初阿字観修了。
成田山不動尊では、月輪観と阿字観がセットで修されました。
目の前に、真ん中の図柄とほぼ同じ絵の描かれた障立があり、それが御本尊です。
月輪観は、その名のとおり、月輪を観する瞑想。
絵にある月輪を心に移し、それが大きくなっていき、宇宙を内包するまでになったとき、その輪郭が消えます。
それを味わう瞑想なのだと思います。
つまり、自分はこの世界が内包するものの一部であり、個であって個でないということなのかなと。
阿字観も、文字通り、阿字を観する瞑想ですが、阿字は大日如来そのものです。
それを自分の心に移し、それを味わう行のようです。
これは多分、自分の中の仏性を見つめるということなのかな。
感想は、「足を痺れた」です(笑)
ところで宇宙とは何かという質問に答えられますか?
宇宙の語源は淮南子の
往古来今謂之宙
四方上下謂之宇
つまり宇宙は時空と同義なんです。
私達は時空を超えた存在の一部である。
すべてが絡み合っており、すべてが影響し合っている。
私淑しているおじゅっさんは、曼荼羅の世界はそれぞれが個性的でありながら、調和しているとおっしゃっていました。
個はある。しかしそれぞれの波動は干渉しあいつつ、それでいて平穏なのです。
曼荼羅とはそういうものなのだから、本当は、利己にこだわっても仕方ない。
多分、そういうことなんじゃないかと思うのですが、しらんけど(笑)
つまり、月輪観と阿字観は、曼荼羅の中に入るための行なのでしょう。
多分、主催する寺院によって説明が違うと思うので、金剛峯寺と観心寺でも体験しようと思います。
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