崋山先生は誰に対しても非常に優しい方でした。
特にお年寄に対しては篤い慈愛の心を持っていらっしゃいました。
友信公の書かれた崋山先生の伝記『崋山先生略伝』には、
「普段ご自宅の中であっても未だかつて先生の怒った顔を見たことがない。先生は以前とある殿様からいただいたという非常に珍しく高価な古い時代の墨を所蔵されていた。常に書斎の机の上に置いて長らく眺めて楽しんでいらっしゃった。その時はまだお婆さまがいらっしゃって御年九十余歳。少々オボケになられていた。ある日そのお婆さまが先生の机のあたりにやってきてその墨を手に取って言った。どうしてこんな(汚い)木炭を机の綺麗な毛氈の上に飾っているのかと。そしてあろうことか、その墨を持ったまま庭に出て石の上に置いて叩き壊して火鉢の中に放り込んでしまった。先生は側にいてその様子を御覧になっていて大笑いが収まらず、まったくお婆さまの老いを咎める気は無く、もう一度手に入れて愛玩しようという未練がましさも無かった。」
原文
〝先生平生私宅の中と雖も未だ曾て怒色を作すを見ず、嘗て或矦(侯)より賜る貴珍の古墨を蔵す。常に晝机上に置き愛玩する久し。時に祖母齢九十餘歳幾と耄耋す。
一日祖母机邊に來其墨挺を捉て言ふ、何ぞ木炭を机氈上に飾る乎と、遂に取て庭中に到り、石上に打破して手爐に投下す。先生傍に之を見て大笑して已まず、毫も祖母の耄を尤むる意なく、復愛惜の色なし。〟
とありました。
儒教の教えである忠孝を実践していただけ?誰かにそうするように言われた、はたまた外聞を気にして体裁を取り繕っていただけ?
いやいや、幼い頃から非常に苦労されたので自然と人に対する労りの気持ちが芽生えたと思われます。子供のころ弟をおんぶして借金を頼みに行かされた辛いご経験、付届けが払えず絵の師匠から破門された悲しい思い出により、弱っている人、年老いた人を見ると助け出さずにはいられないご性格となったのです。それが御自身の家族となればなおさらでした。ご自分が大切にしていた宝物を捨てられたのですから、文句の1つも言いたいところ笑ってすまされた度量はこのようなご性格が形成されたからこそでしょう。崋山先生の温かいやりとりにこちらの心も和らぎます。他にも『崋山先生略伝』には、献身的に病気のお父様に尽す崋山先生の御姿が記されています。
「崋山先生のお父様は定道といった。儒学者鷹見爽鳩先生の門人であった。儒学を極めその当時は鷹見先生の高弟として、田原藩士として、また藩邸の儒学の講師としてのお勤めもされていた。ご性格は決してご自分の信念は曲げない強い心をお持ちで、上役に媚びるようなことはせず、何度も家老に推薦されたが断固として受けず、暫くしてようやく家老待遇の御用人役に御就きになった。(第九代藩主三宅康和公の時)常々、同僚の藩士が古い慣習に固執したり、一時凌ぎの言動をしたりで田原藩政がうまくいかず、藩士たちの風紀も日に日に乱れていくことを嘆き、藩の風土を改善するように殿様に建言されたが、その思いは実現せず、晩年は憤り嘆きが積もりに積もってとうとう御病気になり、気が短くなり怒りっぽい言動が増えてきたが、長男である崋山先生は懸命にお父様を看病し続け、御言葉などには決して逆らうことはせず、(お父様がお亡くなりになる)最後まで尽くされた。その心からの親孝行に励む御姿にみなさん感心しきりだった。(これは僕たちが確かにこの目で見てきたことだ。)残念ながらお父様がお亡くなりになり、葬儀にあたっても常に御霊前にいらっしゃって精誠尽すこと厚く、佐藤一斎先生の書かれた喪祭篇(哀敬編)に則って、偉大なる儒者として弔うために祭具等を整えて儒葬を斎行。長期間喪に服して哀悼の意を尽した。(すべて私が目撃した事である。)」
原文
〝先生父は定通、鷹見爽鳩の門人なり。経学を修め、當時高弟にして、一藩の士、師とし事ふ。性剛直にして上に阿諛せず、數々執政に擢擧あれども固辞して不レ應後ち加判の列に入る。(三宅康和の時)平生同列の士、因循姑息にして、君家の政令振はず、士風日に澆季なるを慨き、建言あれども其の意達せず、晩年憤恚積憂して遂に疾を生じ、言動褊急に至れ共、先生孜々として其意旨に忤はず、終始一日の如し。其純孝人皆感服す。(僕等目撃する所也)父歿して喪に居ること厚く、佐藤一斎著す所の喪祭篇に據て大略儒家の葬禮を具へ、喪に居る極て哀敬を盡す。皆僕目撃する所なり〟
時には荒っぽい言葉もお父さんから投げかけられたのかもしれません。それでも、言い返したり怒ったりすることなく看病し孝養を尽されています。時は文政6、7年(1823~24)の頃のはなしです。崋山先生は31、2歳でした。ちょうど働き盛りであり、画家としても名声が確固たるものになりつつある時期でしたので、本当なら看病などしていられないのに父というよりまるで主人に尽すようにされています。根底にあるのはやはり愛でしょう。それも弱った方、御年寄の方を見ると無条件に助けずにはいられない愛です。確かにある程度の収入や食料は健康的な生活する上で重要です。でも、もしこの世で一人ぼっちになってしまったら人間はどうなってしまうでしょう。地球上遍く無人の家、無人の町だったらと想像してみて下さい。十分な食料があっても寂しさのあまりに死んでしまうのでは無いでしょうか。愛し愛される人が近くにいるから生きていられる。そのことを崋山先生の生き方から学んだ気がします。