天保12年9月8日付の福田半香先生(崋山先生の画弟子)宛の手紙に、
「この度(子供とはいえ蟄居中にも関わらず外部の人間と接触するのは不謹慎ではないかと藩内で噂になっているとの)情報が秘かに入り、親類の子供1人2人が読み書きを習いに私の家に来ておりましたが全員断りました。御存じの通りこれも内密の話で絵を描たり文章を書きながらでよいので、時間に余裕のある時は読み書きを教えて欲しいと真剣に頼まれて断れず教えてきましたが、今回自分の子供も含めて全員、他家へ読み書きを学びに行かせることにしました。」
とありました。
池ノ原の蟄居中のご自宅で即席の寺子屋を開かれていたようです。
この手紙の最後には、
「(私が勉強を教えていると)何でもかんでも、「こんだあ、うまくできた(今度はうまくかけた!)」とはしゃぐ子がいてみんなの笑いのネタになっています。」
とありました。
この時ばかりは田原弁丸出しの無邪気な子供の言葉に先生御自身、お母さん、奥さん、子供たち全員が笑いに包まれたのでしょう。
書簡集の中でも一家団欒のほのぼのした光景が書かれているのはこの手紙とあと一つ二つぐらいでしょうか。
渡辺家の雰囲気がわかる貴重な手紙だと思います。
ただし、先生のご無念は次の月の10月11日になります。
笑っていいやら悪いやら。宮司の私としては本当に切ない気持ちになります。
可能ならばタイムマシーンに乗ってでもお助けしたかった。
いや、コンダアうまく行くぞ。出来るぞ。とのご教示かもしれません。
ご存命中はひたすら真木定前(御用人)さんや村上定平さん(砲術師範)金子武四郎さん(水戸藩士)を励まし続けたご祭神です。
私も前に向かって進むしかなさそうです。(苦笑)