私の守護神探し | 守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

守護神のさがし方|千柱の神様を知る神話ライター・上江洲規子が教える 

弱音を飲み込み、人に頼られるのが得意な長女タイプのあなたへ
ふとしんどさを感じたとき、気軽に愚痴を言える相手のような
自分だけの守護神をさがしてみませんか?

今日のラッキー神社

 

好きな人には好きだって言えばいいし、私にできることがあれば力惜しみせず全部やりたい。
結果的に力になれれば私自身もうれしいし、あんまり役に立てなくても次も力惜しみせずに精一杯やる。
夫や友人たちは、私の精一杯を全面的に受け止めてくれる体力がある人ばっかりなので、うまくいかなくても気にしない。毎回全力でやる。駆け引きなんて不要。

そういう関係ばっかりだと楽しいし、健全だし、なんか元気が出ます。

もちろん好きな人ばっかりじゃないし、私のことを嫌いな人もたくさんいるけど、「あ、この人私が苦手なんだな」と感じる人や、反対に私が苦手だと感じる人とはあまり近づかない。
そうすれば軋轢はできないので、迷惑をかけずに済むし、私自身も楽です。

仕事で時々失礼な人と出会うこともあるけれど、フリーランスなので、ず~っと付き合わなきゃいけないハメにもならないし。

そんな風に、私の人間関係は、相当楽な部類だと思います。

でも、生まれつきそうだったわけじゃないんです。
子どものころ、母からよく「神経質過ぎてダメな子」と言われました。
他にも「引っ込み思案」「友達ができない」「人の後ろをついていくしか能がない」「すぐに傷ついてメソメソする」……いろいろ言われてました。
そして実際、そういう子だった。

幸い勉強ができたのと、家に百科事典やら文学全集やらがあって調べたいことは調べられたこと、教えるのが上手だったことなどから学校ではそれなりに尊敬されたし、何より担任が「自分の考えを伝える楽しさ」を教えてくれました。
建設的思考ができたのも大きい。子どものころにいつも自分に言い聞かせていたのは「悩めば悩みになる。考えれば課題になる」でした。
いやだな、つらいな、悲しいなと感じても、絶対に悩まない。何がいやなのか何がつらいのか、何が悲しいのか客観的に考えて問題を捉え、それを解決する方法を見つけるように努めていました。

たとえば私は神経質すぎて、やらなきゃいけないことがたくさんあるとパニックになる性格なのですが、パニックになるのがいやだったから、どうしたら効率的に素早くやるべきことを終えられるかを常に考えることになり、私の処理能力&スピードは相当なもんだと自分でも思います。
傷つきやすかったから、人に期待することをやめました。全部自分でやってしまえば誰も力を貸してくれなくても生きていけます。相手が「利用してやろう」と私に近づいたとしても、見返りを期待せず、自分がやりたいことだけ手伝うのなら、私自身が「利用された」という気分にはなりません。ただ手伝ったことで増えたキャリアと、経験がプラスになるだけです。

期待しないというたった一つの態度が、本当にたくさんの問題を解消してくれるものだとつくづく思う。

そして期待しなければ、精一杯、力いっぱい、誰かのために尽くしても楽しい。
それが結果的に、力いっぱい誰かのために生きている人を引き寄せたし、良い循環を生んでくれました。
「期待しない」という厭世的態度が、結果的に私の人生を健全に、明るいものにしてくれたんだから、なんだか皮肉ではあります。

ただ問題は……。
私がやってきたことは、結局鎧を着続けることに過ぎなかったことです。
私の実態はいまだ、やわやわのちゃぷちゃぷのまま。

周囲を固い鎧で何重にも固めているから、誰かに傷つけられることはないんだけど、時々ちゃぷちゃぷの私が、「すっごく悲しい」と訴えてきます。
でも、分厚い鎧のせいで、「私」が何を悲しんでるのか、よくわかんないんです(笑)

多分すごく根源的な悲しみなんだと思うのだけれど、私自身の声が小さすぎて、全然聴き取れない。

健全で明るい夫や友人たちは、私を強くし、楽しさを与えてくれるけれど、「私の核心にある水」を掬い上げられる存在とは違います。やわやわな心をむき出しにして傷ついたとき、手を当てて癒してくれる存在は、また別にいるようです。
いるはずだけど、多分それは人間じゃない。だって、もしそれをできる人がいたとしても、できるのとやってもいいのとは違うから(笑)

……多分私はずっと、その存在を求め続けてきたのだろうと思う。
たくさんの鎧を脱いで、一息つける場所を探してきたのです、ずっと。

無意識だったけれど、私が「神」を求め続けたのは、その願い故だったのだと思います。

そしてやっぱり無意識だったけれど、私はその存在に「父性」を重ねていた。
現実の父をまったく尊敬できなかった分、強くて賢くて優しくて、やわやわな私の心をケアしてくれる「父なる存在」を求め続けてきたのだろうと思います。

だから「父が坐すべき座」にいろんな神様を座らせてみるわけです。
今のところ、産土さんが一番しっくりくるのだけれど……。
ファイナルアンサーじゃない気がするんですね、なんとなく(笑)

そんなわけで、10日から旅に出ます。
鎧を脱がせてくれる神様に、出会えるでしょうか?

『青森の伝説』を読んで、予習することにします。

 

 


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