「読書なんかして、なんになんの?」
と聞かれることがあります。
特に、冒険も大きな事件もない、純文学的な小説を薦めると、
「主人公が愚痴言うてるだけやん。こんなん読んで、何になるん?」
って聞かれる(笑)
何になるのかと明言はできないんだけど
「文庫本なら1000円以内で、誰かの人生を追体験できるなんて、お得じゃない?」
と、私は思う。
思春期に好んで読んだのが、太宰治、坂口安吾、いわゆる「ダダ」な作家たちです。
もっとも多感な時期に、退廃的な人生を何度も生きたことで、私自身の人生は、それなりに現実的で、前向きになったんじゃないかと思うんですよ。
「退廃はお腹いっぱい」だったし(笑)
それに、自分とはまったく違う考え方をする人がこの世に存在することも、小説を読んでいればわかります。
それでも、実際に周囲で、自分とはまったく違う考え方や反応をする人を見ると、ちょっとびっくりしちゃいますが……。
人間って本当に十人十色。
人によって感じ方が違うし、同じ人間でも、時と場合によっては考え方が変わります。
それでも傾向ってものがあるから、全体的な傾向が似てる人と一緒にいるのは楽だし、楽しい。
まさに類友で、私が楽しいように、相手も楽しいと感じてくれてることが多いので、友達になれます。
でも、傾向は全然違うけど、「この人の考え方、面白いなぁ」とか「勉強になるなぁ」って感じる人もたくさんいます。
そういう人と付き合うとき、読書が役立つと思うのですよ。
対人関係の苦しみは、平たく言えば「相手が期待通りの行動をしてくれない」ってことになると思います。
もちろん、相手を思い通りに動かすことなんかできません。
できたとしたら、それは「友達関係」じゃなく「支配関係」です。
だからお互いに、どうしてほしいのか、何をされたらいやなのかを開示し合って、歩み寄り合うしかありません。
どちらかだけが歩み寄りを強要されるのならそれはやはり「支配関係」ですよね。
最近、このあたりを納得して、楽になれたところがあります。
例えば私の場合、私はその人といても気を使うだけなんだけど、相手は私といると楽しい……ってパターンが結構あるわけですよ(^^ゞ
大人しくて受け身で、依存心の強い女性が多いです。
私は一緒にいてもしんどいんで避けるんですが、「避けないでください!」なんて言われると、私は冷酷なんじゃないのかと逡巡してしまう。
でも、「歩み寄り合うのが当たり前の人間関係」と考えれば、私が彼女を避けるのは冷酷でもなんでもないと思えます。
だって彼女は、私に気を使わせて当たり前、「気を使わせない努力」を全然してくれないわけなので。
「そんなことを言われたって、私は自分の気持ちをはっきり伝えるのが苦手な性格なんだから、察して、私の期待通りにしてほしい」
って言うんなら、
「そんなこと言われたって、私は人に気を使うのがしんどい性格なんだから、気を使わせるつもりならどっか行ってほしい」
っていうだけのことなんだけど、なんで今まで「私の方が強いのに、期待に答えないのは冷たいのかなぁ」とかウダウダやっちゃってたのかと思うと、長女気質なのかなぁとか思ったり思わなかったり。
あとは、「気遣ってもらって当然」な集団の中で「あんたはできるのにやってくれないなんて、つめた~い、ひど~い」って集中砲火を浴びた何度かの経験から、「そういうもの」ってプチ洗脳されてたのかもしんない。
そう。
相手に歩み寄りを期待するばっかりで、自分がどう変われるか考えない人は、少なからずいるんです。
傾向が似てる人ならそれでも付き合えるんだけどね(^^ゞ
傾向が全然違うのに、歩み寄る気配がまったくない人とは付き合えないよなぁ……。
今、「私さえ頑張ればなんとかうまくやっていく方法があるんじゃないか」っていう昔ながらの誘惑に逆らうべく、もだえてます。
無理無理。
変わる気がさっぱりなく、無礼で思いやりのないことを「それは苦手だから」で平気でするような人と交流しようとしたって、心が死ぬだけ。
……自分から行動するのが「癖」になってるもんで、「できること」を見つけたら動こうとしちゃうんですよね~……。
ああ、受け身な人間になりたい……。
ってことで、主人公がとことん受け身な小説、ください。
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