~わが子が突然~闘病記改め普通の日記 -18ページ目

*私が思うに。。。

ある日病院の待合室でママ同士が話していました。

二人も小児ガンの子供を持つ親。

ママA 『たまに息抜きで友達とランチに行くけど、話しは聞いてくれるよ、だけど、私の本当の気持ちはわからない。』

・・・・・そうだな~。。。そうなのかな~。。。

私はその話を盗み聞きしながらそう思った。。。

だけど、ちがう。。。そうではない。

私は友達が沢山いる。

沢山って言っても、沢山ではなく。。。狭く深く、本当に深い友達が沢山いる。

学生時代の友達。よく学校さぼってカラオケして。

外国にいた時の友達。今は世界中にちらばって。

社会人になってからの友達。一緒に上司の悪口言って。

ブラパン友達(元・現役 含) 笑 クラビングー。超楽しい。

ママ友達・・・子供の成長一緒に楽しんで。

・・・数え切れないほどの親友がいる。

みんながJの事を心配し、お守りを贈ってくれた大親友もいる。

私のことまで、心配してくれる。

一緒に泣いてくれる。

何年も会わないのに、電話やメールで話すと落ち着く。 バカ話をして大笑いできる。すぐそこにいるみたい。

だから、本当の本当は、もしかしたら、”病気の子供を持つ母の気持ちはわからないかもしれないけど”

一緒に闘っているって、思わせてくれる。話を聞いてくれる。笑ってくれる。バカでいてくれる。

ので、私はみんなに感謝です。

私はただ、一緒に笑っていたいのです!!!!!

ファイト~って言ってくれるだけで、楽になります!!!!!!!!!!








Dの事だって、みんな思ってくれて、預かってくれたりもする。 たとえその人に子供がいても。

私の周りは明るい人ばかりいて、ほんとに楽しい。

こんな状況にいても、バカな事ばかり言って、笑わせてくれる。

いつかみんなに家族で会いに行きたいな。。。

こんなにJは元気に」なりました!!って。













*お守り

$~わが子が突然~Jones家の闘病記

これはJが大切にしているお守り。
ダディーが買ってくれたサッカーボール&シューズ、 去年見にいった時に買ったワンピースのストラップ、私の妹が作ってくれたミサンガ。。。そして私の親友が送ってくれたお守り。

これを握り締めて手術室に入っていきました。


*手術の説明

手術の説明は、かなり、かな~り、非現実的。。。

『出血量がおおくなったら、手術は即中止』

『頭を開くわけだから何がおきてもおかしくない』

『手術の後遺症は~~~~~』

『術後は何がおきても~~~~~』

『開けてみないとわからないけど、最悪な場合は~~~~~』

もうこれでもかっていうくらい、言われました。

手術をした方、説明を受けたことがある方、ご存知かと思いますが、

Dr. って、悪いことしか言いません。 笑 

ぜったい大丈夫・・・・・なんて言葉、手術前には絶対に言いません。 笑笑

色々言われて放心状態でいるうちに、話はJにどういう風に説明するか、ということに。

赤ちゃんではないので、このまま言わないで入院させとくよりも、本人に言って、手術、長期入院する事をわかってもらうのが、いいと言う事に。

でも、9歳の男の子に単刀直入に、 小児癌、脳腫瘍だよ。。。って言っても、わからないだろうと。。。

でも、やっぱり、TVがあるこのご時世。 ガンという言葉はなんとなくだけど、本人も知っている。

だって、入院して何日かしたころ、 『俺ってガン?』 って聞いてきたから。

その意味はわからなくても。。。

ドラマの見すぎ!! ガーン
『では、J君を呼んできます』 と、ナース。
なので、Jの頭には悪いおできができて、それを取る為に手術するんだよ~って、言ってみた。

そしたら、やっぱりただ事ではない面談室の中と感じたのだろうか、Jは 『明日よろしくお願いします。。。』
って、先生にお願いしていました。。。。。

その姿を見て、こらえきれずの涙が次から次へと出てくる 私 でした。。。。。


最近は私もネットで病気のこと調べられるようになりました。

それはそれはとても怖いことが沢山書いてあるけど、調べています。

それでも最初は怖すぎてあえて人ごみの中で携帯やPCをチェキチェキしていました。

人がいると、おちおち泣いていられないし、人のざわめきで悲しみがかき消されるような気がして。

1人でくらーく調べているとものすご~~~~~く落ち込むので! 笑

*手術前日

3月9日夕方、手術の説明および病気の説明を医療通訳の方も交えて Dr. 担当ナース、母、旦那そして私で行った。

旦那と主治医は病室では会っていたけど、こういう改まったとこでは初めて。 医療通訳の方はこの日の為にわざわざ東京から。 彼女を派遣してもらいたいと願ったのは私。 自慢ではないけど、笑 英語はしゃべれる。 だけど、医療のことなんて、チンプンカンプン。 日本語の医療の言葉を理解するのにも一苦労なのに、英語で説明はとうてい無理だった。 旦那には100%病気のことを理解してもらいたかったから。。。後で知ったことだが、Dr. って、みんな、英語できるのね。。。笑

前にも私に説明したように、主治医は旦那に説明をしていった。

先ずは病気の説明から。

一通りはなすと、 Dr. が、 do u have any question? 何か 質問ある?って旦那に。

私、驚きました。。。質問次から次へとしているではありませんか!!!!!

そうです、彼は病気のことを知ってから、ネットで沢山調べていました。。。

私はというと、怖くて何も調べる事が出来ませんでした。。。悪いことが書いてあったら、立ち直れないから。。。

そのとき私は、旦那のことを見直してしまいました。恋の矢
主治医もびっくりしていました。 そこまで調べているのか。。。。。と。

でもその会話の中で、5年生存率という言葉を初めて聞いて、初めから涙が出ていたのに、

更に さらに、 涙が溢れてきてしまい。。。

旦那が、手を握ってくれました。 その時の暖かさ、優しさ、一生忘れない!!!

*旦那の帰宅

これほどまでいてくれたら安心って、思ったのは下の子Dを産んだ時以来かな。。。

早く戻ってきてもらいたくて、早速旦那の職場に連絡。

それでも安心できなかった私は翌朝ベースのなかにある 赤十字(red cross) に行った。

そこから船のキャプテンに連絡がいけばすぐに戻ってきてもらう事ができると、旦那。

行ってみると白人のおばちゃんが私をみるなりただ事ではないと察したのか、すぐに部屋に入れてもらえた。

私の話を一緒に涙を流しながら聞いてくれた。

私の住所や連絡先を聞いてきた。。。が、動揺していたんだね、、、住所が思い出せず!!

そこまで気が動転してたのかと思うと恥ずかしいが、おばちゃんは、優しく、まるで親のように私を慰めてくて。。。

Jが退院したら一緒に挨拶に行こうと思う。 それまで日本勤務でいてくれればいいな。。。

そんなんこんなんで、やっと旦那が戻ってきた。

久しぶりの再会は、涙の再会。。。

Jを見たときなんて、涙流してた。。。。。

初めてかな、旦那が泣くの見たの。。。

子供達が生まれた日も、うれしくてしかたがなく、みんなは泣くっていうけど、うちの旦那は笑顔 笑顔そして 笑顔

だったから。