姿に
(ここは日本人ならではの感情だと思うけれど) 少々白けた気分になった




あるいは、
自分が生み出した兵器がどれだけの人々を死に至らしめ、

被曝の後遺症に苦しんでいるかを考えた時
あまりにも膨大な数に想像のリミッターを超えて
はるか海の向こう側の敵国の人間に対する罪悪感など麻痺してしまったのだろうか‥


この作品によると、第二次世界大戦下、当初原爆はドイツに投下するつもりで、
ナチスとの競争で躍起になって開発が進められていたものの
ヒトラーの自殺やドイツの降伏で行き場を失い、
なかなか降伏せず、粘り続ける日本に使われる事になったと知った





爆弾の威力で戦意を失わせ、降伏を早める事で双方の兵士の犠牲者を抑えようとしたのが目的だと聞くけれど
広島と長崎の22万人の犠牲者は、罪のない一般人だったのだ
原爆の攻撃の成功で歓喜に沸く人々がオッペンハイマーの目には
犠牲者の姿と二重映しになる場面が、唯一の惨状を示唆する表現となっている

3時間に及ぶ作品は、オッペンハイマーと言う人物像の成り立ちや
マンハッタン計画が推し進められて行く過程
戦後のアカ狩で尋問される場面が大半で
原爆投下による惨状を目の当たりにする事はほぼ無い





それは、この映画がオッペンハイマー目線で撮られているので
実際に彼が見ていないヒロシマ・ナガサキは映らないのだとか
それでは、せめて言葉で、

原爆の威力がどう言った惨事をもたらしたかを
伝える場面が有っても良かったのではないだろうか

情報量が多い作品にも関わらず、何を観たか、感じたかを

帰路で振り返る事が無かったのは
オッペンハイマー自身が失墜して行く悲劇は描かれていても
原爆自体の威力は、ほぼ音と光で観念的に表現され
原子爆弾投下によるカタストロフィーが
生々しく伝えられる事が無い映画だったからかもしれない

そして、
青酸カリ🍏の場面は、実話なのだろうか?
目的を達するしないに関わらず、
オッペンハイマーと言う人物をジャッジする拠り所の一つとなる
強烈過ぎるエピソードだったと思うのだけれど‥