45年前?
父はひな祭りのお店が忙しく
次の日はパタリとお客さんが来なくて
心配していたらしい
で、次の日心臓発作で
亡くなってしまったと
母が言ったので
なんとなくだけど
ひな祭りって
幸せな感じがしなくて
お雛様も
祖母と母が喧嘩して
買ったので
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そこまでしなくても
良いのにって
ずっと思っていて
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新しいお家に連れて来たけど
どうしたものかねって
思っていたら
仲良しのお友達が
凄いかわいいお雛様って
お花をプレゼントしてくれて
お友達の手作りの和菓子は
おいしくて
古くからの友人達3人に
会えて幸せだった
こんなに幸せな仲間に愛されて
生活ができているよ
ってご報告
お店の湯飲み茶碗で
お茶をのんだ
あちらの家族も
きっと喜んでいるね
みんな笑っているよね
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このブログは突然の余命宣告を受けた
母のすい臓がんと闘った漫画です
同じ様な病気の方の参考に
支える家族の方のためになれば
と思い綴ったものです
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懐かしのバタバタ感
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再出発ブログはこちら
これからは
新しいお家で
活躍させよう!
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母が亡くなって3年が経った日
私は母が行きたかった所を歩いた
それはここ
私は今大きな変化の渦の中に居て
引越し
退職
閉店
人生の断捨離
断捨離の中
見つけた1枚の写真と名刺
それは偶然にも職場の近くで
まるで父からの贈り物の様だった
そう、ここは
父が修行をした栄寿司さんが
あった場所
栄寿司さんは
4丁目10の8で
数年前まで営業していたらしい
残念、、、
同じ名前からすると
移転したのか?
偶然なのかも不明
一度だけ母と築地に来たことがある
母は父の居た店の名前も
場所もわからないまま
築地場外のどこかに
父が居たと言う
アバウト過ぎる情報を元に
築地まで来たのだった
あの頃の築地って
すごく遠くて
知らない町だったけど
私も仕事で3年通って
なじみの寿司屋もできて
なんとなく
親近感のある場所に変化した
ここ、普通に通り過ぎてたよ
45年のすれ違い
私が生まれた時に居た
父はここで
どんな風に働いていたのだろう
どんな夢を見ていたのだろう
まさか
自分の娘が
半世紀後母の魂を連れて
散歩をするなんて
思っても見なかっただろう
私は自分が
泣くとは思わなかったけど
この場所に来たら
自然と涙が溢れ出た
一緒に生活出来なかった家族
それでも心は
いつも一緒に居たい
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今日はお店の看板を取り外す日
ご縁のあった看板屋さんに
頼んで看板を外してもらえました
お客さん達に声をかけられる
やっぱり何かが始まる時はわくわくする
看板が立ち上がる時は高揚感があるが
取り外しは寂しくなるね
でも、母さんには辛すぎる仕事だから
私に任せて良かったよ
絶対泣いちゃうからさ
続けられ無かった自分への戒めと
今までの感謝が入りまじる
今までは作る事しかしなかったけど
撤去も大切なお仕事だね
今まで46年かぁ〜
看板は途中からできたから35年くらいかな?
長い間ありがとうございました
本当にお疲れ様でした
さようなら〜
そろそろ新しい生活に慣れて
以前の様な生活が戻ると良いですねー

今日は本当に忙しかったので
途中体調不良で
倒れてしまいました
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やっぱり心労もあったかなあ?
娘には物を残さず生活していきたいです
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お久しぶりです
先日の中秋の名月は満月
という事でみんな空を見あげていましたね
私はお仕事だったのですが
ちょうど帰りは晴れていて
築地本願寺でお月見ができました
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中秋の名月が満月になるのは
8年ぶりとの事でした
8年前は母も一緒だったよな〜
あまり覚えていないけど
お仕事がで築地で働いていると
父もこの辺を歩いたのだろうか?
どこのお寿司屋さんだったのかな?
とか
色々な事を考えます
もうすぐお仕事も任期満了で
築地に来ることも少なくなり
(お気に入りのお寿司屋さんには来るけど)
お店も貸すことが決まったので
看板を外す事になりました
地元で人気のお店が来てくれるので
楽しみではあるのですが
やっぱり寂しいです
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色々な事を考えつつ帰宅
地元は月が見えないと
聞いて居たのですが
地元駅では
月が出て居ました
しかも、、、
虹色の光が見えました
ラッキー
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今回は
娘にお花をいけてもらいました
今度月を見るのは
新しい家になるよ〜
と仏壇にご報告
母さんも楽しみにしているはずだ!
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コロナがおさまったら
お店を開こうと
思いながら時が過ぎ
引っ越す事にしたので
閉店する事にした
母が亡くなった年から
毎年咲く様になったユリ
もぎとられても
コンクリートの中から
元気に出てくる
母さんみたいに強い花だね
最近はオリンピックを
観戦して
お父さんの事も
考える様になったんだ
一緒に観たかったなあ〜
そしたら
もっと知らなかった事を
話してくれたかもしれない
なんて思いました
お仕事で少しオリンピック
関連の仕事が来ると
父も母も関わった
東京オリンピックから
私の時代のオリンピックに
繋がっている事に
喜びを感じます
あとすこしで
私の人生が大きくかわる
母も父も喜んでくれるだろうか
でも、心のどこかで
お店を続けられなかった事を
後ろめたく思ったりもする
今年も美しいアゲハが
飛び立っていきました
さあ、私も
旅立ちだね
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母が亡くなり
何年経っても
寂しいのは
変わらないけれど
生きて行く中で
まだ一緒に居る様な
助けてくれている
そんな気が
凄くするように
なってきたこの頃
今年は
母が可愛がっていた
あじさいが
たくさん
色々な色で咲いたんだ
引っ越す事がわかったのかな?
一緒に行こうか?
連れて行けるかな?
母さんの事ばかり
思い出していたけど
過去の家の書類を整理
していたら
偶然にも
今日が
お父さんの誕生日だった
少ししか一緒に居れなかったけど
今も私を守ってくれているのかな?
今日は先祖の皆に
育ててくれた家族に
感謝でいっぱいの日
命ある限り
なるべく人に優しく
出会った人を大切に
生きたいと思った日