左義長 | 崋山神社 宮司のブログ

崋山神社 宮司のブログ

御神事から社頭の出来事、時には兼務社の神事芸能までご紹介しております。

左義長(焼納祭)の時期になりました。

左義長とは正月の松飾や古い御札、お守り、神棚等を焼き納める儀式です。

 

江戸時代の田原藩では、田原町(萱町、本町、新町)分はお城の近くの田んぼ道で毎年決まって正月十六日に田原藩主導で行われていたようです。その際は左義長飾の近くを藩士が馬で駆け巡りました。勇壮な光景だったでしょうね。

※上の写真と田原藩の左義長は関係ありません。

 

寛延二年の萬留帳には、「例年の通り本日、左義長が行われ本町、萱町、新町の三町分の解体された門松や注連縄などが中縄手(現在の晩田付近だろう)に積み上げられ焼き納められた。前例により駆け馬が命じられたので、飾りが出来次第御城まで連絡するように御用人様から御指示があった。町廻(下役人・足軽階級)には火をつけるのは殿様の合図で行う様にとも伝えた。殿様も御城の武者隠しまでお出でになられ御覧になられたようだ。」とありました。

 

寛延二年 萬留帳 正月十六日 晴天

「例年之通、今日左義長本町萱町新町之分右三飾中縄手ニ而焼申候。

前格之通御馬乗御らせ被成候間、飾り出来次第御城迄御左右申上候様、御用人衆より被仰聞。

則町廻共へ申付御案内申上させ、火ヲ移シ候儀ハ御差図次第ニと御取次衆迄相達させ候。

殿様ニも武者隠シ松辺迄御出遊候由。」『田原藩日記より』

 

もちろん現在の田原市内の左義長(焼納祭)は寺社境内で行われています。全国的にも寺社の儀式となっているところがほとんどでしょうね。