大河も朝ドラも、いわゆる「女賢しくて」苦労している女性が主人公です。
余談ですが、朝ドラ第一週の副タイトル
「女賢しくて牛売りそこなう」
とは、具体的にどういう故事から来ているのかと調べてみましたが、出て来ないですね。
牛を少しでも高く売ろうとして、よけいなことをしゃべってしまい、売りそこなう場面を想定してのことわざらしいですが、「よけいなこと」とは一体なんなのか???
城西国際大学人文科学研究科教授の宮偉さんの研究論文で引用されていましたが、ただ「ことわざ」としかなかったので、原典などはないのかもしれません。
まぁつまり、「女の知恵なんぞ浅はかなものだ」というのが、つい最近までの、通念だったのかもしれません。
確か高校生くらいのころの記憶だと思うのですが……。
どこで、どういう機会でそういうことになったのだかはまったく覚えていないのですが、母と一緒に、偉そうなおじさんの御高説を聞かねばならないことがありました。
私が小説を好きだと言ったからだと思うのですが、三島だとか谷崎だとか、
「いやあんた、絶対読んでへんやろ」
と、明確にわかるようなことを私に「教えて」くださるので、おかしなこと矛盾してることを端から言いあげていきましたところ、母に、
「規子、やめなさい」
と止められたんです。
そしたらそのおじさん、得たり賢しとばかりにニヤリと笑い、
「なかなか賢いお嬢さんのようだが、まだまだ考えが浅い。本当に賢い女性というのは、あなたのお母さんのような人のことを言うのだよ」
というようなことを言われたんですね。
アホかと思った(笑)
確かに、頭の悪い親父の話しに、真剣に付き合う私はあんまり賢いとは言えませんが、あんたは筋金入りのアホですよと(笑)
とんでもなく薄っぺらいことを、平気でペラペラしゃべる人間に、「考えが浅い」と言われたって、なんにも響きませんってばさ。
現代でさえそうなのだから、さらに昔の女性はもっと生きづらかったのであろう……と思ってたんですが、『枕草子』を読んでいたら、清少納言は必ずしもそうは思ってなかったようです。
大河にも登場している藤原斉信などは、彼女に漢詩にもとづいた和歌の上の句を贈り、
「下の句をつけよ」
と注文しています。
そして少納言が見事な下の句をつけると、他の男性貴族たちにそれを見せ、
「さすがだ」
と褒めたたえたりしています(と、清少納言は書いています)。
藤原行成との交流は有名ですね。
行成は女性からあまりキャーキャー言われる男性ではなかったようです。
不器用で、美男でもなかった。
しかしその心映えは素晴らしく、清少納言はもちろん、中宮定子様も認める人柄だったらしい。
清少納言と行成の交流は枕草子に何度か出てくるのですが、ある夜、行成は清少納言と話をしていたのに(ということは男女の関係だったのでしょう)、夜も明けないうちにさっさと帰ってしまい、「鶏の声にせかされたもので」と言い訳の文を送ってきました。
そこで清少納言は、「函谷関の鶏でしょ」と嫌味を言い、
夜をこめて 鶏のそらねをはかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ
と返事をするわけです。
函谷関は中国にある関所で、夜の間は閉鎖されていました。
しかし、の昭襄王から逃げてきた孟嘗君は、鶏の鳴き声をまねて開けさせたと。
つまり「函谷関の鶏」とは「朝でもないのに鳴く鶏」ひいては、「朝がきたと嘘をつく人」への手厳しい嫌味なんでしょう。
それに対して行成は、
逢坂は 人越えやすき関なれば 鶏鳴かぬにも あけて待つとか
と返しますが、清少納言はそれを見て、特に感心したようすもありません。
しかし行成は、男友達たちに清少納言の歌を見せて、
「さすがだなぁ」
と褒めたたえた(清少納言曰く)ようです。
明らかに、斉信も行成も、清少納言の賢さに興味を持ち、彼女と関わるのを楽しんでいる。
多分「手ごたえ」が嬉しいのでしょうね。
「虎に翼」でも、穂積教授ら、女性たちが社会進出しようとする姿を頼もしく感じている男性もいますし、いつの時代も同じで、「わかってる人はわかってる」のだろうと思います。
そういうわけで、やっぱり「女が賢しく振る舞うと」云々をしたり顔で言う人たちのことは、放っておきましょうぜ。
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