~わが子が突然~闘病記改め普通の日記 -16ページ目

*その日の為に!!!!!

いよいよ3月25日から5日間の化学療法、いわゆる抗がん剤が投与開始。
あれ、5日間だけ?と思ったが、その間ずっと、休む事なく投与される。

その後徐々に赤血球、白血球、好中球、などさまざまな身体の健康を維持する為の物が失われれ始め、でも人間って強いので回復する。回復をみて、また次の抗がん剤投与が始まる。

その繰り替えし。

今回はトラブルもなく、第一回目の投与が終わった。

今治療中の放射線治療(また後日説明しまーす。)より、Jの場合は化学療法の方がつらいかな。。ずーっと寝ては吐き、吐いて吐いての繰り替えし。遊ぶ余裕もDSやる元気もなし。
食事なんてもってのほか何にも食べられず。

その間は抵抗力がなしなしなので、生活の規制があって。
生物は食べちゃだめ。皮なしのフルーツ、たとえば、チェリーとかいちごもだめ。
もちろんマスク。手洗いうがいは普通以上。
とにかく、風邪も命取り、血がでたら止まらないから命取り。

この私が神経質になってしまった。

旦那はとにかく化学療法がいやで。。。って自分でやるわけではないが、副作用、晩年機障害、リスクなど、考えるとやらせたくないと。でも、やらせない訳にはいかず。

それでも気分がいい日もあってプレイルームに行って遊んでる日もあったり。それでも数十分したら体力がもたないからベッドに逆戻り。。。という日々。

日に日に身体の免疫も低くなって、投与が終わった日から8日後、私が病院に行くとある光景が。。。

そう、髪の毛が抜け始めました。
くるとは思ってたし、男の子だから大丈夫でしょーって思ってたけどいざ見てしまうと可哀相でかわいそうで。

手術の為に自慢のクルクルカーリーヘア~が短くなっていて、短い毛が枕にびっしり。コロコロで取っても取ってもまた落ちる。

これには私もまいりました。 ガンなんだなー。。。って。副作用だし、また生えてくるしって思っても、かなりへこみました。一番気にしているのは彼なのにね。

ガン病棟なので他の子もみんなハゲちゃん、ハゲくん。みんな明るい、っていうか、明るすぎる!

あっ、何くんちょっと生えてきたじゃん、うらやまし~。。。こんな会話も聞こえる。しかも、笑いながら。

子供はみんな素直。素直に病気を受け止め、素直に治療をしている。

でも本当は外に行って走り回りたいんだって。

サッカーしたいんだ、なわとびしたいんだー、鉄棒でクルクルしたい。。。っていいながら、みんなでトランプしたり、ウノしたり。

みんな点滴コロコロひきながら、プレイルームに集まってくる。

ここが、みんなのいこいのば。 いつかみんなで外で駆け回りたい。。。
点滴の心配がない日。その日の為に、今日もがんばります!!

*後遺症・・・???


手術のリスクはとても多くて、一番は命にかかわるというもの。
腫瘍摘出時にがん細胞が飛び散って転移するとか抗がん剤でも二次ガン発生してしまうとかも。
幸い手術での転移もなく、あと残りの抗がん剤、放射線でもなにもなく無事に治療が終わることを祈るばかり。

後遺症なのか、まだよくわからないけれど、Jの瞳が前とは違う。
右目の黒目が上のほうに上がってしまう。 う~んなんていったらいいか・・・
しばらくすると真ん中にもどってくるけど、また上のほうに動いてしまう。ぐ~っとうえのほうにいってしまい、黒目半分以上はまぶたに隠れてしまう感じ。

術後しばらくは二重にものが見えてしまっていたみたいだけど、それはどうやら大丈夫になったみたい。だけど時々右目をつむってものを見るのでやっぱり少し見えずらいのかも。

最近は週末ごとに外泊が出来るので(といってもどこにも出かけられないけどね。)彼の唯一の楽しみが病院の行き帰りのコンビにでの買い物。

そこで帽子プラスマスクをしていても、やっぱり少し人と違うのか、そこに買い物に来ている人達はじろじろJを見る。

子供はしょうがないけど、ガンミ。笑  大人も私の視線を盗んではじろじろ。

なにか御用ですか?と言いたくなる。

入院しているところは小児麻痺の子とか、寝たきりの子供が沢山入院している。
初めはその現実にショックを覚え、『子供は元気じゃなきゃいけない、生きて』ってすれ違う子供に心からそんなことを願っていたりした。
もちろん今もだけど。。。

