中学受験の「社会」は、指導者でも覚えるしかないと思っている人は多い。
しかも指導者が、歴史学や経済学、地理学といった分野に精通しているわけではないことが多いため、
「太字に線を引け」
「明日までに覚えてこい」
「小テストをする」
といった素人指導が繰り返される。
いうも書くことだが、それは保護者でもできる指導だ。
プロフェッショナルな指導者の歴史指導であれば、例えば鎌倉時代の産業を学ぶとき必ず室町時代との比較をする。
また「生糸」や「綿」の説明をする時、奈良時代から昭和時代まで、その意義を説明できるバックグランドを有していなければならない。
名古屋で言うなら、東海中学だって、南山中学女子部だって、滝中学だって、愛知淑徳中学だって、ちゃんとそうした歴史学を背景とした問題を出題している。
単なる傾向と対策のワンパターンではない。
だからこそ「社会」のプロフェッショナルは、正誤問題の「出題のされ方」も歴史学的に予測ができるし、順番並び替えに「年号」が必要だ、といった素人指導もしない
そうでないと「社会」を一生懸命に受験を目指している小学生が、ひたすら訳も分からず「暗記」するはめになる。
ほんとうに可哀そうだ。
今日は、そんな小学生が「社会」の個別指導を受けにきてくれた。
4月の塾内のテストでは「社会」は平均点がやっとで順位も真ん中くらいだったが、5月の試験では2位まで躍進し、満点まであとわずかだった。
4月には志望校は遠かったが、一気に合格圏内だ。
さらに6月のテストでは1位を目指すという。
良く頑張ってなかなか立派だ。
仕事が終わりウォーキングにいった。
5kmほど歩き折り返しの歩道橋の上。
ここから見えるビルの2階、3階の塾では小学生が勉強をしている。
本当にすごいなと思う。
高校生でも、自主的に勉強することは決して簡単ではないのに、こうして夜の9時まで頑張っている。
だからこそ、指導する側は適当なことをしてはならない。
教えるのであれば、まず自分が必死で勉強しなければならない。
それは指導書や参考書のマニュアルを覚えるのではなく、「社会」ならその周囲にある広大な、一見、小学生の指導には必要のない背景を学ばなければならない。
それを怠って表面だけの準備をして教える側になったら、必死に頑張る小学生に申し訳ないではないか。
そんな模倣は、プロフェッショナルの仕事ではない。
指導する小学生から、他の教科はいざ知らず、「社会」の指導の話を誰に聞いても、そうしみじみ思う。