こんにちは。
今回は馬橋駅についてです。
馬橋駅東口
馬橋駅西口
どちらもしっかり「JR馬橋駅」と
表示されていて、流山線の文字は
見あたりません。 そう…
流山線の馬橋駅は駅舎がないのです。
しいて言えばホーム上の事務室が
それにあたるのでしょうね。
(地方鉄道ではよくあることですが)
その理由を語るには常磐線と流山線の
誕生まで遡らねばなりません。(!)
路線図
(国土地理院の閲覧用を元に加筆)
まず常磐線が開業、ルートから外れた
流山地区を鉄路で接続するために
流山線が敷設されました。
水戸・東京間は当初、水戸線~小山~
東北線経由で大変な大回りでした。
(当時は水戸鉄道、日本鉄道)
そこで東京直結の路線を計画、既設の
川口から分岐、吉川、流山を経由して
柏から水戸街道沿いに水戸線の内原を
結ぶルートで申請が出されました。
(荒川橋梁を節約するため川口分岐)
しかし既に隅田川駅の計画が進行中で
その延長でいくことになり、結果的に
全線ほぼ水戸街道沿いである現在の
最短ルートになったそうです。
当初の計画から外れてしまった流山は
自力で鉄道を敷くことになりました。
なお、よくいわれる水運業や農家が
反対した、という史実はないようです。
長くなったのでこの話は置いておいて
とりあえず現場を見てみましょう。
常磐線ホームから
流山線を訪れる場合、どうせなら起点
から乗りたいし、アクセスは常磐線で
ということになると思います。
馬橋に着いたら あわてずに まず1本、
常磐線ホームから観察してください。
短いホームや木造屋根、2両編成など
ローカルなムード満載です。
(この写真、実は少々インチキで 現在は
駅ビルができて景色が悪くなりました)
流山線の運転本数は日中の最大間隔でも
20分に1本ありますし、待ち時間に
常磐快速線の列車も撮れます。
ではいよいよ流山線へGo!
馬橋駅コンコース
JRの改札を出て左、西口側の連絡通路に
流山線の乗り場があります。
西口連絡通路
ありました!
唯一流山線の存在を示す看板です。
(他にもあったかも知れませんが
気がつかなかった)
さてここでもう一度、はやる気持ちを
押さえて、通路の窓から下を眺めると…
常磐線との並び
電車が到着して乗客が降りてきました。
改札口で駅員が切符を回収します。
まあ、見慣れた光景ではありますが。
(最近は他所では見られない光景です)
隣は常磐快速線の下りで 運がよければ
並んだ瞬間を撮影できます。
それではホームへ…
階段
昭和レトロ=ノスタルジーの入口です。
屋根の木骨組、手書きの時刻表、
広告看板までなつかしい感じがします。
階段の昇降はちょっと困難 という方は、
隣の新松戸⇔幸谷での乗換が便利です。
平面で約150m、歩いて2分くらい。
(横断歩道が赤信号だと3分)
上野駅で常磐線から山手線に乗換える
より短い距離で乗換えが可能です。
券売機と出札窓口
改札口
階段のタイムトンネルを抜けて
昭和の鉄道風景にワープしました。
鉄道むすめは幸谷なのはちゃんです。
ゴミ箱を片付けてるのかな と思ったら
車椅子用の補助板と注釈がありました。
(車椅子利用の方は新松戸⇔幸谷で
お乗換えください)
券売機
行先が5駅しかないので、画面は余裕。
スイカ・パスモなどは使えません、
と書いてあります。
流山線に乗るときは小銭が必要です。
そういえばキップを買って電車に乗る、
という機会しなくなりましたね。
キップ
以前に乗ったときに撮ったものです。
裏面の磁気コーティングはありません。
(ウラシロ)
地紋は てつどう と PJR の文字。
PJRとは プライベート・日本・鉄道 で
私鉄用の汎用紙、ということですね。
余談ですが、切符は改札を出るときに
回収されるので ホームで地面に置いて
撮りました。(同じ画像のトリミング)
コンパクトなデジカメの手持ち撮影でも
これだけはっきり鮮明に写るとは、
現代のデジタル技術ってすごいです。
もう重たい一眼レフを持ち歩く必要は
なくなりました。
ここでビッグ情報をひとつ。
出札窓口では現在も硬券を扱ってい
ますのでコロナが収束した後には、
ぜひご利用ください。
改札内から
もうお気づきですよね。
流山線には自動改札機がありません。
全駅が有人駅で駅員が出改札をします。
このことも懐かしさを感じさせる
構成要素のひとつです。
ここで馬橋駅の生立ちを見ておくと…
《馬橋駅の歴史》
1916年(大5) 軽便鉄道で営業開始
1924年(大13) 改軌・常磐線に貨車直通
1971年(昭46) 専用ホーム使用開始
1977年(昭52) 貨物営業終了
馬橋駅空撮(1962年・S37年)
馬橋駅空撮(1975年・S50年)
この2枚は国土地理院の閲覧用航空写真
から利用規約に従って使用しています。
昭和37年では常磐線は上り下りが対向で
下りホームに流山線が同居しています。
上りホーム南端の東側は貨物ホームで
町側に農業倉庫の屋根も見えます。
町なかの線路に並行する南北の道は
旧水戸街道です。
昭和52年では現在とほぼ同じ配置で、
常磐線が島式ホームになり快速線を
挟んで流山線のホームが見えます。
橋上駅舎になり、西口の連絡通路が
新坂川を越えた西側まで延びました。
