崇峻天皇5年11月3日、蘇我馬子が東漢駒を使って崇峻天皇を暗殺すると、12月8日には推古天皇が即位します。
その間1か月。
人選に苦労したと思わせられる期間ですね。
その翌年4月10日には、聖徳太子が皇太子となっています。
そして有名な摂政政治が始まるのです。
5月10日に高麗から慧慈という高僧が来日し、聖徳太子は弟子入りしています。
また、百済からは慧聡という僧が。
この二人が、日本に仏教を広めるのです。
聖徳太子といえば仏教ですが、神への信仰が消えたわけではありません。
推古天皇7年4月27日に大地震が起きたときは、全国に地震の神を祀らせています。
具体的にどの神社かはわからないんですけどね。
地震を抑えているとされる茨城の鹿島大社は、藤原鎌足の時代に大きくなっていますし……。
新羅が任那日本府を脅かしたので、新羅を攻めたとき、聖徳太子が何を命じたのかは書かれていません。
代将軍は堺部臣。
その軍勢に、新羅は戦わずして降伏したとあります。
その翌年、聖徳太子の斑鳩宮ができたとありますが、その年の11月にふたたび新羅攻めを行ったときの将軍は来目皇子。
聖徳太子の弟ですね。
皇太子自らが戦に行くことはないのでしょうが、聖徳太子は戦にあまり興味がなかったようにも思えます。
↓↓↓
取材や執筆の依頼・お問い合わせは