崋山先生のお正月 | 崋山神社 宮司のブログ

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さて、崋山先生は江戸の田原藩邸でどのようなお正月をお過ごしだったのでしょうか。

少しだけその様子がわかる御手紙(御自身の妹の嫁ぎ先に宛てたお年賀の手紙)がありましたので紹介します。

「新春の御慶賀喜ばしく存じます。皆様お揃いで御越年の事とお祝い申し上げます。ここ田原は毎日北西からの季節風(空っ風)が激しく、竹やぶは昼夜鳴り騒ぎ、正月らしい雰囲気は全くありませんが、江戸の出費が多くどうやって年を越そうかと年の瀬前から気持ちが塞がり、そのうえ御屋敷の内外昼夜問わず忙しく、さらにそれ火事だ、それ客だ、それ出張だとバタバタした年の暮れで、翌日元日からまだ日も昇らぬ暗いうちから駕籠で江戸中を乗り回し、年始の挨拶に半月は明け暮れて終わってしまうので、またもや昨年の仕事残りを片付けているうちにその年の仕事がまた増えて、結局ふだんの多忙な勤務の一日となり、家庭内もそれと同時進行で年始の挨拶の客が入れ代わり立ち代わり訪れて、夢の中にいるような気分で世間を渡ってまいりましたが、今現在はうってかわって、母親というものは将軍様にとっても殿様にとっても誰にとってもこの世でたった一人の存在であるように、拙者の妻や長女のカツも母(エイ)を掛け替えのない存在として大切に敬い申し上げ、長男タツ、二男カノウはお話し相手をして家族仲良く、時には上屋敷で奉公していた男たち、またこの田原で(渡辺家に)手伝いにきている女どもが入れ代わり立ち代わり(母の)御機嫌伺いに来てくれてよく気も紛れます。・・・」ー『渡辺崋山集 第四巻 書簡(下)』(213 岩本茂兵衛・喜太郎・おもと宛)より

相当お忙しいお正月をお過ごしになっていたようです。

寝正月は庶民だけの楽しみだったようですね。