‐‐‐‐‐‐‐Going Underground‐‐‐‐‐‐‐

 

歩道橋を駆け上がる。

一段抜かし。

 

思ったより練習が長引いて、待ち合わせに遅れてしまった。夢中になると時間を忘れる、俺の悪いクセ。

どこか、座って待てるところにすればよかった。昭和音大方面に向かう、ペデストリアンデッキ近くの駅通路に佇む、ポニーテールを見つけた。

 

「わるい、待たせた」

 

「大丈夫。色々お店見てた」

 

「どっかでお茶したかったんだけど、スマン、時間ないや」

 

「いいよー、帰りに寄ろう」

 

「そうしよっか」

 

手を差し出す。

 

「ハイ、手」

 

「?」

 

「繋ごう。急ぐぞ」

 

「うん。誰かさんのせいで、急がなきゃね」

と、微笑んだ。

 

掌の中に収まった小さな手。歩き出した拍子に、何かひんやりした鎖状のものが手首に触れた。ブルーのラインストーンのブレスレット。

 

「着けてくれたんだ」

 

「大好き」 

 

「よかった」

 

「あー、どうしよ。緊張するなぁ。きっとすごい人達ばっかりだよ」

 

「大丈夫だよ。今日は池田さんたちの内輪のライブ、見学するだけ」

 

「私、部外者なのに、邪魔じゃない?」

 

「俺だってヨソモンだし、青木のことも言ってある」

 

「また青木。美和って呼んで」

 

「‥(赤面)そのうちな」

 

「いまー」

 

「二人のときにしてくれよ」

 

「このー、ツンデレ」

 

振り上げた手をかわして、また手を繋いだ。

 

 

出逢いって、不思議だな。

みんな神様が決めてんのかな。

 

もしそうだとしたら、神様ありがとう。

 

人生って、こうやって一個一個、自分で選んで行くんだ。何が正しいかなんて、わからない。

わからなくても、選ぶ時はやってくる。

 

選んだ道を、ただ信じて進むだけ。

思い通りになんて滅多に行かなくて、無様でも、みっともなくても、自分らしく。

 

 

結局、手元に残ったレモン色のピック。未練がましいから捨てようか迷ったけど、やっぱり捨てられなかった。

 

あの日、絶望してしゃがみ込んだ俺の前に現れた女神。

俺、推してくよ、ずっと。

これからも、きっと。

 

 

ホントに緊張してんだな。

音大に近づくにつれて、口数少なく頼りない表情になる青木が、可愛かった。

 

「心配すんなよ」

 

「ん、大丈夫」

 

縮こまった手を握り直して、顔を覗き込んだ。

 

「なぁ」

 

「うん?」

 

「なんでそんなに可愛いのか、教えろよ」

 

プッ、と吹いたあと、照れたように笑って答えた。

 

「決まってるじゃん」

 

「?」

 

「ショーと一緒にいるからだよ」

 

 

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐-‐‐‐‐‐‐‐-E  N  D‐‐‐‐‐‐‐-‐‐‐‐‐‐‐-

 

 

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐推し‐‐‐‐‐‐‐

 

「美味しい。ふんわりレモンの香り」

 

「カオリン、いつもレモンのウィルキンソンだから」

 

ふふっと笑って、

「今日、部活に来てよかった」と、呟いた。

 

「何で休んでた?」

 

「ちょっと、ショックなことがあって」

 

「部活がらみ?」

 

「うん。がらみ」

 

なんだ?まさか、佐久間と何か。

 

「佐久間?」

 

「えっ?どうしてわかるの?」

 

「わかるよ、俺、長谷部さん、カオリン、ずっと見てたから」

 

「‥‥」

驚いた表情。

 

あっ、ヤバい。もうそんなこと言うつもりじゃなかったのに。

 

「ファンで。ずっと推してたから」

 

「ありがとう」

ホッとしたような、何か複雑な表情で微笑んでくれた。

 

「推してくれてたの、何となく気づいてた」

 

やっぱりー。

 

「部活で何か困ると、すぐ駆けつけてくれて」

 

「だってカオリン、けっこう無茶するじゃん」

 

「無茶?」

 

「移動やセッティングの時、重たい機材とか絶対無理なのに、まず一人で持ち上げてみようとしたり」

 

「やってみないとわからないし」

 

「最初から男子任せの奴の方が多いぜ」

 

「私、背が高いし、結構力あるから」

 

「限度があんだろ」

 

「チューニングも、おかしいときすぐ教えてくれたよね」

 

「それは‥、狂ってると気になるんだ。でも、段々教えなくてもバッチリになったよな」

 

好きなところ、色々思い出した。

甘え下手で、なんでも自分で完結しようとするところ。

仲間思いで、落ちてる奴に直ぐ気づき、声がけする優しいところ。ギター女子で1人だけ指に血豆つくるくらい練習熱心なところ。愛想笑いなどしない、むしろ出来ない、真っ直ぐで不器用なところ。大人っぽくてクールに見えるけど、話すと朗らかで温かく、印象が変わるところ。

 

「佐久間と、どうした?」

 

「失恋」

 

「!」

 

