1 流山駅の車両基地
こんにちは。
8月も終わり近くですが
まだまだ残暑がきびしいです。
体調をくずさないよう、ご自愛ください。
さて、流山線の旅も
終着駅・流山に到着しました。
2 流星(旧塗装)と駅構内
3 流山駅 駅舎
4 駅舎と車庫
歩道橋からの展望です。
手前の屋根は旧貨物駅の上屋です。
5 車両基地風景
電車で流山に到着するとまず目に入る
のが車両基地の電車群です。
鉄ちゃんならわくわくする光景ですね。
6 路線図
7 施設概要
流山には車両基地と本社があります。
平和台~流山間は0.6kmですが
平和台がなぜわずかな距離の位置に
設置されたかについては前回述べた
とおり(引込線分岐の都合)です。
今回も一旦 平和台に戻り、
沿線を歩いてみましょう。
8 平和台駅ホーム
線路の先には流山駅の側線に留置
されている電車の姿が見えます。
9 28号踏切から流山方向
ホームの擁壁をご覧ください。
台形に影が残っているのが旧赤城駅の
初代ホーム跡で、前後はスロープ、
長さは1両分強だったことが判ります。
その後、2両分への延長と、コンクリの
縁板の真ん中の白い線の高さに嵩増し、
3両編成対応で桟橋状にホームを延長
(2代目のときは木造)と進化します。
現行ホームはさらに嵩増しされ、電車の
床面とほぼ同じ高さになりました。
延長部分も鉄骨組になりました。
沿線を流山に向かうわけですが、
流山駅はもうすぐそこに見えています。
10 モハ1101
11 流星(旧塗装)
10と11は同じ場所での撮影です。
写真10では見えにくいのですが
電車の左脇にはしご掛けが見えます。
道路は砂利道でした。(昭和40年代後期)
中学生のときに都内東端の下町から
自転車をこいで撮りにきました。
ブロック塀は積み増しされました。
12 若葉
少し流山寄りから平和台方向を見る。
13 29号踏切から平和台方向
5km1/2のキロポストが見えます。
写真9 には「2」(5.2km)が写ってるので
ここまで300mだな。
14 29号踏切から流山方向
踏切を過ぎれば流山駅の構内です。
鉄ちゃんが2人立っているところから
構内全体を見通せます。
スロープを上ると市役所です。
15 流山駅構内
あかぎ(2番線に進入中)の手前に
さらに左に分岐する線路が見えますが
引込線(万上線)の名残です。
16 なの花
スロープの途中から。
構内を横断する歩道橋が見える
17 若葉
歩道橋から2番線を見おろしたところ。
電車の左側に旧貨物ホームが見えます。
元はホーム反対側にも線路があり
スイッチバックして工場の引込線に
つながっていました。
18 流星(2番線)
左が旧貨物ホームと上屋です。
19 流星の反対側
2番線を駅舎側から見たところ。
改札口を入るとき右を見ると
2番線の電車を正面から見られます。
停まってれば…(運がよければ)ですが。
停まっていないときもあります。
20 停車位置の違い
1番線は駅舎の正面に停まりますが
2番線では行止りに駅舎があるため
約1両分停車位置がずれています。
元々2番線は貨物駅で旅客ホームは
1番線しかありませんでした。
21 1番線の若葉
若葉の左足元に旧ホームの擁壁が
見えています。
22 貨物駅が現役のころ
写真21の擁壁(スロープ)が右端に、
奥には貨物ホームが見えています。
歩道橋が架かっていることから
引込線は撤去済だと判ります。
コンクリ電柱に交換作業中。
ここで万上みりんの引込線について
詳しく見ていきたいと思います。
23 流山付近(S36.6.3)
24 流山付近(R1.6.26)
25 流山駅(Google2021)
6 23 24 33の地図・空撮は国土地理院の
閲覧システムから、25はGoogleから
拝借し、一部加工のうえ使用しました。
現在、引込線は歩道橋の下で途切れ
2番線の反対側から工場までの区間は
線路跡が道路になっているので
廃線跡をたどることができます。
歩道橋の階段は線路跡上にあり、
本社・事務所部分(引込線と本線の
デルタの白っぽい屋根の数棟)も
引込線跡にはみ出ています。
引込線が廃止になったのは
昭和41年だそうです。
写真23の右端の森は飛地山といい、
開発されて市役所や宅地になりました。
26 引込線のどん詰り
本社裏のトイレから見たところ。
普段は立入り禁止ですが百年祭で
一般開放されていたときに撮影。
27 歩道橋から
若葉は1番線、真下が2番線とホーム、
右端が引込線に続いていた線路です。
28 29 引込線跡
写真28の左端は貨物上屋です。
