DD51の探訪は本州に戻りました。
北から西へ追っていきます。
じつは、わざわざDD51を撮りにいく
ということをしたことがなかったので、
即ち、何かを撮りに行ったついでに
撮ってきた、という写真ばかりで
あまりそろいませんでしたが…
地域順にご案内いたします。
磐越西線 (五十島-東下條)
1993.4.29の撮影です。
ローカル私鉄めぐりをしていたころ
栗原電鉄から蒲原鉄道に移動する
途中で寄りました。
ピカピカの機関車が印象的でした。
DD51 1037 (急行 奥飛騨)
飛騨金山-焼石 1990.1.2
DD51 791
下呂-焼石 1990.2.12
キハ82「ひだ」の撮影行の時に
撮ったものです。
このときは高山本線の臨時列車は
ユーロライナー色のDD51が
牽引していました。
比べて見るとナンバープレートの
地色が異なります。
1990.3のダイヤ改正で高山本線の
キハ82系は消滅、以後、撮影地は
紀勢本線に移りました。
1992.2.8 (紀伊長島-三野瀬)
紀州製紙の紙輸送列車です。
私はキハ82が好きで、何度か
撮りに行ったときのものです。
DD51 819
重い列車だったようで
いつも重連運用でした。
DD51 749
(大曽根浦-九鬼)
ナコ座(名古屋のお座敷列車だから)
愛称はついてなかったと思います。
DD51 749
煤煙で汚れた様子の参考に。
煙突の付近からすすけていきます。
模型では難しいところで、天賞堂の
高級機で屋根を黒くして発売したら
評判が悪かったみたいです。
DD51 823
DD51 816
東海道本線 (木曽川-岐阜)
1992.2.10撮影、キハ82の南紀を
撮りにいった帰りです。
今回DD51が終焉を迎える地、
稲沢はこのすぐ近くです。
DD51 1036
宮原-塚本
DD51 1192
尼崎-塚本
なにわ とシュプール号の回送です。
臨時列車ですが行先が非電化線だと
現地にJR西の機関車がいないので
宮原からDD51で牽いていきました。
大阪付近から山陰方面へ
向かう途中には播但線がありますが
枚数が多いので次回にまわして、
今回は山陰本線へ直行します。
出雲2号
出雲4号
1991.4.30 (出雲市-直江)
北海道のDD51は青い塗装だったので
国鉄オリジナルの赤いDD51が牽く
最後のブルートレインになりました
DD51 1119
1993.5.3 (仁万-五十猛)
1・4号は出雲市で一部を切落とし
浜田まで足を伸ばしていました。
1・4号は24系25形(品川運転所)
2・3号は14系(出雲運転区)で
その編成や運転時刻も興味深いので
編成図・時刻表を載せておきます。
編成図
時刻表(1995年3月号)
時刻表にある運休の表示は阪神淡路
大震災(1995.1.17)の影響です。
当時1号は岡山から伯備線経由だった
(山陰本線の電化工事のため)ので
阪神間の不通で運休になりました。
食堂車は営業中止でロビーカー代用、
売店営業のみでした。
DD51 1107 (出雲市 1992.11)
DD51 1134
出雲3号で着いたときの撮影です。
機関庫の方は先着の1号です。
3号は基本編成の8両のみでした。
混雑状況に応じて、こまめに増減の
調整をしていました。
出雲3号車窓より
DD51 1104 (来待-玉造温泉)
このときは玉造温泉に泊まったので
翌早朝、朝飯前に宍道湖畔で撮影。
DD51 1022 (玉造温泉)
2泊めは城崎温泉で翌朝は餘部橋梁へ…
DD51 1106
12系客車の車内
真っ暗なうちに宿を抜け出して
下りの初発で餘部に向かいます。
出雲3号
冬至も近く、あさぼらけの中を
轟音とともに出雲3号が通過しました。
(続 く)
本日もご乗車ありがとうございました。