蜂子皇子の逃避行
出羽修験の開祖は、能除仙(のうじょせん)。
人々の苦しみや悩みをよく取り除いたことからこの名がついた。
一般には蜂子皇子の名で知られている。
彼は崇峻天皇の皇子で、曽我氏に迫害されて東北へ逃げのびた。
途中、由良の浦で八人の清らかな乙女に出会い、不思議に思って問いかけようとするが、彼女たちはこぞって棲家の洞窟へと逃げ込んでしまう。
皇子が困り果てていると、目の前に白髭の老人が現れ、「この地は海神伯禽島姫の宮殿である。
彼女の鎮座するのはここから東の山なので訪ねてみると良い」と教えるのだ。
その後、三本足の烏に導かれつつ、羽黒山は阿久岳(あくだけ)に到り、修験の道を開いたという。
羽黒山の名は、案内役の烏にちなむ。
しかし、修験道が開かれる以前から、出羽には、山を神とする自然信仰があった。極めて古い信仰の山なのだ。
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