※今回はASDに直接関係ない話です。
「良いところを見つけてほめる」というのは
じつは
脳の使い方として高度な分野らしい。
逆に、悪いところを見つけてけなすのは
本能的、反射的なものなんだって。
(快適に安全に生きるためには
自分にとって不快なものを排除することが必要だから)
まあ、イヤな部分って確かに目に付くし気になるし
言いたくもなるよね。
…そこで終わるか?
…良いところを見つけてほめられるか?
で、脳の使い方に大きな違いがあると。
ああ、だからかぁ……なるほどね……
と、いろいろ納得してしまった。
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アキラさんは「ダメ出し」はするけど、「具体的にほめる」ことができない。
良い評価のときは
「いい」
「とにかくいい」
「面白かった」
「すごい」
と、これだけ…語彙が赤ちゃん…
【快/不快】だけで、具体性がない。
具体性がある時もある。
でも、その場合は
「海外の雑誌でも取り上げられたんだからすごい」
「〇〇もほめていたから間違いない」
「賞をとったくらいだからすごい」
というように、「権威ある他者の評価」を引き合いに出して押し切ろうとする。
↑
(私コレすごく嫌い。【快/不快】のほうがずっとマシ)
子供に対してもそう。
アキラさんは子煩悩(甘やかしすぎの問題はあったが)。
娘と息子は、親バカながら優しくて感受性豊かで素敵な子供たちだ。
ほめるところ、ほめる機会はたくさんあった。
でも、思い返すとアキラさんは、やっぱり
「いいじゃん」
「すごいじゃん」
くらいしか言ってなかった。
「旦那さんはアスペルガー ウチのパパってなんかヘン!?」コスミック出版
ただ、語彙が赤ちゃんでも、ほめてるうちはよかった。
前にもブログでちょっと書いたけど
現在の息子の夢活動に対しては酷いもので、
ダメ出ししかしない。一個もほめない。
(そのダメ出しも語彙が小学生)(←赤ちゃんよりは上)
といっても
息子の活動を否定してるわけではなく、
むしろ喜んで自慢のネタに使っているくらいなのに。
以前、息子がアキラさんの言動にストレスを抱えてた時
私はアキラさんに
「1つダメ出しするなら、2つほめること」
と言ったことがある。
(NG指令は通らないので、OK指令を考えた)
でもアキラさんにはそれができず、
耐えかねた息子からきつい言葉を言い渡されて
距離をおくことになった。
私から見たらほめる所はたくさんあるから、
え?なんで??
いいところをほめるなんて簡単でしょ??
なぜダメなところばかり言いたがるの???
と、すっごく不思議だったのだが、
冒頭に書いたことを知って
「そういうことだったか」と納得してしまった。
なるほど。
それなら仕方のないことだから、もう言うまい。
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私がアキラさんのアスペルガーを知った時は
カサンドラから来る抑うつ状態で
たぶんそのせいで脳の働きはものすごく低下していた。
宮尾益知先生から、アキラさんへの接し方として
「できたことはいちいちほめてあげる」 「ほめて“入れる”」
ということを教わって、努力したものの
全然できなくてうまくいかなかった。
アキラさんの悪いところや嫌なところばかり目について
イライラしていた。
あの頃の私の脳は、それ以外できない状態だったんだろう。
ASDの人や子供に
「いちいちほめて“入れる”」のは正攻法なんだけど、
それには高度な脳の使い方ができる状態でないと無理なのだ。
カサンドラのどん底に陥って疲弊する
その前に気付いて行動できることが
本当に重要なんだなあと思う。
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息子が3歳の頃。
保育園の保護者面談で、担任の保育士さんが
「〇〇くんはですねー…
ほめることしかありません」
と言ってくださった笑顔が、今でも忘れられない。
(きっと全部の保護者にそう言っているのだろうけど)
当時はアキラさんが多忙なこともあり
(そして後から思うとモード変化が始まっていたこともあり)
育児の悩みを一人で抱えてる状態だったので、
その後に続いた息子への具体的なほめ言葉を聞いて
私までほめられてるような気持ちになって
うれしくて安心してボロボロ泣いてしまった。
この時のうれしかった気持ちが
私の子育てを長きに渡って支えてくれてたと思う。
アドバイスが正しいものであっても、
ダメなところを指摘されるだけだと悲しくなってへこんでしまう。
ささいなことでも、
良いところをほめられたらうれしくて前向きになれるんだよなあ。
(アキラさんへの対応の反省もこめつつ…)
「言葉で具体的にほめる」と、
相手はうれしい気持ちになるし
それが良いリターンを産みそうだし
自分の脳の働きも高度になって
一石三鳥よね。
ほめる力を伸ばす
「ほめ活」 やっていくよ