少々見えにくいですが 自転車の前の
高くなっている所はホーム跡です。
いかにも線路跡らしいカーブで
道路が延びていきます。
30 引込線の終点
線路跡は流山街道と交差したあと
(写真23ではまだできていない)
工場の塀に突き当ったところで終り。
31 塀の内側
昔日の風景のジオラマです。
モハ100が停まっていますが、
引込線は電化されていたそうです。
32 万上通り
キッコーマン流山工場です。
そもそも流山でみりん造りを始めたのは
秋元酒造で天晴みりんというブランド。
すぐ後に万上みりんも出現し、
競争になりました。
江戸時代後期から200年の歴史があり
天晴と万上の切磋琢磨の結果、
流山発の白みりんは全国に出荷され
日本の食文化の発展に貢献しました。
万上みりんは亀甲萬の野田醤油醸造に
吸収されて現在もブランドが残り、
天晴は消滅しました。
33 引込線総括(S24.1.20)
せっかく流山の町なかに出ましたので
簡単に観光案内をいたしましょう。
万上通りを北に向かい2つ目の路地を
入ると見えてくる蔵。
34 35 36 近藤勇陣屋跡
観光協会の公式パンフ等でも堂々と
新撰組・近藤勇・土方歳三などと載せて
いますがちょっと変だと思います。
慶応4年3月1日 新撰組の残兵70人余と
他に寄せ集め兵240人ほどを加えて
甲陽鎮撫隊を結成、甲府城を目指すが
勝沼で板垣退助の官軍に敗れ散り散りに
江戸に逃げ帰りました。
この時既に新撰組は消滅していたし
近藤は大久保大和を、土方は内藤隼人を
名乗っていました。
3月13日、大久保大和ら48人が五兵衛新田
(綾瀬)の金子健十郎宅に屯所を構え、
15日に内藤隼人らが合流。官軍の追手が
千住まで迫ったため4月1日夜流山へ出発、
2日未明に永岡屋酒造ほかに駐屯した。
最終の人数は227人に増えていました。
金子健十郎宅、滝次郎宅、観音寺に滞在
した19日間に供給した食料や資材、費用
などの資料や えらい目にあった、という
記録が足立郷土博物館に残っています。
流山に着いた翌3日には官軍に包囲され
近藤勇は甲陽鎮撫隊大久保大和として
連行されましたが、旧新撰組 近藤勇と
バレて4月25日板橋で処刑されました。
というわけで流山では旧新撰組や氏名を
隠して行動していたので、大っぴらに
近藤勇陣屋跡なんて言うのは変です。
永岡屋はつぶれ、蔵だけが残りました。
写真34で蔵の手前にあるのは酒屋の売店。
秋元酒店(!)ていいますが…
売っているのは元商売敵の万上みりんや
新撰組グッズなど… 因果やなぁ。
今度は万上通りを南に向かいます。
万上みりん工場と天晴みりん工場の中間で
通りの名前は天晴通りに変わります。
37 一茶双樹記念館
江戸末期の豪商宅… 秋元酒店跡。
奥に広い庭園と茶室、書院があります。
小林一茶が入り浸っていたとか。
双樹は秋元某の俳号。
流山市が買取って保存・利用しています。
38 杜のアトリエ黎明
流山市が買取ったアトリエ。
写真37のななめ向かいです。
こちらも秋元氏絡み。
赤城山の隣にあった天晴みりん工場跡は
ケーズデンキになってます。
今度は旧流山街道を駅に戻ります。
39 清水屋 和菓子店
40 41 万華鏡ギャラリー見世蔵
明治中期の土蔵造りの店舗(寺田園茶舗)
を市が買取ってギャラリーにしています。
人間が入ってしまう巨大な万華鏡から
世界大会で優勝したものなどが
手にとって見られます。 入場無料。
流山市は古いものを上手に生かして
利用するのが得意なようです。
42 43 ひなめぐり
流山散策は3月がお勧め。
町中のお店や会社、商工会などで雛祭り
を飾るので観て歩くのが楽しいです。
メニューを片付けてお雛様にしちゃった
おそば屋さん。(駅の近く)
普通盛りでも1.5倍くらい、
プラス100円で大盛にしたら3倍になった。
天ぷらがついて800円、無しだと550円。
コロナで外食できないのが残念だぁー!
44 流山駅
町なかをひとまわりして戻りました。
駅はだいたいいつもこんな感じです。
(昼間は閑散としている)
そんな町を元気にしようと
ご当地アイドルになって町おこしする
女子高生のアニメがあります。
45 46 ろこどるやってみた
流山が舞台になっていて(アニメでは
流川市)いろいろコラボもあったけど…
イマイチ盛り上がらなかった…
長くなったので車両基地編は次回に。
本日もご乗車ありがとうございました。
「なかは熱いですゥ!」
ゆるキャラの中に入ってるのは
三ヶ月(みこぜ)ゆいちゃんです。
ちなみに三ヶ月は幸谷の南隣りの地名、
手に持ってるのは流川サイダーです。