そろそろ節分ですね。
江戸時代の田原城でももちろん豆まきは行われていました。
ただし、御城内ですから田原藩日記の記事には少し堅苦しい雰囲気が。
文政十年(1828)御用方日記より
「十二月十九日(新暦の二月五日)、明日二十日はまだお殿様は忌中ではあるが、悪魔祓いの意味もあるので鬼打ち豆は予定通り行われた。各藩士の家々でも行うようにお達しがあった。」
「十二月二十一日、御忌中ではあるが昨晩鬼打ち豆の許可が出て御家老様、御目付様、年男賄役河辺甚右衛門登城の上で豆まきが行われた。」
とありました。
きっと、上役衆や年男が豆をまいたのでしょう。
同じ年の御玄関置帳には、
「豆まきが済んで、登城の藩士は全員豆を頂戴した(食べた)。」ともありました。
享保十七年の記事には豆まきが終わって当番藩士には御吸物、御酒、御肴が振る舞われたという記事もありました。
意外と賑やかに楽しく行われていたのかもしれません。