「言っちゃった。でも、言葉にすると、スッキリする」

 

途中で帰ったから、ライブ後の色々はわからない。

 

「コクった?」

 

「違う。佐久間に彼女が出来て、気づいた」

 

なんてこった。佐久間とカオリン、お似合いだと思ってたのに。

 

「聞いてくれてありがとう。なんか、レモンカステラ食べたら、元気出てきた」

笑ってくれた。

 

「こんなんで良かったら、俺いつでも作る」

 

「ホントに何やっても器用だね。こういうの作れるの、尊敬する」

 

褒められて、嬉しくなった。

 

「初めて作ったんだ」

 

「えっ、すごい」

 

「失敗したから、正確には六作目」

 

「えー、どうして‥」

 

どうしてそこまでしてくれるの?

俺を見つめるカオリンの表情。

 

初めて正面から、俺の好きな、すごく好きだった、ひとりの女の子の顔を見つめ返した。やっぱきれいだな、カオリン。

 

ずっと思い描いていた瞬間。

伝えたい想いは、いっぱいあった。でも今、どれを伝えても、チグハグで場違いな気がした。

 

「‥カオリン、俺の推しだから」

 

今、俺に言えるのはこれだけ。

「推し」って、スゲー便利な言葉。

そして、俺にとっては、残酷な言葉。

 

「ありがとう。嬉しい」

 

言いながら、サッとカオリンが立ち上がった。

 

「そろそろ戻ろっか。ショーの彼女が心配しちゃう」

 

「なんで知ってる?」

 

「音楽棟の女子はみんな知ってるよ。やるねー」

 

「いや、なんか、ハズイ(赤面)」

 

「とっさに動けるって、カッコいいよ。ちょっと羨ましいな、青木さん」

 

「ホントに?」

 

「ホント。私もショー推しだから」

 

あっはははははは。

笑い合って、もう一つずつカステラを一緒に食べ、残りを渡して、二人で部活に戻った。

 

 

レモンの香りと共に、胸にくる切なさ。

もしも‥、もっと早くこんな風に話せていたら。考えても仕方ない。

 

 

カオリンとゆっくり話せて、新しい何かが始まり、俺の中で何かが終わった。

 

 

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐レモンカステラ‐‐‐‐‐‐‐

 

オーマイガー!いた。

 

部室のドアを開けると、窓を背にしたいつものソファに、カオリンが座っていた。

 

バカ、俺、会いたくて早く来たんじゃんか。

早くも動揺。胸の鼓動がハンパない。

 

「オツカレ」

 

スマホから顔を上げ、笑いかけてくれた。頬にかかる、栗色の髪が綺麗だ。

 

「オツカレさん。早いね」

 

こんなオッサンくさい返ししか出来ない自分を呪う。ただの挨拶でこんなに気持ちが揺さぶられるのは、惑星の影響か。

 

動揺を抑えて早速切り出す。

 

「ライブの時、ピックありがとう。助けてくれなかったら、ホントにヤバかった」

 

「いいのに。困ったときはお互いさま。いつも助けてもらってるし」

 

優しい声の響き。俺の動揺もきまり悪さも全部包み込むような。

 

「借りたとき、ピック真っ新だったと思うんだけど、俺が使ってちょっと傷んじまって」

 

「いいよ、あげるよ?要らなかったら捨ててもいいし」

 

「捨てない!絶対。あっ、その‥じゃあ有難く、貰う」

 

キョドった俺を見て、クスクス笑う。

さて、本題だ。

 

「お礼に、渡したいモンがあって。甘いもの、食べる?」

 

「大好き。えっ、どうしたの?それ」

 

視線が、俺の持ってる包みに注がれた。

 

「か、感謝の気持ちを込めて‥作った」

 

自分から手作りってバラしちまった。

あわわ。

 

「見せて」

 

立ち上がって、近づいてきた。

 

「そんな、大したもんじゃ‥」

 

「今、見たい。一緒に食べよう?」

 

アヤたちが来たら取られちゃうから‥と俺の腕を取って廊下に出て、中庭のベンチに向かった。一緒に歩く妄想を、これまで何度したかわからない。それがいま現実になってることに、頭が追いつかなかった。

 

「そこがいい。座ろっか」

 

時々平野や山口とカオリンが話し込んでいた端っこのベンチに座った。

 

「見せて見せて」

 

「手作りとか、引かない?」

 

「全然。ただピック貸しただけなのに、こんなにしてくれるの、なんかごめんね」

 

それだけじゃないんだー、思いながら、包みをそっと開ける。

 

「わ‥あ、きれい。すごいね、こんなの作れるの。カステラ?」

 

「そう、レモンカステラ」

 

ガクッ!でもカステラなら、手掴みでもイケる。

 

「食べてみる?」

 

「うん」

 

 

切り分けててよかった。ナプキンに包んで、6切れの中からコンディションのいいのをひとつ渡す。

 

「ショーは?」

 

「俺は、いっぱい試食したから、いいや」

 

「あはは、ありがとう」

 

俺が作ったケーキ、いや、カステラを食べる彼女を見守り、じんわりシアワセが込み上げた。