私を見て | 守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

弱音を飲み込み、人に頼られるのが得意な長女タイプのあなたへ
ふとしんどさを感じたとき、気軽に愚痴を言える相手のような
自分だけの守護神をさがしてみませんか?

今日のラッキー神社

 

自己顕示欲とか、承認欲求とか、ない人はいないと思う。

ただそれがあまりにも強いと、周囲に迷惑をかけちゃいますよね。

 

Yahoo知恵袋はもう役に立たないなと感じるのは私だけでしょうか?

 

質問しても、トンチンカンな回答しかつかない。

多分、「誰かに教えてあげる」のが大好きな人なんだと思うんですよ。

だけど教えられないから、質問文にある「自分が教えられること」を回答している感じ。

でも、質問の主旨はそこじゃないんですよね……。

 

だから、

「聞きたいのはそれじゃないんです」

と言うと説教が始まるので、うへあってなる。

 

考えてみれば、知恵袋だとかOshieteとか、「上から目線で教えたい人」にとっては、最高の場だもんなと考えると、もう使えないなと思います。

多分、本当に専門的知識を持っている人は、寄り付かなくなってるんでしょうね。

それ専門の場を探して質問する方が、話しが速いです。

 

そしてこれら「上から目線で教えたい人」は、突き詰めれば、自己顕示欲と承認欲求の塊なんだろうなと思います。

「すごいですね」と言われたいんじゃないかと。

 

インターネット上には、そういう人が集まっているので、うまく避けないと、非常にめんどくさいことになる感じ。

ブログとか、「気が合う人」しか集まりにくい場でも、「一方的に教えたい人」からのコメントがつくことがありますもんね。

 

以前、いろいろとハンドルネームを変えて、古代史に関するトンデモ自説を長々とコメントしてくださる方がいらっしゃって、逃げるのが大変でした。

 

多分、現実世界では相手にされないので、逃げにくい世界である「インターネット」で絡みまくってるんだろうなと思うのですが、だからこそ、どこへ行ってもこういう人たちに絡まれる可能性が高い(^^ゞ

 

でもその承認欲求が、「何」にこだわってるのかも、本当~にそれぞれなんだなって話をしようと思います。

(相変わらず前置き長し(笑))

 

最近はほとんど小説を読まなくなりましたが、旅行中などは読むこともあります。

でも忘れちゃうんですよね、いろいろと。

なので、備忘録として、本のレビューサイトに投稿を始めました。

 

で、先日、ミステリベストでは必ず上位に上がるミステリ小説『十角館の殺人』を読んだので、感想を投稿したんです。

 

いわゆる新本格派推理小説の隆盛のきっかけとなった小説らしいですが、ミステリの上位に上がるのって、その当時としては、「今までなかった犯人」のものだと感じるんですよ。

 

たとえば、探偵が犯人とか、語り手が犯人とか、犯人が途中で死んじゃうとか、関係者全員が犯人とか、判断能力が十分ではない年齢の子どもが犯人とか。

多分、ミステリ好きな人は、それぞれどの小説のことかすぐわかると思いますが、つまりそれだけ「思いがけない犯人」であることが重要だということだと思います。

 

十角館の殺人も同じなんですが、たとえばアガサ・クリスティの小説は、トリックがなくても感じ入るものがあります。

『鏡は横にひび割れて』は、私の人生を変えたと言っても過言じゃない小説。

物語の中で、探偵のマープル婦人は、誰もが「親切な良い人」と表現する被害者について、「あの人は、自分がアップルパイを好きなら、みんなアップルパイが好きだと思い込むような人ですよ」と辛らつに批判します。

 

この一言で、「なぜ被害者が殺されねばならなかったか」がはっきりわかるんですけど、だから、被害者が殺されなければならなかった背景がしっかり描き込まれていてブレがないんです。

 

でも、「十角館」はそうじゃなかった。

被害者たちは八つ当たりで殺された、ただただ気の毒な人たち。

八つ当たりで大量殺人を犯した犯人は、物語の中で、思慮深い人物像に描かれている。

 

トリックは新しかったんでしょうけど、小説としては破綻してるなという印象。

 

