中央大学付属高校の校則ゼロは「普通」 | これでも元私立高校教員

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30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

東京都小金井市にある中央大学付属高校では、「校則ゼロ」だ。

金髪も、ピアスもネイルもOK,むろん、服装も自由だ。

 

 

近年、ブラック校則なる論理的な説明不能な不条理な校則が、ずいぶんと改正されてきた。

この中央大学付属高校も、男子校時代はなんとも「ブラック校則」の塊だったそうだ。

たぶん、そもそもだが生徒を信用することができず、また「自由」という自主性を与えれば、「高校生らしさ」「画一性」が崩れ、秩序もなにもなくなるという「教育の常識」があったからだ。

 

「自由にしたら大変なことになる」

 

これが決まり文句だった。

 

しかし、記事の中には、

 

「そもそも髪を黒にしないといけない必然性が分かりません」と言うのは、3年の石毛さらさん(17)だ。自身も金髪でピアスをつけているが、学業などに支障があるとは思っていない。「高校までいくら校則で厳しくされても、大学生になったら全部自由じゃないですか? そう考えたら、高校生のうちから自分で身だしなみを決められるのは良いことだと思います」

 

とある。

 

高校生のほうがいうことが全うだ。

 

この「ブラック校則」を廃止するのにも、生徒に話し合いをさせて、自主的に行動させて、などという妙な段階がある。

 

不条理なのであれば、差別的であれば、即刻廃止をすればいいのであって、生徒が考えるのはそのあとでよい。

どうにも、いちいちそうしたもっともらしい「手順」を踏みたくなるのはなんとも妙だ。

おかしいものは、さっさと大人が「自主的」に廃止すればいいのである。

 

もっともこの中央大学付属高校のような学校は例外なほうで、名古屋近郊ではいまだに、

高校生が学校の帰りにコンビニ寄るのも禁止、

かばんは全員同じ「指定カバン」、

もちろんスマホは禁止、

服装、髪型、ネイルなんて夢のまた夢なんて少なくない。

 



そこにはいつも「高校らしさ」なんて言葉があって、大人の価値観を強要する。

 

もちろん、大人の教員は「大人だから」という理由で自由だ。

 

もっとも、高校3年生は18歳になれば成人で参政権もある大人だ。

しかし令和に時代になっても、憲法で保障された「表現の自由」は、なぜか大人によって抑圧されている。

 

もうそろそろ、生徒を信用してはどうか?

確かに、どの時代、どの年代でも集団に迷惑をかける「例外」がいる。

しかし、それはその「例外」を指導すればいいのであって、髪の色やネイルは悪ではないし、それをした人だからって差別もしないし、温暖化もしない。

 

もうそろそろ、高校生も、いや中学生も「昭和の呪縛」から解放させてあげてはどうか?

「中学生らしさ」「高校生らしさ」とはその時代ごとの中学生や高校生が作るものであり、大人が昔の価値観で押し付けるなんて、なんとも大人としてかっこ悪い。

 

マナーやモラルは大切だ。

でもすべて大人が決めてあとは強要より、生徒を信用してTPOも含めて自由の中で各自が考える「普通」の機会をもう少し持たせるべきであろう。

そういえば、スキージャンプ競技の高梨沙羅選手が髪の毛の自由を訴えていた。

何やらここにも、昔からのスポーツマンらしさと言う不気味なものがある。


人間はみんなそれぞれ個性があって、その中で自分らしく、生きてくれる社会になるべきだ。

そう思えば、もう全員が同じ格好をするというようなものは終わりで良いのではないだろうか。