私が小学生の1年か2年のころ、転校生がきた。その子は知能障害・・・で、よだれをいつもたらしていて、言葉もをーをーって言っているだけだった。
たまたま私の家の近くで、私はその子の『面倒役』と先生から任命された。
そのころ私は超責任感が強くて(笑)無視とかされていた女の子と自ら仲良くなり、イジメっこをギャフンと言わせていたりもしたものだ。。(本当。笑)

その転校生は男の子だったけれど、朝も帰りも一緒、なにをするにも、手伝っていたな~。

ある日掃除当番だった私は、掃除をしてから送っていこうと思っていたら、掃除はいいから、S君を送っていってあげて、と先生。
それでも私は責任感が強く(笑)掃除をしてからちゃんと送っていきます。と。。。
そのとき、先生はすご~く私のことをほめて、クラスのみんなに、私のような人になりなさい!!ってよく言ってたな~~~~~。。うける~今では超ダラダラ生活なのに。。。

その子は1年もいたかどうか・・・って感じなときにまた転校していった。

今考えると、その子の母は、普通の小学校に少しでもいさせてあげたかったのかな。。。って思う。 Jは今院内学級に通っているけど、早く前にいた学校に戻らせてあげたいもん。。。。。

ってことで、小さい時から優しい心の持ち主だった(笑)私は、障害者などなんの偏見もなく付き合ってきたつもり。

だけどいざJが、外見だけで判断されるとしたら・・・・・このまま養護学校で、同じような子と勉強していたほうがいいのかな・・・って思っちゃうけど。
でもそれでは自立しないよね・・・
私が願うのは、せめて大人だけでも、じろじろ見るのはやめて下さい。笑 

自意識過剰かもしれないど。

それだったら、単刀直入に聞いてくれたほうがよっぽどいい。

見てもいいけど、私がちょっとみたら、目線をあわててそらすの、やめて下さい。 大笑 

いるんだから、そういう人。

興味を持つのはありがたいし、理解してくれようとするほうがとてもいいです。 笑

ただ覗き込むようにジロジロ・・・そしてパッとあわてて目をそらす・・・悲しいです。。。。。! 笑



*カテーテル


手術が終わってしばらくしたら、今度はカテーテルを鎖骨のちょっと下にいれるため、また手術。
今回は1時間半の超早い手術だったけど、やっぱり超心配で。
でも、旦那と話してたらあっという間に終わってた。

それでも手術室から出てきたJはまだ眠っていて、このままだったらどうしよう・・・なんてバカな事を考えたりして。

その日から、多分退院してしばらくするまで??それは外せないだろう。びにょ~んって体からでているの、チューブが。 手術前は首から点滴をやっていたので、それよりかは動きやすいかな。。。

そこから抗がん剤や、吐き気止め、そしてJは最近ほんとに食欲がないので、栄養剤などを入れているんだけど、
もちろん濡らしたり汚したりしてはいけないので、シャワーのときは完全防備で浴びないといけない・・・ので、ここ2ヶ月はゆっくり湯船につかるとか、シャワーを頭から・・・なんてとんでもなくて。

早く体全身洗ってあげたいな、一緒にお風呂入りたいな!!!!!

*ICUを出て。

術後ICUではウトウトする毎日だったけど、日に日に目を開けている時間が長くなり、いよいよ3月15日には一般病棟へ。

ICUでの何日間かは喉にホース??しゃべれなかったからジェスチャーで会話。

意識がはっきりして初めてやった事、それは、

ホースをとれ~
ってあがいた事。

それにもナース達は驚き、

すごい体力だね~ってほめていた。

すごいね、J!!

それを見て私達は大笑いでした。

さて、一般病棟に戻って、体力の回復を待ち、今度は

静脈にカテーテルを入れる手術・・・が待っているのでした。

また全身麻酔・・・の話は次回!



*今日のJalen 5月26日


今日は1日中元気がなかったJ
めずらしくお昼ねもしたり、きっとそうとう だるかったんだろう・・・

治療が始まってだいたい毎日吐いているのだけど、今日は少し血が混ざってた。

吐血ってほどではなくて、多分吐くときに喉を傷つけたのだろうと、ナース。

本人も気にしていた。

明日は元気になっているよう、ママは祈ります。。。

写真は頭の傷。

ここから腫瘍を取り除きました。

一生のこるであろう傷。

自慢の傷。 勲章。 

同じ病気で退院した子、ある日学校で

チャックがあたまにあるぞ~

って、言われて、ちょい イジメ にあったって、言っていた人がいる。

この先社会に巣立って、病気のことで色々問題がおきてくるだろう。

だけど、負けない心で立ち向かっていってほしいと願う私達夫婦。

病気が原因で・・・・・って思ってほしくない。

どうせだったら病気がきっかけで・・・・・できました。・・・・・なりました。



って、思ってもらいたい。。。と願う私達夫婦です!!



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