みなさま、こんにちは。
京都・スピリチュアル・セラピスト、ミヤノリト∞です☆
最近、私の周りで、社会、学校になじめない子供たちの話をよく聞くようになりました。
「登校拒否」という言葉は、私が子供のころからあって、
今は、その「登校拒否」でも、様々な症状によって分類されているような感じがします。
登校拒否になるには、その前の過程があって、
私が感じるに、「敏感な」「繊細な」子供たちほどそのような状態になってしまうということです。
ドリーンさんが言われているところの「クリスタル・チルドレン」ということです。
この子たちが、私たち大人や社会に伝えていることは、
「人の心が置き去りになっているよ。
人間にとって一番大切なことは、見えないもの、心なんだよ。」
ということに尽きるのだと思います。
偏差値教育は、私たちの社会にしっかりと浸透し、
その念が親と子供たちに固定観念としてすっかりと植え付けられてしまいました。
勉強がすべてであって、
学校での勉強ができないことで「欠陥人間」と言われる世の中のようになってしまったからです。
実際、勉強ができれば選択肢は広がります。
自分の行きたい学校にも行くことができます。
しかし、それは勉強が好きな子が選ぶべき道であって、
すべての子がそうではないということです。
それに、現代の偏差値教育は、
人をロボットのように扱うための教育であるということを世間は知りません。
私たちの中の念に「自由」を失わせ、固定観念という狭い世界で生きさせることで、
新しい産業や新しい動きを止める作用が働いていることは、
色々なことを知っている方にとってはいまや常識となっています。
大人は、その植え付けられた固定観念の中で動いていて、それが常識と言って、
子供たちを締め付けていることに気づいていません。
また、最近の報道は「失敗を許さない」というような念を流す傾向になっています。
人は、進化する為に欠陥で産まれてくるということを以前からお話ししています。
つまりは、「失敗することは当たり前の状態」
で生まれてくるわけです。
「失敗から何かを学ぶ」「失敗は成功の母」
ということは大昔の為人で、何度も言われていることです。
しかし、最近の報道はその「失敗を許さない」。
大人たちが記者会見で誤るシーンが度々報道されます。
「失敗を許さない」固定観念は、この社会構造の中にどんどん浸透しているような感じがします。
失敗してもいいんだよ。
もっと挑戦してごらん。
みんな同じなんだから・・・。
そういう世の中になって欲しいと感じます。