『家守奇譚』『冬虫夏草』は、サルスベリが主人公に恋していたり、河童が出て来たり、イワナの夫婦が営む宿があったり、なにより湖で死んだはずの友達が、掛け軸の中から出てきたりと、いわゆる「現実的な小説」ではありません。
ただ、旦那に、
「あれはどういうジャンルなんや。幻想小説か?」
と聞かれたんですけど、そういうわけではない。
「う~ん、純文学?」
と答えたら、よくわからない表情をしていましたが(笑)
つまり、サルスベリも河童も、イワナも、暗喩でもあるので。
つまりは「余白」なんですよね。
私がよく「理屈っぽい」と表現する映画や小説は、「余白」がないんです。
語り手が何を言いたくてこんな表現をしているのか、すべて説明してしまう。
説明しないまでも、調べたらわかってしまう。
そういう映画や小説を、私は「理屈っぽい」と感じます。
でも、本当に優れた作品は、映画でも小説でも、「正解」はありません。
語り手の中には答えがある。
だけど説明されないので、受け手の想像力を働かせる余地がある。
でも、語り手の「答え」が陳腐だと、すべて説明しなくても、やっぱり陳腐な作品が出来上がります。
「答え」が真理に触れていて、確固としているからこそ、受け手の想像力は刺激され、深い余韻を残すのだと、私は思う。
だけど、深く真理に触れる「答え」を持っている語り手はそんなにいないとも感じています。
現代に生きる人ならば、宮崎駿さんとか、是枝裕和監督とか。
梨木香歩さんも、その一人だと思う。
そんなわけで、冬虫夏草のルートを逆張りしてきたんですけど、雪で山の中には行けなかったので、写真整理しても、ほとんど撮れてませんでした(^^ゞ
そんなわけで、冬虫夏草とは関係のない、多度大社の錦山号の写真でも。
ほんと、カッワイイですよね。
少しでも長生きしてほしいものだと思います。
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