お財布をお掃除していたら、昔の職場の身分証明証というのが出てきた。

IDカードだ。

あらためて見ることはあまりなかった物。





Identity…私はこういうものです、という証明。


それを見て、周りは私を判断するもの。


自分が胸に掲げているIdentityを見る機会はあまりない。


ありのままに自分を見て、自分を知る。


そこに、良い悪いという判断は必要ない。


そもそも、人に長所も短所もない。


決めているのは自分だから。


どんな短所も長所になりうる。


自分だけのオリジナルを尊重したい。


~できる私、~だからという理由付けもいらない。


ダメな私を一切批判しない。


自己批判はホントの自分を見にくくするから。


ただ、Identityをそのまま愛するだけ。


それは自分を信じること。





古くなった過去のIDカードは、私にはもう必要ないものだから。

さっさと捨ててしまおう。
昨日の早朝、友達から二人目を出産したとメールがあって。私の出産の日のことを思い出しました。


子供を産んだその瞬間から、沸き上がる感情。それは私が初めて経験する不思議なものでした。



歓喜と感謝と許し


溢れ出る喜びと

全ての人へ伝えたい感謝と

頼まれてもいないのに、何もかもを許したいという気持ち…


みんなこうして生まれてきたんだね

誰もがみんな愛されている存在

私もずっとそうだったんだ


世界観が変わって、全てがキラキラ輝いて見えた日。


何度でも、思い出したいものです。
昨日の夜から、大好きな海外ドラマのDVDを、立て続けに6本も見ている。

理由は、ワクワクするから。



自分の幸せのために、すぐ出来ること。

ただひたすら自分を喜ばせて。

ワクワクする方へ向かうだけ。



そして今夜もまた、ドラマの続きを見よう。
今日は、私が迷っていることに対する答えが、友人のブログを読んでいて偶然見つかりました。

何となく気になって手に取った本から、その時求めていたメッセージを受け取ったこともあります。

それは、誰かの何気ない一言であったり、テレビの中からだったり、新聞の投稿欄だったり…


答えは、得たいと思えばそこにあるもの。


耳を澄まして、目を開いて


答えは、自分の内側で感じとるものだから。
場の空気を読む、人に気を遣う、相手の意図することを察知する

上記は、私が今まで得意としてきたことです。

これらが良いことだとさえ、思っていました。


趣味は広く浅く、見聞を広め、誰とでも話ができるいい子になりすましたり。

私のアンテナは、いつもいつも外側へ向かっていました。

チャンネルを他に合わせてしまっていたのです。


コミュニケーション能力は、人間社会では必要ではあると思います。

でも、自分を押し殺して、言いたいことも言わず、周りに良いように振舞うのは、自分自身を生きていない証拠です。

自分の意見や願いを下手に我慢せず、口に出した方が、結果、皆の為になることもあるのです。


「我に良かれで生きたい」と、切に願う今日この頃なのです。