大般若経五七八巻『般若理趣分』。
般若心経の解説書は割と出ていると思いますが、理趣経の解説書は初めて見たので手に取りました。
著者の正木晃氏は宗教学者で、法華経の入門書なども書いてらっしゃる……ということで、あまり深い解説は期待せずに読みましたが、想像通り、表面をす~っとなぞる内容でした(笑)
深い内容を期待する方には向かないっす(^^ゞ
ただ、私のような初心者にとっては、今まで持ってなかった知識をたくさん得られた。
私レベルの知識しかない人にはお薦め(笑)
その最大は、「0の発見と空には密接な関係がある」ということでした。
0の概念もそりゃあ哲学的ですよね。
何もないのに「0」という概念があり、あたかも実態があるような様子をしている。
それに何をかけても0だし、それから何も割れない。
いったいゼロとはなんぞや。
つまり空もそういうものなのだそうです。
「空」とは何かと問うて、「私なんぞに空がわかるわけはありませんが」と前置きして答えてくださった方の答えは、十人十色。そして、どれも説得力がありました。
私の中で一番しっくり来ているのは、全興寺のおじゅっさんの、「すべてのものは関係性の中にある」という解釈です。
「私」なんてない。「彼の前の私」「彼女の前の私」「あの人の前の私」「この人の前の私」すべて別人で、すべて同一人物なのだ、と。
首をかしげていると、おじゅっさんは
「そりゃあんた、空がわかって実践できたら、それは悟ったってことですわ」
と、カラカラ笑われたのですが、だとしても、「空とは何か」という問いは、私には魅力的です。
ちなみに、聞いてもないのに「空について教えてあげよう」と言ってきた人が二人いましたが、二人とも「空は何もないってこと」と教えてきたのが印象的(笑)
「自分はわかっている」と勘違いするのは、とんでもなく滑稽なもんだな……と、思わず身が引き締まりました。
まぁ、言うても、「わかってる」と勘違いしてることは山ほどありますけどね(^^ゞ
なるべく意識的に「わかってない、わかってない」と思い返さねばです。
理趣経は、性愛を肯定する経典として有名ですが、「なぜならばすべては本来清らかだから」というところに重みがあるようです。
「妙適清浄句だしぃ」と煩悩にまみれた行いにふけっていたら、本来の清らかさを取り戻すために、どういう折檻が繰り広げられるかわからんぞい……というくらいの含みがある経文っぽい。
地獄も「本来の清らかさを取り戻すための折檻」ってことだよね、多分。
それでも、「私の教えに従わない人は復活させない」とのたまうエホバよりはずっと優しい。
私は仏教について何もわかってないんですが、「先人の教え」に触れたいときは仏教がしっくりきます。
でもやっぱり、難しいよね(^^ゞ
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