それをレビューに書いたんですけど、書いた途端、Aさんというアカウントからコメントがつきました。

 

でも、噛み合わないんですよ(^^ゞ

Yahooの知恵袋と一緒で、私が書いていることの主旨から外れたところで、私の言葉の一つに対して、いろいろ教えてくる。

 

……興味ねぇ……。

 

見たら、他のレビューにももれなく同じようなコメントがついてて、怖いなと。

熱烈なファンの人かと思ったんですが、関わりたくないので、

「主旨からずれたコメントされても困るんで、今後お断り。次にあなたからのコメントがついたらこのレビューごと消して、『こういうファンがいる人なんだな』と、綾辻さんの本は一切読まないことにします」

とレスポンスをつけたら、ものすごく攻撃的なコメントが長々とついたんで、

「あれ?ファンってわけじゃないんだ」

と思いつつ、レビューごと消し、くだんのアカウントはブロックして新たにレビューを書き直しました。

 

そしたらまたすぐ、別のアカウント(Bさん)からコメントがついたんです。

 

でも全然違う内容。

私の「実写化されるそうだけど、この小説の根幹は匿名性だと思うから、そこをどうクリアするのか興味がある」という言葉に対して、

「漫画化されていますよ。しっかり匿名性の問題をクリアしていて勉強になります」

という内容だったので、

「情報ありがとうございます」

と回答をしました。

 

そしたらまた別のアカウント(Cさん)から、

「BさんはAさんの別アカですよ」

とコメントがあったので、Bさんをブロックして、Cさんにお礼を言いました。

 

なんというか。

今まで見てきた「あらし」なら、Bさんのアカウントで攻撃してくると思うんですね。

とにかく「自分が正しい」と認めさせたいタイプのあらしならば、そうするでしょう。

 

だけどこの「あらし」はそうじゃない。

自分が何を言いたいのかはどうでもいい。

とにかく、「自分」を受け入れさせたらそれでよいってことですよね。

 

私にとっては新鮮な「困った人像」でした(笑)

 

Cさん曰く、自分のアカウントのフォロワーを増やして悦に入ってるんだと思うとのことですが、Aさんはいろいろな人が問題視していて、前のアカウントは強制退会させられてるみたいなんです。

つまり、問題を起こせばアカウントは消され、一からフォロワーを増やさなくてはいけないわけで、それならば攻撃的になるのをやめた方が効率が良いじゃないですか。

 

だけど、「あなたとは話が噛み合わないから、関わらない」と言われると、ものすごい熱量で攻撃してくるわけです(私は全部読む前に消しちゃいましたけど、途中までは、言いがかりと、自分がどれほどすごいのかが書かれていました)。

 

Aさんの自己紹介文を読むと、「定年退職した国語教師」だそうなので、年齢的に、認知症なのかもしれませんが。

いろいろと矛盾してるし、フォロワー数が多いとどういう優越性があるのかもよくわからない(^^ゞ

 

ふ~む……と、興味をもっちゃうからダメなんですよね(^^ゞ

わかってるけど、「何がしたいんだろう」と、興味そそられてます(笑)

 

ちなみにCさんは、Aさんから過去にえらい目に遭わされたらしく、同じようにAさんと戦っている人に好感を持たれるようです。

 

Aさんと争った人のレビューにBさんからコメントがつき、受け入れられると、

「BさんはAさんの別アカですよ」

と、漏れなくお知らせを入れてらっしゃるようです。

 

その行動をして、ちょっと引く人も多いように見えるんですけど、私はCさんが嫌いじゃないかな。

「ことを荒立てるのはよくない」ってのは間違いだと私は思う。

 

荒立てなければ改革なんかできないし、荒立てなければ新たな被害者が出ることも多い。

「ことを荒立てるのはよくない」と主張する人は、結局自分さえよければ良い人だと思うの。

 

しかしまぁ……。

 

いろんな人がいますねぇ。いやはや。

 

 


  ・プロフィール
  ・守護神さがしとは
  ・メニュー・料金
  ・簡易守護神check
  ・神社おみくじ
  ・イベント・セミナー情報
 
問い合せ

 

 

 

 

 

 

 




取材や執筆の依頼・お問い合わせは
大阪の取材ライター醸工房