1 平和台に停車中のモハ1002
こんにちは。
オリンピックはあっという間に終ったけど
コロナもつられるように感染爆発。
どうぞ感染防止には十分に気をつけて
うつらないようにしてくださいね。
本日は平和台駅からスタートします。
2 平和台駅
3 ホーム側
4 旧駅舎時代
5 延長ホーム
6 あかぎ と現在の様子
旧延長ホームも立派になりましたが
幅はそのままです。
では例によって一旦 鰭ヶ崎に戻って
沿線を見て歩きましょう。
7 路線図
8 施設概要
流山線開業時には鰭ヶ崎-流山間に
駅はありませんでした。
… 平和台駅年表 …
大正 5年(1916) 3月 流山線 開業
大正14年(1925) 7月 陸軍糧秣廠 開設
昭和 8年(1933) 4月 赤城駅 新設
昭和40年(1965) 6月 赤城台駅に改称
昭和49年(1974) 10月 平和台駅に改称
ところが流山からわずか600mの位置に
赤城駅(現 平和台駅)として新駅を
設置したのですから、それなりの理由が
あったわけで、その件はまた後ほど。
9 初代 若葉
鰭ヶ崎を発車した下り電車です。
かつてこの辺は
山に分け入り切通しで 峠を越える
みたいな雰囲気がありました。
(実際にはほとんど勾配はない)
10 モハ1001(昭和40年代末期)
11 モハ1101(昭和50年代)
12 あかぎ(平成末期)
13 さくら(令和)
時代とともに宅地化が進む様子が
判ります。 幸い右後ろの小山は
三本松公園となって残りました。
14 説明会資料
三本松公園から道を挟んで東側(写真
10~13の右側)には古墳がありましたが
崩されて鰭ヶ崎4号公園になりました。
撮影アングルを探して偶然入った時は
看板が1枚あるだけの木がはえた小山
でしたが、撮っておけばよかった。
15 クハ52
16 さくら
写真10~13を撮った位置から
鰭ヶ崎方向を見たアングルです。
写っている踏切は19号踏切。
(写真9も同じ場所)
17 18 クハ52+モハ1101
切通しの向こう側です。
まだ線路脇に道が無かったので、
ぐるっと回ってきました。(自転車)
今はこの位置に陸橋が架かっています。
19 初代 あかぎ
陸橋から鰭ヶ崎方向を見たところ。
20 変電所
陸橋から流山方向を見たところ。
写真18で電車の右側の平地部分です。
ということは… 昔は無かった?
じゃあ電気はどうしていたのでしょうか。
答え:
馬橋で常磐線から供給を受けていた。
21 22 初代流星 とコマツ
区画整理が始まり線路の東側に沿った
道ができました。(写真18の右側)
23 初代なの花
実はコマツと同じ電車です。
コマツは一時的に全面広告電車に
なっていました。
現在この場所には
もう1本陸橋が架かっています。
家が建て込んできて撮影ポイントが
少なくなったので古い写真で…
24 25 クハ52+モハ1001
24号踏切のそばです。
道路わきのコンクリの構築物は…
昭和遺産(!?)です。
(もちろん今はありません)
26 なの花
その後周囲は家で埋めつくされました。
右後ろの住宅は写真24と同じ建物です。
27 28 クハ52+モハ1001
25号踏切の先での撮影です。
写真27の左端の平屋は市営住宅。
29 25号踏切
写真27 28は踏切の先、手前から2本目の
電柱付近から撮りました。
30 空撮(S47.12.13)
31 空撮(S24.1.20)
上の航空写真、および7の地図は
国土地理院の閲覧システムから引用し
加工、使用させていただきました。
写真30の黄色い丸が24~28の撮影地点。
写真31は糧秣廠(りょうまつしょう)を
中心にトリミング。
糧秣廠とは旧陸軍の施設で馬の餌や兵隊
の食料を保管する倉庫があったところ。
赤城駅の開業は昭和8年なので、貨物と
労働者の輸送が目的と伺い知れます。
赤城駅で分岐した線路は敷地内で大きく
カーブし赤城山の脇まで延びています。
敷地中央の南北通路にはトロッコ軌道が
とおり、トリミングする前の全景写真では
北西のかどから江戸川の船着場まで
延びているのが写っています。
この写真は戦後 米軍による撮影ですが
敗戦前は軍事機密なので資料もあまり
残っていないことと思います。
32 33 引込線跡から
赤城台駅を発車した上り電車。
写真33 右端の平屋は市営住宅、
左奥の丘は三本松です。
この時にはまだ引込線跡がありました。
34 モハ1002
平和台に停車中の下り電車。
引込線跡は レールや枕木、路盤は
撤去されましたが、なぜか架線柱
だけ残っていました。
35 36 引込線跡(クハ52+モハ1101)
平和台を発車した上り電車です。
写真がカラーになって駅名も平和台に
変わりました。(昭和50年代)
平和台まできました。
昔の写真と同じアングルで撮ってみよう
と試みましたが…
37 さくら
38 39 若葉
マンションなどが建ち
全然見通しがききませんでした。
運転席から見てみると…
40 41 42 前面展望
写真33の場所ですが…
面影はまったくありませんね。
変わってしまった、という話題ばかり
なのでここでちょっとひと休み、
昔話をご紹介しましょう。
写真30 31の左端に写る小さな山、
赤城山についてです。
43 赤城山
江戸川の土手からみた赤城山です。
その伝説とは…
《流山伝説》
昔、日光男体山(二荒山)と赤城山の神様
が領地争いでけんかし、大蛇と大百足の
姿で日光の戦場ヶ原で決闘をしました。
大百足の赤城山が負けてしまい
逃げ帰る途中で山の一部が流れてきた
とも、大洪水のときに流されてきた、
とも言われています。
こうして流山のなまえの由来となった
赤城山の頂上には赤城神社があります。
44 大注連縄(しめなわ)
長さ10m、重さ500kg
毎年10月、祭の前に作られます。
45 赤城山
国土地理院のマップでは
参道の標高は5.4m、山頂は14.5mでした。
引算すると地面からの山の高さは9m ほど、
3階建ての家くらいの高さになります。
46 石段
47 本殿
創建は鎌倉時代だそうです。
ところで神社の社殿は一般的には南向き
が多いのですが(太陽=天照大神の向き)
ここでは北西向き 即ち赤城神社の本社
群馬県の赤城山の方角を向いています。
そういえば小金城を調べていたときに
鹿嶋神社が東向きだったことを思い出し
改めて地図で確認してみたところ 茨城の
鹿島神宮の方角を向いていました。
48 平和台駅
最後に再び平和台駅に戻りました。
停車中のさくらですが…
猫の日記念でワンマンをニャンマンに
変えてしまった表示を見る乗客。
この写真はホームに寝そべって撮った…
のではありません。
49 平和台駅
踏切で電車の通過を待っているときに
ホームを見ると、ちょうど目の高さで
こんなふうに見えるのです。
いよいよ次回は流山に到達します。
本日もご乗車ありがとうございました。