私が流山線を撮り始めたときはすでに
独立したホームになっており、
残念ながら国鉄に間借りしていた頃の
写真は撮っていません。
乗換切符(上段)= 鰭ヶ崎駅2006年
間借り時代は国鉄のラチ内で(改札を
出ないで)直接乗換ができたようです。
そんな経緯から馬橋乗換の直通切符が
独立後もしばらく存在しました。
しかしJRになり自動改札機化が進み
乗換切符は現在は消滅しました。
では再び現代のホームに戻ります。
駅名票
乗車位置の表示
流星がまだ旧塗装です。
木造の屋根
屋根の木組みがホーム先端へ続きます。
ベンチの先には待合室。
その裏には…
便所
先端の階段を下りた地上にには
トイレがあります。
ボロっちいので昔の駅のトイレかなー
(コンクリの壁に連れしょんタイプ)
と思って見にいきましたが普通の
個々別々のものでした。
そうか昭和46年移転だから
それほど古くなかったですね。
2番線と側線跡
側線の跡には機関車駐泊所の跡も。
上屋はそのまま物置になっています。
DB-1(流山)
かつてはこんな機関車が国鉄との間で
貨車の受け渡しをしていたのでしょう。
2番線の突当たり
これ以上先には進めません。
貨物があったころは1番線の先で
1本に収束していたと思います。
2番線の電車
通常は平日の朝のみ電車が停まります。
日中は2番線には電車は入りませんが
試運転の時に使われることがあります。
写真は全検出場後の試運転のときです。
時刻表
流山線のダイヤはパターン化されていて
15分または20分間隔で運行されています。
馬橋と流山を同時に出発、ほぼ中央の
小金城趾で交換、同時に終着します。
片道の所要時間は12分ですので
折返しまで3分~8分の余裕があり、
2編成で運用が可能です。
しかし混雑する平日の朝はもう少し
間隔をつめたい と組まれたダイヤは…
時刻表の6:27から8:37の間に
ご注目ください。
13分間隔になっているのがわかります。
これは4編成を使用し、2編成が走って
いる間に残りの2編成は両端駅で客扱い
して待機、対向列車が到着すると同時に
ポイントを切替えしだい発車する、
という方法をとっています。
水泳競技のリレーみたいな感じですね。
このときは稼動が4編成、検査等で離脱
することもあるので最低5編成必要、
ということで現在の車両数と合致します。
《流山線の起点は?》
次の写真をご覧ください。
200mのキロポスト
ホームの端から流山方向を見ると便所の
少し先に200mのポストが見えました。
ここで200mでは0はホームを通り越して
かなり後ろになるはずです。
馬橋駅地形図
(国土地理院の閲覧用地図から)
例の地図に(パソコンのディスプレイに)
定規を当ててみると…
写真の200mポストから200mの位置は
矢印(→)のあたりになりました。
留置中の先代「なの花」
普段はここまで電車は進入しませんが
保線の都合等でたまたま退避していた
のだと思います。
足元を見ると接触限界票に並んで
白い杭が見えます。
(遠くて文字までは見えません)
恐らく… ですが
これが分界点の杭じゃないかなー と
推測しましたが、どうでしょうか。
とするとどうやら「流山線の起点」は
この位置になりそうです。
ところで、なの花の後ろの白い塀は
かつて鉄道用品㈱と大きな看板を
掲げた工場でした。
常磐線とも引込線がつながっていて
私が気にしていた頃は、毎日毎日、
あらゆる国鉄車両が送り込まれる
解体工場でした。
ワム285555(2016.7.7撮影)
その後、解体される車両も尽きて
引込線の入口には長いことワム8が
留置されていましたが…
現在の様子
ワム8も引込線も撤去されています。
いつのまにか無くなっていましたが
3~4年前には消えていたと思います。
グーグルアースで確認すると、まだ
ワム8は写っています。分界点付近は
10mほど線路がはがされていますが、
仮設の線路でつなげれば、またいつか
甲種輸送で新しい電車を送り込むこと
はできそうに見えました。
鉄道用品㈱には思い出がありまして、
通学途中の車窓から(都内の高校)
解体車両に混じって軽便らしき蒸機の
姿を発見、次の土曜にカメラを持って
工場を訪問しました。
来意を告げ、写真を撮らせてもらいま
したが暗くて失敗(ネガを探しましたが
みつからなかった。今ならパソコンの
力でなんとかなるかもしれません)
いろいろ話を聞き、楽しいひとときを
過ごしました。(蒸機は東上線常盤台
駅前に展示するため整備していた)
キハ18の解体を見せてもらいましたが
ベンチレータ(FRP製)を指し ゴミだか
ら持ってっていいよ、と言われましたが
1mくらいあって大きすぎます。
躊躇していたら…
銘板
解体中の5tコンテナと何やらの台枠から
焼き切って地面に放り出してくれて
落ちてるから拾っていっていいよ、
と言われ お土産をもらっちゃいました。
もう40年も前のことなので時効でしょう。
今でも宝物として持っています。
ここまで書くのに1週間かかりました!
どうもド壺にはまってしまったようです。
次回は幸谷駅に下車しますが、
幸谷もネタがたっぷりあって…
気長にお待ちくださいませ。
本日もご乗車ありがとうございました。