1 小金城趾(こがねじょうし)
こんにちは。
ふたたび流山線に戻りまして
今回は小金城趾駅に向います。
2 流星とさくら
小金城趾は4つある途中駅で唯一、
交換設備のある駅です。
列車交換の様子は途中駅のなかで
最大の見せ場となっています。
3 施設概要図
小金城趾は距離的には流山-馬橋間の
ほぼ中央にあります。
流山、馬橋 両駅を同時に発車して
まん中で交換する、という判りやすい
運転パターンが可能となっています。
実際は 流山側は間に2駅、馬橋側は
間に1駅あるため、停車時間の関係で
馬橋からの電車が先に到着します。
列車交換の様子をご覧ください。
4 5 下り列車到着
馬橋からの電車が到着しました。
この段階では踏切はまだ開いています。
(小金城趾駅直近の14号踏切です)
6 7 上り列車到着
上り電車が接近し遮断機が降ります。
一時 2列車が顔をそろえ、すぐに
それぞれの方向に出発していきます。
踏切は下りが通過するまで開きません。
では駅舎を見てみましょう。
8 裏(川の方)から
9 10 表から
橋上駅ですが、細長い高い足の上で
とても不安定な感じがします。
取って付けたような階段だとか、
窓の開き方とか、不自然ですが…
実はかつては駅ビルがあったのですが
老朽化と耐震診断の結果、取り壊され
駅舎だけが空中に残ったためなのです。
駅ビルと一緒に駅名票も無くなったので
代わりにコピー用紙に印刷したのを
パウチッコして立ててあります。
11 出改札・事務所
流山線は全駅有人駅です。
自動改札機はありませんので
キップを買ってご乗車ください。
交通系カードも使えませんので
小銭の用意をお願いします。
12 ラッチ内から見た改札口
13 島式ホーム
《小金城趾駅の歴史》
流山線の開業時にはありませんでした。
記録上はS28.12.24新設となっています。
同時期に廃止された大谷口駅は
位置的にも近く、小金城趾駅の前身と
言えると思いますが
なぜ移転としなかったのかは調べて
みましたがわかりませんでした。
14 流山線開業時の駅配置
(全ての地図・航空写真は国土地理院の
閲覧システムから引用・加工しました)
赤い丸が開業時に存在した駅です。
15 大谷口廃止・小金城趾新設
小金城趾駅は赤丸の位置に移転しました。
幸谷駅はS36.2.3 開設ですので小金城趾駅
新設時点ではまだ存在しません。
16 小金城趾駅 年表
ところで駅名の小金城趾(こがねじょうし)
ですが、小金城ってお城があるのかな
とは想像できると思います。
ちょっと調べてみました。
《小金城》
1537年(天文6年)上杉の下総侵攻を防ぐ
ため高城某氏によって築かれた平山城。
戦国時代(室町時代)の城なので石垣や
天守閣がある「城らしい城」ではない。
高城某氏(難読:変換できなかった)は
北条方につき、1590年 豊臣方の小田原
攻めの際、浅野長政にやられて落城した。
高城氏はわずか三代、53年で滅んだ。
その後 家康の息子が入城したが1593年
廃城となった。
17 小金城空撮 S36.6.3
18 達磨口にある案内図
大手口から地続きの東側の台地には
家来の居住地があり、北に本土寺、
南に東漸寺と宿場町が続いていたが
常磐線がど真ん中を分断した。
小金城には大手口、達磨口、金杉口、
大谷口の4つの虎口(城の出入口)が
あり、駅名の由来になった。
19 大谷口
20 達磨口
21 金杉口
22 馬屋敷の腰曲輪
23 遺構の発掘
開発などで掘削すると遺構が出るため
調査で工事が中断することは日常的。
《幸谷から小金城趾へ》
それでは幸谷駅から小金城趾駅まで
線路をたどっていきます。
24 さくら
幸谷はマンションの谷間の武蔵野線の
ガード下にあります。
ここからは道路が寄り添い、走行中の
電車を間近に見ることができます。
25 赤城
建物が密接していないので撮れますが
あまり景色は良くありません。
26 流星 (現在)
27 モハ1101 (過去)
後ろは武蔵野連絡線の高架橋です。
馬橋から3度目、南流山と北小金を結ぶ
連絡線の高架を潜ります。
28 さくら (現在)
29 モハ1101 (過去)
同じ場所のカーブの外側から。
武蔵野線の工事中に仮設線路が分岐
したのはこの辺です。
30 モハ1002
高架下から。
モハ100形の置き換えに東濃鉄道から
購入した電車です。
深い屋根が特徴の川崎造船所タイプです。
31 32 大谷口駅付近
高架をくぐると大谷口駅跡は すぐです。
電車の上を跨ぐのは都市計画道路の陸橋。
33 大谷口(おおやぐち)駅跡
同じ踏切を広角で見たところ。
右側の道路のところに駅がありました。
右端に写り込んでいる白い3階建ビルの
2階にはモデルワークスという模型屋が
あります。以前は看板が出ていましたが
無くなったので店を閉めたかな? と思い
先日確かめたところ、表札はありました。
34 大谷口 S24 米軍撮影
35 モハ1101
大谷口駅跡の新坂川側です。
後ろの山(森)が本城、電車の上を
現在は都計道の陸橋が跨いでいます。
36 川沿いに先へ
左の山が本城の跡です。
37 旧小金城趾駅 S36.6.3
駅舎から北側は材木を組んだ延長ホーム。
県道は流山・白井線です。
昭和28年12月24日 大谷口駅を廃止し、
350m流山寄りのこの地に小金城趾駅を
設置しました。
38 流星
旧小金城趾駅付近を走る。
39 踏切からみた駅跡
何気に線路の敷地が広がっている所に
旧小金城趾駅がありました。
40 初代 なの花
踏切から反対方向を見たところです。
奥左の6階建が小金城趾の駅ビルでした。
1階がスーパー+薬局(マツキヨ)で
今はやりのドラッグストアのはしりです。
41 さくら
42 流馬
写真40のカーブの外側です。
43 モハ1001
写真40のさらに十数年前です。
当時は小さな子どもがこんな所でも
平気で遊んでいたんだなあ。
落ちても 服を汚したと親にげんこつを
食らうだけの時代だったですね。
豊かだけどがんじがらめの現代と
どっちの子どもが幸せなんでしょう?
44 小金城趾到着
間もなく小金城趾駅に到着します。
いつもはこちらが先に着いて待ちますが
対向の若葉が先着しています。
ちょっと遅れたかな?
現在の小金城趾駅は交換設備を設ける
ため旧小金城趾駅からさらに350mほど
流山寄りに移転しました。
(大谷口からは700mほど)
移転はS.42.4.30だそうですので、
旧駅の場所にあったのは13年と少しの
期間だけだったことになります。
では最後に小金城趾駅の裏口歩道橋
からの展望をご覧ください。
45 流星
46 初代 流星
47 青空
48 49 50 流星
51 初代 流星
52 初代 流馬と流星
3両編成の頃はホームの端まで使って
停車したので 電車が近かった。
停車後 一旦踏切が開くタイミングが
ありましたが、今は閉じたままです。
53 54 先代なの花 引退の日
駅ビルがまだ健在だった頃です。
列車交換は魅力的なシーンなので
この場所は今でもよく撮りにいきます。
次回は鰭ヶ崎へ行きたいと思います。
本日もご乗車ありがとうございました。
55 リバイバル西武色
西武時代の色に復活したらおもしろい、
なんて書きましたが、今回 小金城を
深堀りしてみて、愛称は「こがね」
がぴったりだなと思いましたが…
いかがですか?