今さら年賀状の話ですいません。
文政12年(1829)1月5日付の田原の医師萱生玄順先生宛ての崋山先生の年賀状です。
「新年のお慶び心より申し上げます。いよいよお元気で御歳を重ねられ大変おめでたく・・・」
『渡辺崋山集 第三巻 書簡(上)』より。
ここまでは、現在でもよくある文言です。
問題は追伸の部分。
「追伸、新春の寒さが続きます。お体を大切になされますようにお願い申し上げます。ところでこの書状は学者の柴野栗山が趣味で印刷した年始の挨拶状を流用したものです。絵を描く手間が省けて画期的な印刷タイプの書状となってます。文章は立原翠軒の息子に依頼して自分用の年賀状として印刷しました。これを私の新年の年賀状として先生にお送りします。云々」
とありました。
江戸時代から印刷タイプの年賀状ってあったんですね。
年始の書状をたくさん出さなければいけない大名や大店は重宝したでしょう。
不勉強の私は印刷された年賀状が登場するのは明治の時代になってからで、それまではほぼ手書きの年始状ばかりだと勝手に思い込んでいました。
因みに年賀状ではありませんが、崋山先生の絵を木版印刷したものがこちら。
『生誕200年・田原町博物館開館記念特別展・渡辺崋山とその師友展』田原町博物館発行より
崋山先生の絵はもちろんのこと、この印刷技術はすごい。
年賀状としても当然活用されたでしょう。この多色刷りの見当の精緻さときたら。
江戸時代の彫師、摺師の技術力の高さには脱帽です。
プリントゴッコでも不器用な私は苦戦してました。(笑)
欧州の画家が錦絵などその芸術性の高さと木版印刷のクオリティーに驚いたのも頷けます。