「最後は小沢くん、あなたからお願い」
課長による暴風が吹き荒れたあさかいが、ようやく終わろうとしている。
だけど、最後に報告をしなければならない僕は、緊張を限界にまで高めていた。
何を言ってもけちょんけちょんに言われるんだろうな・・・・。
失敗だった。
土曜日の夜、あのポルシェ911とあんな場所で遭遇さえしなければ。
これというのも全て中田絹沙のせいだ。
テーブルの端にいる彼女を再び見つめる僕。
「頑張って、小沢さん」
口を動かし、そんなメッセージを送ってくる彼女を睨みつけた後、僕はできる限り短く報告を行なった。
「先週訪問した先は次の3社です。それぞれ結果ですが・・・・。えっとそれから、今週の予定ですが、さくらスーパーさんと今日の午後オンラインで定期ミーティング、それから・・・・、あとは部長との月次会議の資料を・・・・」
おっ、これなら大丈夫じゃないか?
極度の緊張の中、僕は自分の簡潔な報告ぶりに我ながら満足し、ささやかな自信を持った。
会議に参加している先輩社員たちも、うんうん、といった感じで穏やかに聞いてくれた。
報告を終え、手帳に注いでいた視線をあげて課長を見つめる。
その瞬間、僕は見えないレーザー光線を浴びせられたかのように固まった。
美しすぎる表情を崩すことなく、手にしたペンをゆらゆらと揺らし、可愛い瞳を細めてじっと僕を見つめてくる課長。
「・・・・」
しばらくの間、僕は固まったまま課長と見つめ合った。
か、課長、僕を好きにしてください・・・・
心の中で僕がそうつぶやいたとき、課長がクールな口調で言った。
「それだけ?」
「えっ?」
「もうおしまいなの?」
「えっと・・・・、は、はい・・・・」
僕は想像した。
ベッドの上で、「ねえ、もうおしまいなの、小沢くん?」、と下着姿の課長に迫られる光景を・・・・。
「もうおしまいなの、小沢くん?」
「す、すみません・・・・」
「男の子なんだから。そんなんじゃ女性は誰も満足しないわよ。さあ、もう1回頑張りなさい」
僕の小さくなってしまったものを冷たい手で握りしめてくる課長。
「だ、駄目です、課長、そこは・・・・」
「いいから黙ってて」
「ああっ、課長・・・・、駄目です、そんなところキスするなんて・・・・」
・・・・・
そんな月曜朝の妄想を、現実の課長の言葉が打ち砕く。
「あのね、小沢くん」
意外にも、課長の声は少し優しいトーンに変わっていた。
「そんな業務報告的なことは聞きたくないの。あなたがどこと会ってるかなんて、私知ってるんだから」
「は、はい・・・・」
「それよりもね、あなたの考えをもっと聞かせて欲しいの」
「わ、私の考えですか?」
「そう。あなたがどこかと会ったなら、その結果をどう考えているのか。問題があるのなら、それに対してあなたはどうしたいのか。つまり、自分が毎日何を考えて仕事をしているのか、そんな話を聞かせてもらえると嬉しいんだけど」
「わ、わかりました・・・・」
課長は手元の書類を揃え、すっと立ち上がった。
朝の陽光をバックに、スーパーモデルのような姿で姿勢良く立った課長を、皆が見惚れるように見つめる。
「いい? 小沢くんだけじゃないわよ。みんなにもそんな報告を毎週ここでしてもらえるといいわね。じゃ、終わりましょうか。さあ、みんな、今週も頑張って!」
課長が歩き去った会議室に、一気に緩んだ空気が訪れる。
「いやあ課長、今日は機嫌悪かったなあ」
「おい、小沢、お前、何かやらかしたんじゃねえのか?」
先輩たちがからかうように僕に声をかけてくる。
「い、いえ、特に思い当たることは・・・・」
「でも最後は機嫌良かったけどな。あんなこと言ってたけど、課長、今日の小沢の報告に結構満足してたと思うぜ」
「そうですかね・・・・」
「お前の報告のとき、満足そうにうん、うんと頷いて聞いてたからな、課長」
へえ、そうだったのか・・・・。
「いつも以上に怖かったけど、いつも以上に綺麗だったな、今朝の課長」
「謎に包まれた旦那さんと仲良くやってるのかもな」
そんなことを言いながら、先輩たちが会議室から足早に出ていく。
立ち上がった僕に、擦り寄ってくる一人の女性。
「やっぱり可愛がられてますね、小沢さん」
どこか怒った様子でそうささやき、僕の腕をぎゅっとつまんで立ち去る中田絹沙。
「痛えな、おい・・・・」
つぶやきながら、僕は彼女との距離が随分近づいたことを感じていた。
そんな風に始まったその週は、忙しいながらも、平穏に過ぎていった。
課長と一緒に動く日もあれば、単独で仕事を進める場面もあった。
木曜日、同期の筒井と飲みにいく約束をしていたが、土壇場になって彼から仕事が遅くなるとの連絡が入る。
木曜午後9時、混雑しながらもどこか緩んだ空気が漂う常磐線で、僕は一人暮らしのアパートに向かった。
メッセージを受け取ったのは松戸駅を過ぎたあたりだった。
げっ、まさか中田絹沙か?!・・・・
不安と、そして認めたくはないけど、かすかな期待を込めてスマホを見つめる僕。
「明日の夜、あなたとデートしたいんだけどいいかしら」
それは、武川理沙、大課長からの直々のメッセージだった。